作家、村上春樹のシリーズ第二弾

僕たちの終章はピンボールで始まった。雨の匂い、古いスタン・ゲッツ、そしてピンボール……。青春の彷徨は、いま、終わりの時を迎える。さようなら、3(スリー)フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との<僕>の日々。女の温もりに沈む<鼠>の渇き。やがて来る1つの季節の終りデビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く3部作のうち、大いなる予感に満ちた第2弾

この作品は村上春樹のキャリアの中ではあまり評価されていない部類に入る。次作の「羊をめぐる冒険」への“つなぎ”と思われているのかもしれない。しかし作者自身はこの作品を気に入っていたようで、最新作「アフターダーク」で作中の台詞を改変して使ったり、続編である短編「双子と沈んだ大陸」を描いたりしている

大学を卒業し友人と翻訳事務所を経営している主人公“僕”がある日起きるとベッドに双子の女性が寝ていた。彼女らとの心落ち着く暮らしを楽しみ、孤独な時代を共にしたピンボールの行方を追う。“僕”はふとしたことから目当ての機種を持っているという人物とコンタクトをとるが・・・

この作品は上記のようなストーリーは前作と同様に物語の枝葉だ。若かりし日の「孤独」の象徴としてピンボールは描かれ、そこから脱した現在、双子の女性と奇妙な同居生活を送る“僕”はその平穏で満ち足りた現状を享受しながらも過去の孤独=若さの象徴としてのピンボールに強い憧憬を抱く。それは過ぎ去ったものへの慈しみの心であり、この作家お得意の“喪失感”を冷え冷えとして無機質な場所に置き換えて描いている

とは言うものの、結局は前作同様洒脱で独特の味のある価値観の提示になっている。物語の展開は遅く、その間は双子と“僕”の同居生活が描かれ、そこにおける在り方や会話の心地よさを中心に描く。そして、次作への前振りとして“鼠(ねずみ)”という友人の視点で章が割かれている。彼はだんだんと人とのつながりに疑問を持ち始め、自問自答らしきものを始める。前に進み続けている主人公と違い、主人公の地元に残っている鼠は同じ環境で同じ言動を続けることに疲れ始める。ルーティンワークだと感じ始めた鼠は少しずつペシミスティックになっていく。しかしこの作品では結論まで提示されず、その結果次作へ続くというニュアンスが強くなってしまっている

文章を飾り立てるのではなく、描かないことによって語るという手法をおそらく使っているのではないかという印象。シンプルで、やはり乾いたユーモアがある。量は少ないが不思議と印象に残るシーンが多い作品

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