アヒルと鴨のコインロッカー
2005年1月28日 読書
作家、伊坂幸太郎の長編
この作品は、大まかに分けて2つの時間軸で物語が進む。語り部である主人公が居る「現在」と、事件の概要が語られる「2年前」だ。読み手は主人公に感情移入する事を強いられ、その結果2年前の生き生きとして魅力的な関係性が過ぎ去ったもので、自分は魅力的な物語を生きた登場人物と新たな物語を紡いでいくのかという期待を持たせられ、それは裏切られることになる
徐々に示されていく2年前の物語は、ミステリでは割と定石の少々コミカルなもので、その部分に謎を置かずサスペンスタッチの青春群像劇に仕上げてあることで、その魅力ゆえに事件の痛ましさが増すという仕組みになっている。そして、謎は2年間の間に流れた月日の中において発生するものになっているのだ。過去に起こった事件から派生した事件に関わる主人公は、長い間溜め込まれた当事者たちの感情に落とし前をつけることになる。現在と2年前が交互に提示されることによって、事件の痛みを過去から現在まで引き摺っている当事者の感情がかなり正確に伝わってくるようになっている。この作家の特徴だが、事件へ登場人物が関わる際の“温度”が絶妙だ
ミステリにおいて語り部は傍観者であり事件を解き明かす人物は別に居て、読者を代表する感情表現をする装置として機能することが多い。しかしこの作品では語り部が探偵となり謎を解いていく。そういった行動の理由を主人公の“好奇心”という感情だけで片付けているのは作者の力技だと思うが、結果として妙な説得力がある。ようするに、事件に関わった人たちの痛みを同じ目線で観ていることで、いわゆる“探偵”モノ特有の感情を無視した謎解きの違和感を感じずに済むのだ
第25回吉川英治文学新人賞受賞】
「一緒に本屋を襲わないか」大学入学のため引越してきた途端、悪魔めいた長身の美青年から書店強盗を持ち掛けられた僕。標的は、たった一冊の広辞苑――四散した断片が描き出す物語の全体像とは? 清冽なミステリ
この作品は、大まかに分けて2つの時間軸で物語が進む。語り部である主人公が居る「現在」と、事件の概要が語られる「2年前」だ。読み手は主人公に感情移入する事を強いられ、その結果2年前の生き生きとして魅力的な関係性が過ぎ去ったもので、自分は魅力的な物語を生きた登場人物と新たな物語を紡いでいくのかという期待を持たせられ、それは裏切られることになる
徐々に示されていく2年前の物語は、ミステリでは割と定石の少々コミカルなもので、その部分に謎を置かずサスペンスタッチの青春群像劇に仕上げてあることで、その魅力ゆえに事件の痛ましさが増すという仕組みになっている。そして、謎は2年間の間に流れた月日の中において発生するものになっているのだ。過去に起こった事件から派生した事件に関わる主人公は、長い間溜め込まれた当事者たちの感情に落とし前をつけることになる。現在と2年前が交互に提示されることによって、事件の痛みを過去から現在まで引き摺っている当事者の感情がかなり正確に伝わってくるようになっている。この作家の特徴だが、事件へ登場人物が関わる際の“温度”が絶妙だ
ミステリにおいて語り部は傍観者であり事件を解き明かす人物は別に居て、読者を代表する感情表現をする装置として機能することが多い。しかしこの作品では語り部が探偵となり謎を解いていく。そういった行動の理由を主人公の“好奇心”という感情だけで片付けているのは作者の力技だと思うが、結果として妙な説得力がある。ようするに、事件に関わった人たちの痛みを同じ目線で観ていることで、いわゆる“探偵”モノ特有の感情を無視した謎解きの違和感を感じずに済むのだ
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