3×3EYES

2006年6月29日 漫画 コメント (5)
漫画家、高田裕三が描く“悲哀”。

長期的に連載された作品で、独特の世界観で人気を博した作品。

高校生の主人公は街中で車に轢かれそうになった女の子を見てとっさにかばい代わりに轢かれてしまう。つまり死んだわけだが、助けた女の子が・・・まぁいわゆる人外の生物・・・妖怪で、彼女の計らいで命を取りとめる、と。三つ目の目を持つその少女は2重人格で、普段は三つ目の目は閉じていて普通の女の子、つまり日常。しかし、三つ目の目が開いたとき、まぁありたいていに言うと大人目線になると。で、主人公は彼女に命を預かってもらい・・・つまり、何があっても死なない、どれだけ身体にダメージを食らってもあっというまに自己再生能力で元通り、という。それには理由があり、主の女性はあれこれと魔法のようなものを使えるが使うのに身体的な疲労がありしばらく日常モードになってしまう、その際に大人モードで争い恨みを買った輩から襲われたら勝ち目が無い、そこで“ウー”と呼ばれる主人公のようないわゆる奴隷めいた従者を作り出し、彼に回復するまでの間守ってもらう、そういうシステムらしい。主人公は普通に彼女に恋愛感情を持つが、いかんせん彼女は日常モード・・・つまり建前でなく三つ目モード・・・本音では従者として見ており、彼をあれこれ使役すると。つまり“役割”だけで動く。そして、日常を維持しようと振舞う主人公・藤井八雲は周囲から畏怖の念を持って見られていく。つまり人間から妖怪へ変化した彼に対応できない・・・日常ではいられない、そういう視線で見られ、彼は命を預かった女性のために働くという宿命を全うせざるを得なくなる。妖怪である主人を通して観るシビアな世界観、それに情と社会的なモラルと性格で何度も訴え、何かしらの目的を貫き通す主人に制裁をくらい使役され戦わされと。この作品の特色として、主人が2重人格で、日常モードでは普通にラブコメをしているという部分。つまり彼はその部分で彼女に惚れていて、旅の先に“妖怪”である彼女が人間に戻れるときが来るという話を信じて、そのあかつきには恋も成就するだろうという希望で現状を肯定しているわけで。

この作品は長期連載で何部かに分かれているが、初期のほうが叙情的で作品としては格が高い。一番面白いのは2部。1部の結末で主人と主人公ははなればなれになり。探すも出会ったときの主人は、三つ目を封印され、第三の人格が発露していて。つまり2重人格ではあるが、元の人格の一つは消されていて。以前の高圧的で攻撃的で目的のために滅私している哀しい女性は封印され、三つ目が開眼したときはやんちゃな少女の人格が。彼女を見つけまた旅を共にし。1部で彼女が封印された理由、それは従者のふがいなさと敵である同じ三つ目の従者“ウー”の実力の高さで自分のウーを殺さないでくれと命乞いしたゆえのことで。主人公はそれを知り無力感にとらわれ2部で主人と出会うまでにさまざまな技術を身につける。幻獣を召還して攻撃してもらうという呪文をいくつか覚え。これは呼ぶ代わりに寿命を持っていかれるので、不死のウーしか扱えない術で。しかもそれを開発したのは主人の敵方のウーである男で。つまりこういうことなんです。三つ目の妖怪がウーを従者にする際、つまり雇う際は守ってもらうという目的があるので強者というか技術を持っている人間を選ぶ、しかしさまざまな事情が絡んで情でなんの実力も持たない単なる高校生をウーにした、それに気づいた主人公が貢献しようとあれこれ技術を身につけ主人を捜し当てたら相手はある意味死んでいたと。成果を認めてもらおうと思った相手、主人の人格は封印され、別の人格に支配されていて。その主人を捜し当てる、つまり封印を開放するための旅路になると。その果てにまた敵側のウーと対峙し、彼の策謀で第三の人格は植えつけられた、今話しているお前は実は身体は別にある、封印を開放すれば今眼前に写っている現実は夢になる、それでいいなら封印を開放しようと述べられ。ようするに、他の人間が乗り移り・・・ドラマで言えば同じ役柄を途中から別の人間がやっていて、相方の望みを叶えたければお前は元の役者と交代するしかない、そう言われ、それでいいと頼み込むと。そういう話なんですよ。

妖怪に属性が変わった主人公が日常・・・成長が止まり年を取らず不死な彼・・・、人間としての価値観を捨てきれない悲哀、そしてそれすらもウーの本質、そんな主人公が恋愛やら友情やらのモラルを維持しつつ、置かれた状況と環境と運命を享受するという話で。主人を守るためのモチベーションが、宿命を受け入れたゆえの役割を全うするプロ意識ではなくあくまで恋愛感情からという人間性から、そういう部分がまた涙を誘うというか。

文化圏もモラルの定義も社会規範も・・・ようするに完全に相容れない2つの属性をシフトした男が見る風景。そんな話です。

DRAGON BALL

2006年6月17日 漫画
漫画家、鳥山明が描く摩訶不思議アドベンチャー。

山奥に住む怪力で、メチャクチャ元気な孫悟空。ある日悟空は、七つ揃うとどんな願いも叶うという、ドラゴンボールを探すブルマに出会う。彼女とともに、悟空もハラハラドキドキの旅へ出発する!

現在の漫画の規範とも呼べる作品。人気/知名度共に高い。山奥で祖父と暮らしていた少年が、祖父の形見である四星球(スーシンチュウ)と呼ばれるオレンジ色のガラス球を持ち里に下りる。その球は7つあり、世間ではドラゴンボールと呼ばれすべて集めると神龍(シェンロン)と呼ばれる龍が現れ1つだけなんでも願いをかなえてくれる、そんな言い伝えが残されていた。最新の科学技術を持つ家庭に育った女の子・ブルマはドラゴンレーダーなるものを開発しドラゴンボールを探す旅行中。悟空と出会い、四星球をどうにかして手に入れようと画策、あれこれあって2人は旅を共にする。

序盤はドラゴンボールを探す旅がメインになる。山から下りてきたばかりの悟空の世間知らずさ/田舎ものっぷりと西の都と呼ばれる首都で裕福な家庭の“ピチピチギャル”であるブルマとの文化と背景の違いを軽く笑いに変換、と。その後武芸の達人だった祖父という伏線が収拾され、“強さを極めていくこと”がこの作品のテーマになっていく。漫画の一ジャンルともいえる“バトルもの”を開拓することになった“天下一武道会”という武道のトーナメント戦、そしてどこか抜けた人の良さが売りだった中盤までから一転、悪意の象徴としてピッコロ大魔王が登場し、前作「Dr.スランプアラレちゃん」テイストが完全に払拭されオリジナリティが現出する。

ドラゴンボールは初期の“宝玉”という視線から“道具”へ変わり、修行と闘いがメインになっていく。キャラクターの闘いの表現や独自の技など強さの質の比較やら、強大な敵が現れることで以前の敵と共に戦っていくことになる部分、そういうものがパターン化していき・・・いわゆる強さのインフレというやつだが、その為物語としてはフリーザ編で終わる。後は焼き直しという印象。あの時点で人気は絶頂だったので新展開は特に求められていなかったのかもしれない。闘いのスピードやキレと修練の成果を見せるだけというか。

それが最後になって変わり。気弱で知名度の高い一般人や一度仲間になったベジータの苦悩、強さを極めたゆえの主人公の代替わり、地球の危機という今までシリアスに捉えていた事柄のコメディ化、そして“社会性”の提示。連載期間や巻数を考えると、よくここまで話を発展させたなぁという印象。最後に強さと日常へのコミットのすり合わせが行われ、孫悟空だけは非日常へ“帰る”。結局、今までの登場人物とは違うという1巻の立ち位置へ戻るということだが。

漫画とはかくあるべきというような“お手本”ですかね。

花とみつばち

2006年6月16日 漫画
漫画家、安野モヨコが描く“男性”を主人公にした青春モノ。

お待たせっ!あの安野モヨコが青年コミック初降臨。みんな知りたい女のコの秘密。モテたいけれどモテないアナタ。この1冊でギャルのハートがわかるかも!?本当のモテは果てしなく遠いぜ……。

女性を主人公にして面白おかしい青春群像劇を描いていた漫画家が、青年誌に初連載した作品。テーマは分かりやすく精神的な成長に目覚めるまでの学園モノ。

主人公の高校生・小松はクラスで地味系としてカテゴライズされ、はっちゃけた女子から時折潰し気味にいじられている男子。女子の中で目立っているサクラ(真面目な本音を語る役割)からあれこれ諭されつつ、現状に不満を感じ「これが俺の人生か」と分かりやすく苦汁を舐めている。そんな彼が・・・まぁありたいていに言うとクラスでの地位を上げたい、それにはモテることが一番の早道、そしてそれに不可欠なのは見た目を磨くこと!という安野モヨコアプローチで強引に話が進んでいく。この漫画家の場合、現実的に女性の立場によって誰をどう見るかというのを非常に細かくきつめに提示するので、正直序盤は単なるいじめとしか思えず。これを等身大で読んで笑えるのは真性のマゾというか。社会人になる前に男たちを手玉にとり腰掛としてエステサロンを経営している美人姉妹に会ったのが運のつき、虐待にも似たしごきを受けしかも見捨てられ。少し努力の成果が出て周囲の女子のリアクションがよくなったら純朴系の偽装をした女子に捕まりめちゃくちゃにやられ。女性と付き合うことのリスクをひたすら描き続ける。人の良さだけで生きている小市民の主人公はその度潰されるも自分の性格だけは変えられず・・・ようは嘘がつけない損な性格/勘違いできない損な性格ってことだが、その上妥協も出来ずひたすらいじめられ奔走すると。

漫画家自身連載終了後述べていた通り、実はこの作品の主人公が途中でどうでもよくなり適当に展開していたらしい。そんなしょうもないモチベーションで編まれながらも男性側からの成り上がりという物語の輪郭は一応壊れていない。学内で地位の高い女子と付き合い(美男ぞろいの)元彼と対等な立ち位置に立ったことによって見える光景に唖然とする小松を仔細に描いているため、学園モノの恋愛ドラマとしては“リアリティ”という点で群を抜いているかと。

女にモテるためというモチベーションで最後まで突っ走る主人公は結果的に自分の人生を開くための見識を与えてもらったことに気づかない。ただただひたすら突っ走り、自分が自分の人生をコントロールできるまで上げてもらった事も分からず、先へ進んでいく。今まで彼を苛め抜いてきた女性たちが物事の本質を率直に教えてくれていたこと、それを説明しないのがこの漫画家の特質というか。読むと痛いんですが、教科書ってことで。

こころ

2006年6月16日 読書
文豪、夏目漱石が描いた名作。

親友を裏切って恋人を得たが、親友が自殺したために罪悪感に苦しみ、自らも死を選ぶ孤独な明治の知識人の内面を描いた作品。鎌倉の海岸で出会った“先生”という主人公の不思議な魅力にとりつかれた学生の眼から間接的に主人公が描かれる前半と、後半の主人公の告白体との対照が効果的で、“我執”の主題を抑制された透明な文体で展開した後期三部作の終局をなす秀作である。

漱石の中で一番好きな作品。ペシミスティックな視線から観る静寂とわびさび、あれでポエティックな趣に慣れていないざらざらした若者はあっさり憧れる、しかしながらって話です。

主人公と思われた若者はストーリーテラーとして配置され、割かれた文章量から読後はすぐに“先生”が主人公であることが分かる。彼の青春時代に起こった人の心の機微に通じ切れなかったことによる悲劇、友人のまっすぐな思いと出自による人格形成からくる精神的な束縛、それを救済するのに必要だった友情と愛情、そのすべてを裏切る行為をして得た現状、それについて静かな諦観をもって暮らしている彼にやってきた“光”というか“若さ”というか“客観”、それに照らされ、現状をより良くする場所への道の提示、それは現状と今までの生き方をすべて否定しなければ向かえない、そして彼は今までの“孤独”と“光”を比べることを迫られ、激しく苦悶する。若者特有の無邪気な振る舞いと純粋さ、妻の心遣いも加味され彼は“庇護者”になることを選択し、そして“救済”を求める。

作品としては超一流ですが、あくまで青春時代に読むべき作品かと。現状では先生ナルシズム勝ちすぎじゃないかなぁ、なんて。結局、そのある意味高邁な精神を維持するのには時代背景が変わりすぎていて(純粋に現在維持できている方は奇跡)、本当に過去にあった綺麗な寓話としてしか読み解けないんですよ。詩というか。こころの形を綺麗にして洗い流す、そんな効用があるような。

この文豪の作品の中ではかなりシリアスな部類に入ると思うんですが、やはり作り出す世界観と陶酔感で群を抜いている、そんな印象です。
漫画家、沙村広明が描く“人が死なない漫画”

「愚痴っぽくて刹那的。おせっかいなくせに傷つきやすく。経験ないのに知ったかぶって。でも、まっすぐだったあの頃に、もう一度戻ってみたくなりました。――ナチュラル沙村ワールド万歳!!」

類まれな表現力と画力でデビュー直後から評価を得て、そのデビュー作「無限の住人」が長期連載中の漫画家が、商業誌に載せた初のコメディ。デビュー作に独創性がありすぎてイメージが固定化するのを嫌ったためかと。記号的にばたばたと人が死んでいくハードボイルドな作品とまったく同じ絵柄で掛け合いの妙と風刺とこの絵柄で甘酸っぺえ!というシチュエーションギャグ(に見えました、すみません)、絵柄の風通しのよさはこういう使い方もあるんだなぁと感心した作品。

大学の飲み友達同士のついたはなれたを主に描いていて、あちらの作品では適当にお茶を濁していた“会話”、言葉数を少なくして言葉の重みを増すというタイプと真逆の、切り返しや間やどれだけ上手いことを言えるか・・・で、日常なものだから会話の“負け方”みたいなものも少し提示していて。作者のメタ視線によるモノローグやらあの絵柄で当時流行ったハロプロの方々を描いてみたり(これがまた似ている)・・・ようするに、“旬”というか賞味期限の短さをいとわずに、風化することを前提に描いていて。ただ、今読むとなんというか、流行が沈静化した話題も質の違う面白さが。これは思うに単に鮮度を上げるために取り入れたわけではなく、旬の話題の使い方が上手いということで。シチュエーションや会話のもって行きかたで物語の形に上手く沿っている。

1巻で完結だが、青春モノとしてはかなり面白いかと。テイストが知りたいのなら、QJで連載しているショートショートを読んでもらえれば。

お茶の間

2006年6月11日 漫画
漫画家、望月峯太郎が描く成長記。

人生をコントロールしようとしても、スキをうかがって何かがそっと忍び寄る。花井薫と苑子君の愛のお茶の間は大丈夫!?大人気の結婚&お仕事マンガ

この漫画家の代表作「バタアシ金魚」の続編。前作は主人公が思い込みの激しさとリアクションの面白さで意中の女性に付きまとい、素顔で通しているヒロインがステレオタイプな価値観を守るためばっしばしと叩きまくるというわけの分からないコメディだったが、前作と今作の間になにがどうなっているのか理解不能ながらもその恋は結ばれ同棲中という。そんなシチュエーションから始まる物語。

“幸せな家庭を築きたい”そんな分かりやすくステレオタイプな価値観に毒され、プロになることを期待されていた大学の水泳部をあっさり辞め大手デパートに勤める主人公だが、あまりにも社会性が無さ過ぎて同僚はアイデンティティクライシスに陥る。俺のやってきたことはなんだったんだというか。ノリで勝負するなら負けないわよと対抗する女性上司すら出てくる始末で。そうは言いつつもモチベーションの起因が彼女と幸せな家庭を築きたいというものなので、こちらも全力で叩けないというか。そんな周囲の視線を省みず何かを成し遂げた感でいっぱいの主人公は、過去の清算やらで理屈でものを考えることを迫られる。

通して読むと、物事の表面だけを見て単純化することで処世を行い突っ走っていた主人公が人間の心の機微に通じていく作品という印象。ストーリーは一応あって描き方を変えれば普通にいい話なんだが、この作者の全力投球が炸裂し絵的に如何に面白いか、それだけを追求していて。だから大人が観ればそれなりに分かる年齢層高めのちびまるこちゃんというか。社会は厳しいが我を通してみると結構面白く生きられるかもしれない、そんなエールです。

BLOW UP!

2006年6月11日 漫画
漫画家、細野不二彦が描く成長記。

就職しても、ひたすら下働き、他人の尻ぬぐい!それより、オレァ!!みゅじっしゃんになるんや!!好評ヒューマン・ジャムセッション!!

作品ごとに取り上げる題材を変え、それをある程度掘り下げ提示することで有名な漫画家の過渡期の作品。代表作としては「ギャラリーフェイク」だろうか。ピカレスクロマンを日常に落とし込んだ秀作だが、あちらが・・・なんというか完全な大人の視点、分かりやすく言うと感情を排した生き方をしている人間が徐々にバランスを取っていくという作品(完結したため言える結論)、そこから観た世の中の提示であったのに対し、こちらは青春群像劇になっている。

主人公はジャズミュージシャンを目指し下積みをしている若者。彼が社会的地位も積み上げた人間関係も金も女もすべてかなぐり捨て、ただひたすら夢を追う。現れる過去の人々は夢を追うことの困難さとあきらめを諭す。書くと安易だが現実を踏まえた展開なので、これほどの犠牲を払わなければ難しいという分かりやすい提示になっている。自分が感じていた居心地のよさ・・・つまり趣味を“体現”することの困難さ、最初に感じていた技術の研磨への必要性やらの葛藤は、すべて先達からの提示によって真実を知ることで理解の誤差を修正される、と。つまりさくさくと事実を教え駆け足で導く、そんな話なんですね。それに見合うしぶとさというかタフさというかそれを持っていることを一応確認し、という話で。スタジオミュージシャンは仕事をしてみて仲間と認め、同じ夢を観てあきらめたバイト先のジャズバーのマスターがそれとなく試していき、結果的に、と。

ミュージシャンが成功するまでを非常に凝縮しかなりディフォルメした物語なので2巻で完結、と。絵柄と演出が過渡期ゆえに少々古臭いんですが、本質はとくに変わってないかと。このモチベーションを維持できるかどうか、それを問われる作品。
人気脚本家が描いた青春群像劇。

とにかくカッコいい。「池袋ウエストゲートパーク」は、ハイテンションな傑作ドラマである。まずタイトルのネーミングも含め、舞台に池袋を選んだ石田衣良による原作のセンスがいい。そこに『GO』の脚本でも注目を集めた宮藤官九郎、「ケイゾク」で斬新な演出をみせた堤幸彦のセンスが加わり、コミカルで奥行きのある世界が構築されている。そこに長瀬智也、窪塚洋介をはじめ、名前をあげたらきりがないほどの豪華キャスト陣が、それぞれ強烈なキャラクターを演じ、違和感なくとけ込んでいるのも見事だ。物語はギャングの抗争、少女の殺人などを背景に、今どきの若者の現実をポップに描いている。が、その奥に彼らが持つ深い孤独感をじわーっと臭わせていて、単にテンションが高いだけのドラマに終わってはいない。また、不良だけにスポットを当てるのではなく、オタク、ヒキコモリといった少年たちが同じ土俵で活躍する展開も、どこか浪花節的なものを感じさせ、それが実にキモチいい。

本編からしばらくたった後の登場人物を描いた“同窓会”。当時の人物たちがどう転んだのかを見せて行き、軸として一つの事件が設置されている。本編終了後あまりにも各々の俳優女優が売れすぎて、ブッキング的に再現は無理だと言われ続けていたが何故か普通に全員集合、と。脇役から端役にいたるまでほぼ同一に再現されている。

本編を軽く説明しておくと、主人公・マコトは池袋でうろうろしている若者で、さまざまな知り合いを通してわけの分からない事件に巻き込まれ解決していく、そういう作品で。少々気性は荒いが面白そうな事件には乗り出していくという。普通に素の価値観で喜怒哀楽を表現し動き回り、早い話が見た目の中にある本質、“既存のモラル”を体現するというか。その点で彼は一目置かれているが、彼はそこに気づいておらず、何度も疑問を感じ憤るわけで。後は、彼のような生き様をしている人々が社会で転がっていくために・・・フィールドの違う奴らと楽しくやっていくためにどうしたらいいのかを軽く提示してみる、そんな話で。1話完結で編まれていると。普通にアンモラルなことがらを“こう観りゃいいんだよ馬鹿かお前”と呆れ気味に提示する、そんなノリで。常識的な話でもあるし、この作品自体・・・だからこそ地味に再放送されていて。建前と本音の折衷案というか。

この作品はそんなこんなで現在彼らが何をしているかを魅せると。主人公のマコトは本編時代の伝説になっていて、現在の若手に一目置かれてはいるが、生活は困窮していて。当時あれこれ絡んだ人々もそれなりに社会に適応していて、唯一対等に話せるのは窪塚洋介演じるKINGだけという。つまり当時のキャリアを普通に重ねて工夫すれば適当に食っていけたのに性格上それが出来なくて・・・それゆえに仲間とつながりがあるという哀しい立場で。マコトはこうじゃなくちゃいけねえよ的な。つまり、イメージを保ち続けることに対する不器用さが。それを上手く生活に結び付けられないと。

まぁ、年齢を重ねて立場も変われば戦い方も違う、そういう話かと。楽しく騒いでいこうというか。それだけです。お疲れ。
人気脚本家による青春群像劇。

宮藤官九郎脚本、V6の岡田准一、嵐の桜井翔ら若手俳優による、若者たちの友情と人生を描いたドラマ。かつての野球部監督をターゲットに盗みを成功させ、その祝杯の席で公平は仲間たちに自分の死期を告白する。

現在でも人気の高いドラマ。この作品が放送される以前のドラマへの過剰さに対するアンチテーゼとして“普通”というテーマを打ち出した作品。自分というものを保ちいかに普通で居られるか、それを末期の病に侵された青年というぎりぎりの状況で描き出すことで過剰さを求めている層にも納得できるように、徐々に徐々に物語は進行していく。メディアの東京への召集的ノリを真っ向からくつがえすご当地モノドラマ。

主人公の田淵公平・愛称ぶっさんが病院で診察を受けるところから物語は始まる。診察券を受付に出している彼の横を通り過ぎる担架・・・かつぎこまれてくる患者をふと見ると、それは危篤状態の彼自身で。「これが3ヶ月前の俺、あれが3ヵ月後の俺」というモノローグで始まるこのドラマは、1話完結で地元で暮らす若者がごろごろしているさまを魅せるというか。分かりやすく土地柄に依存した作品ではなく、ぱっとしない田舎町で若者がどう楽しんでいるか、そんな話で。まぁこんな感じで人生生きれば楽しいんじゃないの?そんな提示なんですよね。だからなんかこう・・・情報がなくても金がなくても女が居なくても暇でもこういうような楽しみ方なら暇つぶしにはなるんじゃないのかなぁ、そういうことかと。簡単に言うと、シチュエーションコメディの連載版というか。若者の処世に対する対処法(解決法ではない)を軽く教えてくれるというか。

みんなの目の前で“自分の死期の象徴である薬”を普通に飲むことで、周囲は・・・まぁ分かりやすく言うと彼らもそれを知った上でテンション上げて楽しくやろうぜってアピールしていて、それに対する反論と思ってしまって。うっかりへこんでしまい本音を述べるも、ぶっさん自身は単に医者の処方箋に従っていて。なんだかなぁ、という。一通り揉めて・・・心配しているんだよ俺らはと伝えた彼らに対してぶっさんが述べる「お前らに心配されるくらいならなぁ、死んだほうがマシなんだよ」という分かりやすい“死ぬまで演技をしてくれ”という嘆願、それを踏まえて取り残された面子の中のアニが述べる「なんだかめんどくせーな・・・」という台詞、それがすべてというか。介護といえば分かりやすいが、結局仲間の死期を見取ることを義務付けられた、そのことに対していろいろ考え、“じゃあ面白おかしく生きようぜ!”という結論に達すると。俺らに出来ることはたかが知れている、でもお前が生きるというなら頑張るよ俺らも(from バンビ)というか。まぁそんな感じで観て行くとあきらかに芸風の違う事柄に周囲が手を出していることも分かり始め。本当は恋愛経験豊富なヒロインのモー子も彼の前では実は処女でした、テヘと分かりやすく嘘をつきぶっさんは心底驚き。みんなで彼のピュアネスを維持しておこう、それが花道だというか。これはぶっさんがどうこうというより、周囲がどう動いていくか、その辺りを観て行った方が理解しやすいかと。

最後に日常へ戻り「しまっていこぅーっ!!」とキャッチャー役の主人公がみんなに宣言する、そこがハイライトというか。そういうことなんですよ。結局。まぁ簡単に言うと建前でどれだけしらを切り通せるか、それが問題。いいたくねえ!

そんな話です。暇なら御覧あれ。7話がお勧めです。
何も知らず地元のライヴハウスへ行きパフォーマンスを観たぶっさんが、
「泥棒やってる場合じゃねえ!(バンド!)これしかねえ!!!」と、
分かりやすく勢いづいていくノリが。そんな感じです。
漫画家、ゆうきまさみが描く近未来お仕事ドラマ。

近未来の社会、そこでは既存のフォーマットに新たな“価値観”が導入されていた。開発された新たなオペレーティングシステム、それが広範に普及し結果として・・・えーとまぁ端的に言うと土木建設業に使用されるパワーショベルから警察で使用されるパトカーまでより細かい作業が出来るようになったと。姿かたちは変われども端的に言えばそれだけなわけですが。そして、そこから標準規格ではない警察専用のOSを製作し導入し2足歩行の“パトカー”が作られる、それがいわゆる“パトレイバー”と呼ばれる見た目がロボットなパトカーであり。これは既存のOSの普及による機材の高性能化によって、犯罪を防ぐことが困難になったため開発された“試作機”で、その為テストケースとして・・・まぁ言い方は悪いんですが実験的に試用期間を設けた、と。仕事振りには定評があるものの上から下までやる気ゼロ的評価を得ている中間管理職を頭に据え、後は専門学校の生徒で構成された下部組織・特車2課が設立され、分かりやすく郊外の“何が起こっても直接都市部には影響はない”そんな場所に警察署が設置される。主人公・泉は何も知らされず適正試験を受けパトレイバー1号機・通称イングラムの搭乗員を任される。この作品はそこからの“お仕事ドラマ”ということなので。数話完結で“ロボットドラマでいかにリアリティを着地させるか”そういうようなテーマで物語が編まれている。

ニュースで「あの彼らが久しぶりに役に立ちました」と報道されるように、普通につまはじきモノというかなんというか・・・分かりやすく規格外ですと公共の電波を通してアナウンスされており、それに見合わない、つまり現行の警察の威信を保つため汚れ役を引き受けているというか。しかもテストケース。これは彼らのデータをOS開発者が反映し物語の最後に標準機/普及機として新型の機を提供するエピソードでもうかがえる。ところがその機材はまったく役に立たず。簡単に言うと、結局は(パイロットの)“経験”、それだけがよりどころでしたというか。仕事仲間のモチベーションの維持や葛藤やなにやらあれこれ描いていくが、敵方のポジティヴ偽装をした彼らなりの倫理観を打ち崩すにはステレオタイプなモラル、つまり相手への倫理観の修正が必要になっていくという。敵の偽装は完全にすべての理屈を覆し、“内海”率いる一派のピーターパンシンドローム的主役感と、“後藤”率いる主人公たちの社会的な素の視点の拮抗、そして端的にだらだら仕事をしていた主人公たちの“ユルさ”、それに負けてしまうという。内海と後藤は表裏一体であり、同じスキル(処世術)を持ちながら観ている視線がネガかポジかという。見た目と振る舞いから受ける印象が実は逆、その辺がこの作品の面白いところというか。暇なら読んで欲しいなぁと。

SLAMDUNK

2006年5月28日 漫画 コメント (1)
漫画家、井上雄彦が描いたバスケットボールを題材にした作品。

続編が熱望される認知度の高い作品。一時流行った完全版という体裁のカラー原稿を復刻した豪華本が出版、売り上げも掲載誌で“現在も”上位という。人気連載を2本抱えているので静観するしかないと。まぁ定説として現在不定期連載中の「リアル」という作品がこの作品の続編ということで一つ、桜木花道は病気療養中、流川は世界に出て・・・と。ナガノミツルという両作品に登場している人物でそれを宣言し。虚飾をそぎ落とし手触りの現実感を感じられる作風へシフトしなければ現在は伝わりにくいんではないかという配慮なんですかね。「リアル」は不定期連載であるがゆえに“本音”の意味合いが強く、だからこそダイレクトに響くわけなんですが、“肯定性”という点では同じかと。

中学時代地元の不良どもに名を馳せていたチンピラの主人公・桜木花道は紆余曲折ありバスケ部に入部。そのバスケ部は強面の主将と人の良い副将のみで持っている弱小のチームだった。ど素人の彼を地味に育て続けるが彼は身体能力の“使い道”を知らず、単純な暴力で事が済んだ世界に生きていたため“技術”という概念を知らない。まぁようするにフィールドが違えばスキルも単なる勘違いで終わってしまう、それだけの話でもあるんですが。それぞれのポジションを担う登場人物が現れ、チームが完成し。一人集うごとに試合の色が変わり・・・ようするに選手が与えた影響力が確実に見て取れるってことだが、基本は主人公であり発展途上の桜木とある種完成し知名度と評価と努力の両立した同じチームのライバル・流川の交流か。流川はひたすら個人のスキルを上げチームとしてではなく自分自身の価値を高めることに精進しているため意思の疎通という点が唯一のウィークポイント、片や桜木花道は人柄を愛され雇われてる的な。彼がスポーツの選手になるということの本質的な意味合いを知る、一言で言うとそれだけというか。モチベーションを他に求めていても関わる事柄、それを掘り下げていけば周囲によって作り上げられた“役割”の本来の意味と意図とそれに対する理解を得ると。序盤は主人公をかませ犬という位置だと知らしめるために配置された役柄だったが、彼自身の物語も掘り下げていく。集っていくチームメイトたちは登場の際自己紹介代わりのエピソードをかましてあるが、もともといたセンターフォワードのキャプテン赤木、スモールフォワードのメガネ君こと小暮、そして点取り屋としてのパワーフォワードの流川、彼らのサイドストーリーを語る。その共通点は“継続”することの難しさ、と。

印象に残ったのはやはり最後の試合。名実共に伝統のある“常勝”を掲げる高校バスケの名門・山王工業。全国大会に出て地道に実力をみせ評判を獲得していた流川は、相手側のパワーフォワード、同じポジションであり山王始まって以来の“天才”と呼ばれる選手・沢北と対峙する。スキルの方向の類似性、そしてそのすべてで完全に上を行かれている彼になすすべもなく手玉に取られていく流川。主人公・桜木が惚れているヒロインで流川のファンである春子のモノローグ、積み上げてきたもの(技術も自信も名声もプライドも)がすべて壊れていってしまいそうだ、それが。個として生きることを選んだ彼のよりどころ、それがすべて失われると。ご丁寧に沢北の過去まで描写し、彼が性格まで似ていたことをに匂わせる。つまり、彼は個人主義の流川の到達点、“大人”として配置されているわけで。

地味に観察しつつ絶対に認めなかった主人公・桜木花道の成長を最後の最後で流川が認めるところで物語は終わる、と。当時のハッピーエンドとバッドエンドの極端さの中で“現実”を踏まえたエンディングにしたことで・・・って当たり前の話か。すみません。個人的に好きなキャラクターはオールマイティープレイヤーで中学時代MVPをとり鳴り物入りしたものの怪我に泣き普通にグレつつなり切れずどこか間抜けな不良に成り下がり、取り巻きの暖かい善意と敵側の気の利いた配慮でバスケ部に戻りつつ、ブランクに負い目を感じ“先輩”としての視点で後輩をコントロールする役割を自ら請負い・・・。ようするに、自分の才能の枯渇、それを自覚して立場をシフトした彼がチームメイトとプレイすることで意識はそのままに成長している、と。監督の安西先生の言葉が。

先日企画で“最終回直後”を作者自身が描き、時間軸を2005年に設定しなおしてあるので、もしかしたらもしかするかもと期待を。
漫画家、久米田康治が描くコメディ。

絶望の中に極上の笑いあり!言いたいことは全て言う、糸色望の絶望授業は今日も変わらず絶好調!!絶望先生こと糸色望率いる2のへ組の2学期が始まった! 校内、校外問わずますます磨きがかかる先生のネガティブ授業。でもなぜか納得しちゃうから不思議です。大人が言わないホントの事を、あえて言っちゃう自爆コミック、いよいよ第3集が登場!

この作者の代表作ともいえる前作「かってに改蔵」で作り上げたスタンスを踏襲した作品。風刺のきつさ・・・というかもはや普通に悪口なんだが、それが魅力のメインになり物語はあくまで枝葉という。

わかりやすく昭和の文学に感化された教師・糸色望は、まぁいわゆる“滅びの美学”だとか“ステレオタイプな作家像”に心酔していて・・・とはいっても特定の作家が一瞬で想起されるんだが・・・、その美学で美しき師弟愛やらの自分の価値観を社会に向けて提示している、と。ところが正直今は平成で多種多様な生徒がいて彼のヒロイックでナルシストなキャラはまったく通らず、事態を収拾するために必死で弁明する際の“素”の意見、相手に向けて説得しているがはたから聞いていたら失礼極まりない風刺を例えに出している、しかもそこまでするほどお人よし、と3種の笑いを1コマに、という。また、生徒と接するときには画像通り着物を着て自己表現をしているが地元に帰れば普通にファッション誌を参考にした格好をして街をうろつきそれを生徒に見つかるという。生徒も生徒で普段はまったくその部分には触れていないのに=意図的にスルーしているのにここぞとばかりに「先生を信じていたのに!」と心にも無い熱演を。

風刺のネタが旬のものばかりなので鮮度を多少考慮しないといけない部分もあるが、その辺りは主人公が生徒に影響されて微妙にキャラが変わっていっている部分で補完、というか。絶望からさよなら、と。なるほど。
漫画家、なかいま強が描く野球漫画。

沖縄出身の漫画家・なかいま強が月刊ジャンプで連載している長寿漫画。19巻までは追っていたが、なんと今は57巻。ほとんど野球の試合ばかりという印象があるが・・・。

気弱なキャプテンが率いる東京の弱小野球部に転校してきた主人公。彼がピッチャーとなることでチームは変わっていく。“うーまくー”(やんちゃ)で“ちぶらー”(ずるがしこい)な彼は騙してからかってなだめすかしてと“駆け引き”のみで仲間も試合もコントロールしていく。理論的な戦術ではなくあくまで化かし合い、相手の性格を見抜き本質を突いていくことでどんな人間でも無理矢理コメディに持っていく、と。つまり、彼によって虚飾をそぎ落とされ本来の人間臭さが露呈されてしまうわけで。

エロも恋愛も萌えも試合展開における興奮も無いが、得点などの目に見える部分でない精神的な部分での勝負、そこを描いているような。沖縄方言が飛び交うことを抜きにすれば完全なコメディだが、試合終了後に既存の野球漫画に無い独特のカタルシスがある。例えばわたるが沖縄に居た頃に彼女をとられ復讐するために追いかけてきた“がっぱい”の強打力に目をつけたわたるは彼を野球部に引き入れ理屈の通じない彼を笑ってしまうほど手玉に取りホームランを打たせる、と。仲間だろうがなんだろうがスタンスは一緒という。主人公一人の魅力に依存した・・・ある意味オーソドックスな少年漫画というか。設定に対するリアリティなんて度外視、人間同士のやり取りでそれを描き出す、と。

しかしここまでの長寿連載になっているとは。
漫画家、山田貴敏が描く医療ドラマ。

満足に医療設備も揃わぬ絶海の孤島に、一人の若き天才外科医が舞い下りた時、奇跡のドラマの幕が上がる!! 感動必至の離島医療物語。

近年ドラマ化された離島を舞台にした医療モノ。実在の人物をモチーフに、数話完結の“医療”という表現手段を用いてヒューマニズムを描き出す。近々単発でSPドラマとして放送されるという噂も。

人口の少ない離島に東京の病院から赴任してきた医師・五島健介。牧歌的に医者としての職務を全うしようとするも、突きつけられた現実は。ろくな医師が派遣されてこなかったため島民の医師への信頼は無く、診療所に詰める看護婦・彩佳ですら「治療は6時間かけて本島まで船で行く。ここでは診断するだけでいい」と述べる。田舎特有の余所者への冷たい視線を受け、彼はまず信頼関係を築くことから始めていく。

序盤からのそういった物語が一段落すると、彼の医師としての技術と生命に対する姿勢を描き、そこから数話完結でブラック・ジャック的アプローチを魅せ、離島で暮らす人々との交流がメインになっていく。ドラマのほうはその中の人間関係に焦点を当て描いていたが、この作品ではもう少し描写に現実味を持たせ掘り下げ、なおかつ牧歌的に仕上げてある。離島医療の現実よりも離島そのものの実情と暮らしと良さを描いてあるような。

描写や展開が巻を追うごとに厳しくなっていくのは気のせいだろうか。サザエさん的“物語内では時間が止まっている”アプローチではなく、登場人物は年を取り島の事情は流動的で子供たちは成長していく。それゆえのことかもしれないが、なんだかケレン味が過ぎるんじゃないかと思う。画風の中和が追いつかなくなっているような。この漫画家の本来の作風、柔らかな絵柄で厳しい現実を切り取ることで訴えかける力を増すというものだが、実在の人物をリサーチした上で描き出した中盤までと、そこから今までの展開に乖離が見られるような。ここからはいわゆる“自分の作品”として作り上げる、そういうつもりならば見守るしかないところ。
作家、伊坂幸太郎が描くサスペンス。

嘘を見抜く名人、天才スリ、演説の達人、精確な体内時計を持つ女。この四人の天才たちは百発百中の銀行強盗だった……はずが、思わぬ誤算が。せっかくの「売上」を、逃走中に、あろうことか同じく逃走中の現金輸送車襲撃犯に横取りされたのだ! 奪還に動くや、仲間の息子に不穏な影が迫り、そして死体も出現。映画化で話題のハイテンポな都会派サスペンス!

この作品は最初に起こった出来事・・・いわゆるプロとしての失敗の汚名を晴らし名誉挽回するというような物語になっている。ただ、犯罪者同士のネットワーク内での汚名というような俗な話ではない。彼らの人物造詣はユーモアを持ちそれなりの職業倫理を持ち美学を持っているというもので、「金が惜しいのならまた銀行を襲えばいい、俺らはプロなんだから」というリーダーの意見を尊重し、まぁあちらも同業者だしななどとシンパシーすら見せる始末。そんな風にあっさりと片付け日常に戻ったはずが・・・。

一読して思ったが、とにもかくにもミスリードが上手い。いくつかの主軸となるエピソードを散らし、割と細かく分けられた章ごとにランダムに描いていく。それが終盤になっていくにつれ・・・という展開で。物語のテンポがよくスイスイ読めるので登場人物の魅力を描いているだけかと軽く流した部分に伏線が張られていたりと。結果的に犯罪者=ギャングたちの日常と彼らの人間的魅力を描いたという印象が強いんだが、キャラクターの魅力に依存している作品ではないというか。物語としてもきちんとした品質を保っている。

二転三転する展開の妙を魅せるのが趣旨なので、筋に沿った感想を述べると読んだ楽しみが薄れるかと。ただまぁ、登場人物たちの生活感の無さと妙に上品な立ち居振る舞い、そしてリアリティの欠如という点は相変わらず。物語の構成と散りばめられた伏線の収集具合の技術を楽しんだほうがいいかと。後は雰囲気を許容できれば。まぁあれこれケチをつけながらも読後感の良さもいつも通りなので。
漫画家、中原裕が描く高校野球漫画。

汗と涙ぁ…そんなモンいらねぇ! かつて名門、今は弱小の私立彩珠学院高校野球部にやってきた問題児監督・鳩ヶ谷圭輔が、硬直しきった高校球界の常識を変える!!

ラストイニング(最後の打席)と銘打ったこの作品。上司にはめられ職も金も女も失ったペテン師営業マンである元高校球児が古巣の野球部存続の危機で召集され監督に就任、次の職までの腰掛けと言いながらも、彼にとっての監督であった現・校長の期待通りに現役時代通りの理論的な戦術と、当時の清廉さと引き換えに得た今までの経験から来る策謀戦術で部員たちを甲子園へ導いていく。

この巻では春の大会の試合の模様が中心になっている。新設校でありながら、少年硬式野球全国大会ベスト4のチームをそのまま吸収した無名校・秩父優明館を相手に苦戦を強いられる。彩学の監督である主人公・鳩ヶ谷の「勝たなきゃ意味が無い」という信条と正反対の「負けて得たものが財産になる」という信条を掲げている優明館監督・玉川のユーモアを混じえながらも魅せる頭の切れと抜群の采配、前提条件が違う両監督の“頭脳戦”、この作品の魅力の質はまったく変わっていない。

抱えた選手たちの指導とスキルアップは打ち止め、この実力でどこまでいけるかという部分が鍵となる。しかし試合前に出会った玉川の「春の大会は夏のシード権さえ勝ち取れば敗退してもいい。下手に勝ち進んで手の内を見せることは無い(実力を露呈することは無い)」という言葉が鳩ヶ谷に響く。実力を見せれば注目されデータが残っている以上研究され攻略される可能性がある、その示唆、それに思い当たり鳩ヶ谷は戦略から選手個々の能力で打開する方向へシフトする。

少し間のある適度な緊迫感と情緒をはさまない演出で安定した品質を届けてくれる作品。前作“奈緒子”での牧歌的で純粋で叙情的なアプローチとはある意味真逆の面白さが。
漫画家、あだち充が描く野球漫画。

幼なじみは四姉妹!? スポーツ用品店の息子・樹多村光と、バッティングセンター&喫茶店「クローバー」の娘たちが繰り広げる、爽やかで少しせつない青春野球ストーリー!!

“野球を題材にした青春群像劇”(作者談)を代表作にするベテラン作家の新作。インタビューを拝読したところ、前作が諸事情で不本意な形で終わったため間をおかず新連載を開始、その際選んだ題材はパブリックイメージを代表する“高校野球”だった、ということらしい。

主人公の樹多村光は幼い頃幼馴染の女性を亡くし、彼女が語った彼への期待を忘れられず投手として地味にトレーニングを重ねていた。周りは彼女の死を契機に野球から遠ざかっていると思っていたが、ふとしたきっかけで積み上げた実力が露呈、紆余曲折あり高校の野球部へ入部。ところが1軍と“プレハブ組”と呼ばれるいわゆるファームに二分されあからさまな待遇の違いのある野球部、監督すらも違う環境で彼らは一軍昇格試験である練習試合を待つ。

この巻では野球部を取り巻く状況を割りとこまかく描いている。新たな登場人物も多数登場、顔見世は終わらず。技術と実力のみで形成された一軍は感情を排した練習方法で、妹の意思を主人公と同じように継いで女性ながらに投手として訓練してきたヒロイン・青葉の自信を根こそぎ奪い去る。そういった布石が敷かれ、次巻の練習試合へ、と。

今作は野球漫画としては前作となる“H2”とかなり読後感が違う。簡単に言えば、いつものとぼけた味わいを抑えてまでケレン味というか・・・“情感”を打ち出してくる。前作にあった透明感のある成功譚的趣ではなく、長い年月をかけて形成された思い出からくる主役周りの登場人物たちの中で共有する想い、それが下地になっているがゆえの物語におけるタメ、それがかなり色を変えているというか。逆にこの作者でなければ・・・透明感で中和しなければ現在では成り立たないのではないかと思うほど。これはもしかして技術や理論やカタルシスに偏った現行の野球漫画へのカウンターなんだろうか。
漫画家、ふなつ一輝が描くカレー漫画。

カレー専門店を経営する父が蒸発し、つたない腕で店を切り盛りするも客足は遠のき畳むことを真剣に考える女子高生の下に、父の友人であるという青年・高円寺マキトが現れる。彼は世界中を放浪しカレーの技術のみを極めた料理人だった。彼の手助けで店は盛り返し、彼はその評判からさまざまな料理バトルに担ぎ出される羽目になる。そして。

長期連載ということで、物語は○○編と区切ったほうがいいような流れになっている。序盤からのほとんど伏線を張っていない自然な流れにより彼は東京を飛び出し全国を放浪することになる。スケベでお調子者ながら料理“だけ”は目を見張るものがあり、それを才能の発露ではなく経験から来る技術として=彼にとって当たり前のものとして描いてある部分が嫌味を感じない理由というか。この巻では、全世界を巻き込んだカレーコンテストに参加するというエピソードが編まれる。

今まで戦ってきた組織の一員となることで、父に会うという目的を達成しようとする主人公が描かれ、カレーコンテストの第一回戦・苦瓜(ゴーヤー)を使ったカレーというテーマでのバトルが描かれる。その辺りは緊迫感があっていいんだが、この巻は結構場つなぎの微エロ描写が多く、エロコメかよと突っ込みたくなることも。まぁ長いことやってるとそういう時もあるってことで。

おせん 11

2006年5月3日 漫画
漫画家、きくち正太が描く料理漫画。

老舗の料亭・一升庵へストーリーテラーの若者が就職するところから物語は始まる。ごく普通の価値観を持つ若者は、職場に流れる独特の価値観に驚き呆れ感心し感化され審美眼を磨いていく、と。そして、その価値観とは、古きを尊び・・・まぁ懐古主義ともいえるような、日本古来からの慣習の必然性と重要性の提示、人間関係における“信頼”の大切さや、料理における“手間”こそが重要という・・・こうして書いてみるとなんだかアレだが、そういった年寄りの説教めいた話を分かりやすく娯楽に昇華してあると考えてもらえれば。物事には摂理というものがあり、既存のものは現在までにそれなりの研鑽があって初めて成立しているんだよ、という意見ですかね。気風のいい姉御肌の主人公・半田仙こと通称“おせん”が毎度来客を料理でもてなし、料理を通したその見識を伝えることで彼らは開眼する、と。そんな数話完結の物語です。

料理はあくまで“テーマ”と“鍵”、という・・・いわゆる“美味しんぼ”形式を継承した作品になっているが、下町人情モノテイストがメインとなり、義理と人情(過去)をストーリーテラーの若者の(現在の)視点で観る=懐古するという作品。王道ではありえないが、独自色は強いかと。
漫画家、かわすみひろしが描く料理漫画。

北方領土問題のエキスパートを呼び戻せ!!
閉ざされた男の心の扉を開くのは、幻の「ちゃんちゃん焼き」!!
北海道は味覚の宝庫! 『遥かなる北の大地』偏収録!! 日本酒とフレンチの奇蹟のマリアージュ!『さまざまな出会い』も収録!

各国の大使館で来客をもてなす際出される料理を作る職業、“公邸料理人”。さまざまな国の風習(宗教の教義によって豚肉が食べられないなど)や相手の国の事情(相手が戦争した国の名物料理などはご法度)など、そのつどさまざまな問題に直面しながらも、来客との会談の内容・・・日本の政治に関わる交渉をサポートするための料理を出すという内実を風刺を交えて描き出した作品というか。

一応数話完結の物語として編まれていて、世界各国を飛び回り腕を振るうというものになっている。長く続いている作品のアドバンテージを上手く利用し、今まで登場した人物たちも要所要所でキーマンとして登場、と。フレンチ担当の主人公・大沢公、中華担当で香港領事館の公邸料理人である青柳愛、大沢と共に職場に詰める和食担当の北島萌、大使との折衷役を兼ね直接席でサポートする係である外務事務官・江口悟が中心になり話は毎回転がると。今回は北海道名産の鮭の魅力、日本酒の魅力が描かれる。

公邸料理人になりたてでちゃきちゃきの江戸っ子である北島萌が最近では物語の私的な部分を担当しているような。序盤で大沢公が担当した“料理人として一人前になっていく過程”を体現。そういう部分と、国同士の政治的なやり取りの準備段階である設宴での思惑の交錯する駆け引きがこの作品を通した主な魅力かと。

とはいっても特にお堅い話でもないので、単純に料理が美味しそうだなぁと読んでいるわけなんですけど。ちなみに、原作者は実際に公邸料理人を経験した方だそうです。

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