翻訳夜話2 サリンジャー戦記
2005年5月11日 読書
村上春樹×柴田元幸の共著
村上春樹と柴田元幸の対談集。タイトルに「翻訳夜話2」とあるが、前作とは基本的に別物になっている。過去の名作である「ライ麦畑で捕まえて」を村上春樹が翻訳し直した「キャッチャー・イン・ザ・ライ」という本についてのみの内容になっている
「神経症的で若者的に純粋な高校生の男の子が社会的な偽善性や大人の価値観と戦う物語だと最初は思っていた」と村上春樹は述べている。しかし翻訳し終えた後「この作品の中心的意味合いはホールデンが自己存在を何処に持っていくかという個人的な戦いぶりなんじゃないだろうか。対社会ではなく」という風に認識を改めたらしい。この認識の変化について細かく掘り下げていくことがこの作品の大まかな内容になっている
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を翻訳することになった経緯、この本の歴史的な評価や世間への受け入れられ方、内容についての解説と作者の伝えたかったことについての考察、この作品がサリンジャーにとってどういう位置づけだったのか、口語体で書かれたホールデン節を翻訳した際の注意点、野崎訳「ライ麦畑で捕まえて」との対比、主人公・ホールデンの人物像、登場人物たちの象徴していたものについての推測、最後にホールデンは果たして精神病院に入っていたかどうか・・・などなど、村上春樹が語りに語っている
前作であったような読みづらさは感じない。多数の聴衆に向けて語るという形をとった前作と違い、対談・・・というかもはやインタビューの形式をとっている今回では、取り上げていく事柄の一つ一つについて多角的な視点から検証し時代背景に言及しその影響について考察するという・・・語られる内容の細かさや充実度が桁違いだ。前作のような広義のテーマではなく一つの作品について語っている為でもあるし、その作品が歴史的な名作でネームバリューがある以上、それを翻訳した作家としては「ここまで理解したうえで翻訳しましたよ」という部分をある程度見せる必要があったのだろう
ネタバレも躊躇無く行っているので「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読み終えてから手に取ったほうが吉
永遠の青春文学、J・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の新訳を果たした村上春樹が翻訳の「盟友」柴田元幸とともに、その魅力と真実、新訳の「目玉」、小説作法のあり方、さらには特異な作家サリンジャーその人まで、縦横に語り尽くす。ホールデンが語りかける「君」とは誰か?小説のエンディングは何を意味するのか?〈『キャッチャー』の謎〉の全てがここにあります。訳書に収録できなかった「幻の訳者解説」も併録
村上春樹と柴田元幸の対談集。タイトルに「翻訳夜話2」とあるが、前作とは基本的に別物になっている。過去の名作である「ライ麦畑で捕まえて」を村上春樹が翻訳し直した「キャッチャー・イン・ザ・ライ」という本についてのみの内容になっている
「神経症的で若者的に純粋な高校生の男の子が社会的な偽善性や大人の価値観と戦う物語だと最初は思っていた」と村上春樹は述べている。しかし翻訳し終えた後「この作品の中心的意味合いはホールデンが自己存在を何処に持っていくかという個人的な戦いぶりなんじゃないだろうか。対社会ではなく」という風に認識を改めたらしい。この認識の変化について細かく掘り下げていくことがこの作品の大まかな内容になっている
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を翻訳することになった経緯、この本の歴史的な評価や世間への受け入れられ方、内容についての解説と作者の伝えたかったことについての考察、この作品がサリンジャーにとってどういう位置づけだったのか、口語体で書かれたホールデン節を翻訳した際の注意点、野崎訳「ライ麦畑で捕まえて」との対比、主人公・ホールデンの人物像、登場人物たちの象徴していたものについての推測、最後にホールデンは果たして精神病院に入っていたかどうか・・・などなど、村上春樹が語りに語っている
前作であったような読みづらさは感じない。多数の聴衆に向けて語るという形をとった前作と違い、対談・・・というかもはやインタビューの形式をとっている今回では、取り上げていく事柄の一つ一つについて多角的な視点から検証し時代背景に言及しその影響について考察するという・・・語られる内容の細かさや充実度が桁違いだ。前作のような広義のテーマではなく一つの作品について語っている為でもあるし、その作品が歴史的な名作でネームバリューがある以上、それを翻訳した作家としては「ここまで理解したうえで翻訳しましたよ」という部分をある程度見せる必要があったのだろう
ネタバレも躊躇無く行っているので「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読み終えてから手に取ったほうが吉
コメント