作家、村上春樹の代表作とも呼べるベストセラー

限りのない喪失と再生を描く話題の長篇小説。60年代終りから70年始めにかけての激しくて、物静かで、哀しい、永遠の恋愛小説。青春のきらめき、生と死のあやうい交錯、透明な余韻に揺れるロングセラー

以前持っていたハードカバーがくたびれて来たので思い切って全集を購入した。利点は2つ。上下巻に分かれておらず一気に通して読めるということと、作者がこの作品について語った小冊子がついてくることだ。小冊子は作者のキャリアを大きく飛躍させることになったこの作品について、特に感情を込めずテクニカルな部分から語っており、この作品をある程度読み込んだ方なら納得のいくものだろう。以下に引用してみる

この小説の中で僕がやりたかったことは、いうなれば(これは後になって気づいたことなのだが)「風の歌を聴け」の完全なひっくり返しである。「風の歌を聴け」も「ノルウェイの森」も、フォーマット自体はどちらもいわゆる青春小説である。そこに描かれているものは、二十歳前後の青年が成長過程でみつめる世界の光景である。しかしその二つの小説の違いは決定的である。「ノルウェイの森」を書く時に僕がやろうとしたことは三つある。先ず第一に徹底したリアリズムの文体で書くこと、第二にセックスと死について徹底的に言及すること、第三に「風の歌を聴け」という小説の含んだ処女作的気恥ずかしさみたいなものを消去してしまう「反気恥ずかしさ」を正面に押し出すこと、である。第三点についてそれ以上詳しく説明するのは大変に難しい。心持ちとしてそうだったのだという以外に、僕としては説明する言葉を持たない。

(中略)この小説はあえて定義づけるなら、成長小説というほうが近いだろうと僕は思っている。僕が結局のところ「ノルウェイの森」という小説を、当初の予定通り軽い小説として終えてしまうことができなかったのは、それが原因である。ある程度書き進んでいくうちに、「これをこのまま途中で放り出すことは出来ない」という思いが自分の中で高まってきたのである。僕は「蛍」という小説を、あるところで身勝手に放り出してしまうことが出来た。何故ならそれは短編小説だったからだ。こういう話です、あとは想像してください、それが小説なんです―という具合に。でもその短編を元にもう少し長く伸ばしていこうと決めた瞬間から、僕はその物語に対する全面的な責任を負わされたのである。この「ノルウェイの森」の登場人物たちが愛についての、あるいはモラルについての責任を負わされているように、僕も物語に対する責任を負わされている。

(中略)僕がここで本当に描きたかったのは恋愛の姿ではなく、むしろカジュアリティーズ(うまい訳語を持たない。戦闘員の減損とでも言うのか)の姿であり、そのカジュアリティーズのあとに残って存続していかなくてはならない人々の、あるいは物事の姿である。成長というのはまさにそういうことなのだ。それは人々が孤独に戦い、傷つき、失われ、失い、そしてにもかかわらず生き延びていくことなのだ

この小冊子は当時の作者の心持ちや文体についても言及しており、11ページと少ない割にはなかなか読み応えがある。この作品を最初に読んでから10年経つがその間にあれこれ感じたことや考えたことがこれを読んである程度腑に落ちた

再読して思ったのは、この作品には強い鎮静作用があるということだ。情緒面で乾いていても、この作品を読むと心に何か残るものがあり穏やかな気持ちになる。あくまで個人的にだが・・・

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