CUSTOM MADE 10.30
2006年4月1日 映画
奥田民生・木村カエラ主演作品。
この作品は、木村カエラが主人公となりストーリーを転がしつつ、ところどころで奥田民生のドキュメントが挟まれるという形をとっている。ライヴ会場としては今まで使われたことのない“広島市民球場”で、県出身である奥田民生のアコースティックライヴ“ひとり股旅”をやってみようじゃないか、という企画・・・それを映像化するにあたりドキュメント+ライヴという通常のリリース形態ではなく“映画”として製作するという遊び心のある作品になっている。ようはライヴDVDと映画の合作のような印象。というのも、ベテランミュージシャンであり独特の味を持つ奥田民生と映画の部分を担当する木村カエラは最後まで絡む事はない。しかも、各々の場面のトーンは明らかに違う。奥田サイドのユルさあふれるテイストと、木村カエラサイドの凝縮されたようなメリハリのある生活、その対比を魅せたかったということなんだろうか。女子高生のマナモ(木村カエラ)はミュージシャンとしての下積み的な生活を体現し、その到達点として奥田民生(本人役)が配置されている、という印象。
様々な登場人物はどこかしら非現実の匂いを漂わせている(おそらくこの作品の購買層を考えれば、ということだが)。木村カエラサイドに登場する人々は皆日常的な会話のやり取りをして普通に生活しているだけだが、格好やら行動やらが風変わりで、誰も彼もが人がいい。それゆえにシチュエーション自体はコメディテイストながら言外にちょっとした悲しみが感じられる。そうは言いながらも既存の青春群像劇の型ははずしていない。
普通なら奥田民生に(たとえば前述した夢の到達点として)あこがれる女子高生が出会う、という物語にしたほうがまとまりがいいのかもしれない。しかしこの作品ではマナモは彼女なりの日常の中で偶然に手渡されたチケットによって彼の元へ行くことになる。つまり、ミュージシャンとしては趣味の域を出ていない女性が何の思い入れもなく単なる娯楽の一環として観たパフォーマンス、そしてそのときに彼女が魅せる表情、それが結局のところこの作品のテーマを凝縮した瞬間なのだろう。
奥田民生の楽曲も数曲フルで演奏されるのでご安心を。映画的な演出のために使われているわけではなく・・・まぁBGMとしても使われてはいるが、彼の“ひとり股旅”の魅力を完全に抽出してある。しかしなぁ・・・このライヴの映像を観れば分かると思うんですが、これは相当なものですよ。球場を埋め尽くした観客が見守る中ピッチャーマウンド付近に据えられたこじんまりとしたステージで魅せる熱唱。音楽誌で情報だけは得ていたものの、面と向かって見せられると流石に心を揺さぶられる。これは洒落にならないなぁ。いろんな意味で。
奥田民生自身の打ち上げでの冗談めいたアイディアから生まれたたった一晩だけのコンサート、2004年10月30日たった一晩だけ開催された『ひとり股旅スペシャル@広島市民球場』。当初ドキュメントとしてスタートした本作の企画は、すでに伝説としてささやかれる"10.30"の奇跡的なパフォーマンスを受け、急遽変更。広島在住のマナモ&みなも姉妹の"メロディ"につき動かされる青春とコンサートシーンが融合した全く新しいエモーションの音楽青春ムービーとなった!主人公マナモは10.30タミオのコンサートになにを見るのか? そして「39才・ベテランロッカー」と「18才・女子高校生」の青春は10.30広島の空に響きあうのか?
この作品は、木村カエラが主人公となりストーリーを転がしつつ、ところどころで奥田民生のドキュメントが挟まれるという形をとっている。ライヴ会場としては今まで使われたことのない“広島市民球場”で、県出身である奥田民生のアコースティックライヴ“ひとり股旅”をやってみようじゃないか、という企画・・・それを映像化するにあたりドキュメント+ライヴという通常のリリース形態ではなく“映画”として製作するという遊び心のある作品になっている。ようはライヴDVDと映画の合作のような印象。というのも、ベテランミュージシャンであり独特の味を持つ奥田民生と映画の部分を担当する木村カエラは最後まで絡む事はない。しかも、各々の場面のトーンは明らかに違う。奥田サイドのユルさあふれるテイストと、木村カエラサイドの凝縮されたようなメリハリのある生活、その対比を魅せたかったということなんだろうか。女子高生のマナモ(木村カエラ)はミュージシャンとしての下積み的な生活を体現し、その到達点として奥田民生(本人役)が配置されている、という印象。
様々な登場人物はどこかしら非現実の匂いを漂わせている(おそらくこの作品の購買層を考えれば、ということだが)。木村カエラサイドに登場する人々は皆日常的な会話のやり取りをして普通に生活しているだけだが、格好やら行動やらが風変わりで、誰も彼もが人がいい。それゆえにシチュエーション自体はコメディテイストながら言外にちょっとした悲しみが感じられる。そうは言いながらも既存の青春群像劇の型ははずしていない。
普通なら奥田民生に(たとえば前述した夢の到達点として)あこがれる女子高生が出会う、という物語にしたほうがまとまりがいいのかもしれない。しかしこの作品ではマナモは彼女なりの日常の中で偶然に手渡されたチケットによって彼の元へ行くことになる。つまり、ミュージシャンとしては趣味の域を出ていない女性が何の思い入れもなく単なる娯楽の一環として観たパフォーマンス、そしてそのときに彼女が魅せる表情、それが結局のところこの作品のテーマを凝縮した瞬間なのだろう。
奥田民生の楽曲も数曲フルで演奏されるのでご安心を。映画的な演出のために使われているわけではなく・・・まぁBGMとしても使われてはいるが、彼の“ひとり股旅”の魅力を完全に抽出してある。しかしなぁ・・・このライヴの映像を観れば分かると思うんですが、これは相当なものですよ。球場を埋め尽くした観客が見守る中ピッチャーマウンド付近に据えられたこじんまりとしたステージで魅せる熱唱。音楽誌で情報だけは得ていたものの、面と向かって見せられると流石に心を揺さぶられる。これは洒落にならないなぁ。いろんな意味で。
香港国際警察 NEW POLICE STORY
2005年11月3日 映画
ジャッキー・チェン主演作品
ジャッキー・チェンの新作。なにやら非常に評判の良い作品。香港に舞い戻ったからなのか。とはいっても、ジャッキーはあくまでキーマンとして活躍しており、それ以上でもそれ以下でもない。
犯罪グループを追い、結果として部下を皆殺しにされたチャン警部(ジャッキー・チェン)は、その件で心が折れてしまい、すべての処世を投げ捨て酒に溺れることになる。そこに新任の警官と名乗る青年が現れることで、彼は現実へ舞い戻る事を強いられる。「あなたは警官なんだ!いい加減に思い出してください!」と叫ぶ新米警官と酒で酩酊したチャン警部のおぼつかないやり取りは身につまされる。酒で序盤は使い物にならないチャン警部も徐々に・・・あくまで“徐々に”だが、いつもの身体の切れや頭の切れを思い出していくことになる。悲しいかな、別れた同僚を忘れようとしても、殺した犯人たちはさらなる犯罪を犯そうとしているわけで。
ジャッキー・チェンの映画に普通存在するようなコメディテイストはこの作品においてはほとんど無い。人間としての、社会人としての再起を描いているように思える。それを若さゆえの軽い足取りで後押しする相棒の存在、周りの人間の心配、そういったものが物語のテーマとなっている。
昨今のネット事情を汲んだ作品にしてあるとは思うが、結局はアクションに回帰したという印象。シリアスな作風が上手い効果を挙げて日本でも評価を盛り返したようだ。
今や世界を代表するアクション・スターとなったジャッキー・チェンが古巣の香港映画界に完全復帰してお届けするアクション・エンタテインメント。ゲーム感覚で凶悪犯罪を続ける若者グループを追っていた香港警察のチャン警部(ジャッキー・チェン)は、彼らの罠にはまり、部下たちを皆殺しにされてしまう。失意のうちに生気を失い自暴自棄の日々を過ごす彼だったが、新たな相棒シウホン(ニコラス・ツェー)が現れ、やがて再び正義の心を取り戻していく……。ジャッキーの人気シリーズ『香港国際警察』の最新作。ただし、前3作と人物的な関連はない。さすがにしわの増えてきたジャッキーだが、ここでは妙に若作りせず年相応の渋い魅力を発散させながら初々しい若手スターたちを引き立てることにも成功している。とはいえ、アクションの切れに衰えなどまったくなく、またここでは特に前半部、非情なまでにハードな場面を設けて従来のジャッキー映画にはないダーク・テイストをも構築している。最近のハリウッド作品では味わえなかったジャッキー映画の新の醍醐味を久々堪能できる傑作である。
ジャッキー・チェンの新作。なにやら非常に評判の良い作品。香港に舞い戻ったからなのか。とはいっても、ジャッキーはあくまでキーマンとして活躍しており、それ以上でもそれ以下でもない。
犯罪グループを追い、結果として部下を皆殺しにされたチャン警部(ジャッキー・チェン)は、その件で心が折れてしまい、すべての処世を投げ捨て酒に溺れることになる。そこに新任の警官と名乗る青年が現れることで、彼は現実へ舞い戻る事を強いられる。「あなたは警官なんだ!いい加減に思い出してください!」と叫ぶ新米警官と酒で酩酊したチャン警部のおぼつかないやり取りは身につまされる。酒で序盤は使い物にならないチャン警部も徐々に・・・あくまで“徐々に”だが、いつもの身体の切れや頭の切れを思い出していくことになる。悲しいかな、別れた同僚を忘れようとしても、殺した犯人たちはさらなる犯罪を犯そうとしているわけで。
ジャッキー・チェンの映画に普通存在するようなコメディテイストはこの作品においてはほとんど無い。人間としての、社会人としての再起を描いているように思える。それを若さゆえの軽い足取りで後押しする相棒の存在、周りの人間の心配、そういったものが物語のテーマとなっている。
昨今のネット事情を汲んだ作品にしてあるとは思うが、結局はアクションに回帰したという印象。シリアスな作風が上手い効果を挙げて日本でも評価を盛り返したようだ。
イッセー尾形主演作品
村上春樹の短編集「レキシントンの幽霊」収録の「トニー滝谷」をイッセー尾形と宮沢りえ主演で映像化。精緻なイラストを書く事を生業としたトニー滝谷の孤独な半生を描く。
トニー滝谷という人物の幼少の頃からの孤独を、本人は気づかずとも観るものには分かるように描いて行き、その孤独が妻となる女性と出会うことで自覚され、さらに妻を失い孤独を感じる心だけが残り、それを埋めるためにちょっとした抵抗をしつつも、最終的には諦め孤独な日常へ戻っていく・・・というのが原作のおおまかな筋なのだが、今作ではオリジナルの演出を加え、トニー滝谷という人物に少し救いを持たせるような物語にしてある。
この作品は原作のテイストを忠実に再現することのみを最優先にしているという印象を受ける。村上春樹の世界観の魅力の一端である静謐で詩的でゆるやかな・・・こういう言い方は失礼かもしれないが、現実の時間の流れ方と異なったもう一つの時間を作り出す技術を踏襲しているように思える。結果、それはある程度成功していて、現実の猥雑さと喧騒を完全に除外した映像も相まって非常に鎮静作用の強い作品になっている。
今作は現在の作品とは思えないほど音の少ない作品になっている。モノローグをつらつらと述べた後に登場人物がそのモノローグに沿った台詞を述べることで、奇妙な味わいのようなものがある。ただ、物語が非常にスローペースで“間”を重視した作品であり、そのペースが現実から逸脱している為、リズムに乗り切るのに苦労するかもしれない。原作を読んでいるのなら再現性の高さに納得すること請け合い。
村上春樹原作の同名短編を、市川準監督が映画化。ジャズ・ミュージシャンの息子として生まれ、「トニー」という名を付けられた主人公がイラストレーターとなり、仕事先の編集部員、英子と結ばれる。幸せな結婚生活で唯一の問題は、英子が次々と新しい洋服を買うという依存症だった…。イッセー尾形がトニーを淡々と演じ、英子役の宮沢りえも、言いようのない焦燥感を絶妙に表現する(彼女は妻の“身代わり”となる女性と2役を好演)。ゆっくりと左方向へ動いていくパン(水平移動のカメラワーク)が心地よい。トニーの幼い頃の生活から、仕事、結婚生活と移りゆく日々が、走馬燈のように画面を流れていく。カメラと被写体の距離感は、市川監督の『病院で死ぬということ』を思い出させる。西島秀俊のナレーション、坂本龍一作曲のピアノ曲など、多くの要素がマッチした映像世界が伝えるのは、孤独であることの哀しさと心地よさの二面性。結局、人間は死ぬまで独りであると納得させられながらも、それはそれで辛いのだという思いが、ふつふつと湧き上がってくる。
村上春樹の短編集「レキシントンの幽霊」収録の「トニー滝谷」をイッセー尾形と宮沢りえ主演で映像化。精緻なイラストを書く事を生業としたトニー滝谷の孤独な半生を描く。
トニー滝谷という人物の幼少の頃からの孤独を、本人は気づかずとも観るものには分かるように描いて行き、その孤独が妻となる女性と出会うことで自覚され、さらに妻を失い孤独を感じる心だけが残り、それを埋めるためにちょっとした抵抗をしつつも、最終的には諦め孤独な日常へ戻っていく・・・というのが原作のおおまかな筋なのだが、今作ではオリジナルの演出を加え、トニー滝谷という人物に少し救いを持たせるような物語にしてある。
この作品は原作のテイストを忠実に再現することのみを最優先にしているという印象を受ける。村上春樹の世界観の魅力の一端である静謐で詩的でゆるやかな・・・こういう言い方は失礼かもしれないが、現実の時間の流れ方と異なったもう一つの時間を作り出す技術を踏襲しているように思える。結果、それはある程度成功していて、現実の猥雑さと喧騒を完全に除外した映像も相まって非常に鎮静作用の強い作品になっている。
今作は現在の作品とは思えないほど音の少ない作品になっている。モノローグをつらつらと述べた後に登場人物がそのモノローグに沿った台詞を述べることで、奇妙な味わいのようなものがある。ただ、物語が非常にスローペースで“間”を重視した作品であり、そのペースが現実から逸脱している為、リズムに乗り切るのに苦労するかもしれない。原作を読んでいるのなら再現性の高さに納得すること請け合い。
松尾スズキ主演作品
原作のほうを先に読んでいたので、ある程度筋は分かった上で観ることになったが、原作を忠実にトレースしているわけではなく、からっと明るい作品になっていた。
3人の患者(?)の日々の生活を描き、時折訪れる病院での珍妙なやり取りはほとんどコントに近い。主演は松尾スズキということに一応なってはいるが、3人に割かれた時間は多く、手触りとしては群像劇という印象で彼らに感情移入する形で楽しむ作品になっている。どこか抜けたユルい雰囲気で気楽に観ることができる。
原作のほうは、切迫した精神状態から病気ではないかと患者自身が判断し病院へ赴く。その切迫した部分をある程度の量描き、その緊張感と主人公の医者・伊良部の稚気溢れるユルさの対比が魅力の大部分になっていた。緊張感とユルさが相殺されフラットで安定した精神状態に先ず持って行き、そこで改めて自分を見直すことで正常な判断を下せるようになるという具合だ。しかしこの作品はその部分を踏襲せず、患者たちは病気の中でもそれなりに日常を送りどこかとぼけた味わいを出している。病気の特殊さゆえに笑えてしまうという部分を前面に出しているのだ。まぁ、精神の病を映像で魅せる以上、モノローグを多用するわけにも行かないだろうしそういう切り口しかなかったのだろうとは思う。しかしながら「変な病気を変な医者が治療する」という物語になっていて、原作では伊良部が患者にさりげない示唆をいくつも与えることで、伊良部が“意図的に”稚気溢れる振る舞いをしているという部分を匂わせていたが、今作では単に変で笑える医者という風に見えてしまった。
ただ、映像としての再現性は悪くない。絵的にはコレしかないだろうというレベルまで持っていっている。全体的な質を再現するわけではなく、映像化する意義というか・・・その絵的に笑える部分だけを押し進めてあるという印象。というか、あれこれ考えるよりも観て笑うという楽しみ方が吉。
伊良部総合病院の地下にある神経科の精神科医、伊良部のところに24時間勃起しっぱなしという病に冒された営業マン、家のガス・電気・鍵をしめたか気になって、何度も確認のために帰宅してしまう強迫神経症のルポライターなどの患者がやってくる。が、そんな患者たちも引きまくる変人の伊良部。患者を振り回し、いい加減な発言も多いが、その中には核心に迫る言葉もあり、患者たちは次第に伊良部にのせられていく…。直木賞を受賞した奥田英朗の『空中ブランコ』の伊良部シリーズ第1作が、松尾スズキ主演で映画化。松尾が自分の個性を伊良部にぶつけたことで、原作とは違う、映画版の新・伊良部が生まれた。しかし、松尾のひとり舞台と思いきや、勃起症の男を演じるオダギリジョー、神経症の市川実和子、ほかプール依存症の田辺誠一など患者を演じる役者たちの好演のおかげで、心の病がテーマの作品がユーモラスで後味さわやかな作品に。ストレスの捌け口を見いだせずに苦しんでいる人にオススメ。思い切り笑って心が軽くなること必至だ。監督はTVバラエティ&ドラマの演出を手掛けてきた三木聡。
原作のほうを先に読んでいたので、ある程度筋は分かった上で観ることになったが、原作を忠実にトレースしているわけではなく、からっと明るい作品になっていた。
3人の患者(?)の日々の生活を描き、時折訪れる病院での珍妙なやり取りはほとんどコントに近い。主演は松尾スズキということに一応なってはいるが、3人に割かれた時間は多く、手触りとしては群像劇という印象で彼らに感情移入する形で楽しむ作品になっている。どこか抜けたユルい雰囲気で気楽に観ることができる。
原作のほうは、切迫した精神状態から病気ではないかと患者自身が判断し病院へ赴く。その切迫した部分をある程度の量描き、その緊張感と主人公の医者・伊良部の稚気溢れるユルさの対比が魅力の大部分になっていた。緊張感とユルさが相殺されフラットで安定した精神状態に先ず持って行き、そこで改めて自分を見直すことで正常な判断を下せるようになるという具合だ。しかしこの作品はその部分を踏襲せず、患者たちは病気の中でもそれなりに日常を送りどこかとぼけた味わいを出している。病気の特殊さゆえに笑えてしまうという部分を前面に出しているのだ。まぁ、精神の病を映像で魅せる以上、モノローグを多用するわけにも行かないだろうしそういう切り口しかなかったのだろうとは思う。しかしながら「変な病気を変な医者が治療する」という物語になっていて、原作では伊良部が患者にさりげない示唆をいくつも与えることで、伊良部が“意図的に”稚気溢れる振る舞いをしているという部分を匂わせていたが、今作では単に変で笑える医者という風に見えてしまった。
ただ、映像としての再現性は悪くない。絵的にはコレしかないだろうというレベルまで持っていっている。全体的な質を再現するわけではなく、映像化する意義というか・・・その絵的に笑える部分だけを押し進めてあるという印象。というか、あれこれ考えるよりも観て笑うという楽しみ方が吉。
CINEMA BATON
2005年7月13日 映画「WHAT’S NEW PUSSYCAT!?」の瑠璃子さんからバトンを受け取りました
http://blog.so-net.ne.jp/pussycat/
*質問内容
・購入済みのDVDまたは録画済みビデオ本数の総計は?
・いま面白い映画はなにか?
・最後に見た映画は?(映画館とビデオorDVD鑑賞、双方あげてください)
・よく見る、または特別な思い入れのある映画を5つあげる
・バトンを渡すと言うよりもアンケートをお願いした方々。
1.購入済みのDVDまたは録画済みビデオ本数の総計は?
おそらく30本程度かと
2.今面白い映画は何か?
岩井俊二「花とアリス」をよく観返しています
3.最後に観た映画は?
映画は「電車男」、DVDは「誰も知らない」です
4.よく観る、または特別な思い入れのある映画を5本あげる
では順不同で・・・
・「マークスの山」
この作品の硬質な世界観が結構好みです
内容自体は重く、残酷な描写もあるんですが、
不思議な後味があって何回か観返しました
また、他の崔洋一監督作品を観たりもしたんですが、
少々オフビート過ぎてあまり馴染めませんでした
・「恋する惑星」
ウォン・カーウァイ監督の代表作ですね
「この作品にあるどこか詩的な趣は村上春樹的だ」
とどこかで読んだ事があるんですが、なるほど納得
少々メルヘンチックながら乾いたエピソードの数々は確かに似ています
最後のシーンからエンドロールに繋がる部分が結構グッと来ました
もちろん「エンドロールなのに背景が白だとまぶしすぎる」
という思いも人並みに感じたんですが・・・
・「奇跡(ミラクル)」
ジャッキー・チェンの作品
ジャッキー作品には珍しい普通のハートウォーミングストーリー
この系譜は「ゴージャス」なんかに繋がるんでしょうか
ただ、この作品はジャッキー映画の常連が脇をがっちりと固め、
なにより故アニタ・ムイが出演し歌声を披露している部分が高ポイント
アニタ・ムイを偲んで挙げてみました
・「バタアシ金魚」
筒井道隆主演作品。若き日の浅野忠信が出ていることでも有名です
僕が邦画を観出すきっかけになった作品です
原作の漫画の破天荒でギリギリなテイストを、
個人的に朴訥というイメージのあった筒井道隆が
あれほどまでに再現するとは思いませんでした
原作を読んでいたり、筒井の出演した作品をいくつか観ていれば、
さらに楽しめること請け合い
・「ビッグ・リボウスキ」
コーエン兄弟監督作品です
いつ観ても爆笑できるコメディ
シチュエーションが笑えるという状態に、
更なるボケを重ねて行く笑いは見事です
主人公たちが憎めないキャラクターというのも良いです
笑えるという部分においては他の追随を許さない作品ですね
5.バトンを渡すというよりもアンケートをお願いしたい方々
やはり、映画に特化したブログを運営しているという事で、
秋林瑞佳さんとnaoさんにお願いしたいと思います
それではよろしくです
http://blog.so-net.ne.jp/pussycat/
*質問内容
・購入済みのDVDまたは録画済みビデオ本数の総計は?
・いま面白い映画はなにか?
・最後に見た映画は?(映画館とビデオorDVD鑑賞、双方あげてください)
・よく見る、または特別な思い入れのある映画を5つあげる
・バトンを渡すと言うよりもアンケートをお願いした方々。
1.購入済みのDVDまたは録画済みビデオ本数の総計は?
おそらく30本程度かと
2.今面白い映画は何か?
岩井俊二「花とアリス」をよく観返しています
3.最後に観た映画は?
映画は「電車男」、DVDは「誰も知らない」です
4.よく観る、または特別な思い入れのある映画を5本あげる
では順不同で・・・
・「マークスの山」
この作品の硬質な世界観が結構好みです
内容自体は重く、残酷な描写もあるんですが、
不思議な後味があって何回か観返しました
また、他の崔洋一監督作品を観たりもしたんですが、
少々オフビート過ぎてあまり馴染めませんでした
・「恋する惑星」
ウォン・カーウァイ監督の代表作ですね
「この作品にあるどこか詩的な趣は村上春樹的だ」
とどこかで読んだ事があるんですが、なるほど納得
少々メルヘンチックながら乾いたエピソードの数々は確かに似ています
最後のシーンからエンドロールに繋がる部分が結構グッと来ました
もちろん「エンドロールなのに背景が白だとまぶしすぎる」
という思いも人並みに感じたんですが・・・
・「奇跡(ミラクル)」
ジャッキー・チェンの作品
ジャッキー作品には珍しい普通のハートウォーミングストーリー
この系譜は「ゴージャス」なんかに繋がるんでしょうか
ただ、この作品はジャッキー映画の常連が脇をがっちりと固め、
なにより故アニタ・ムイが出演し歌声を披露している部分が高ポイント
アニタ・ムイを偲んで挙げてみました
・「バタアシ金魚」
筒井道隆主演作品。若き日の浅野忠信が出ていることでも有名です
僕が邦画を観出すきっかけになった作品です
原作の漫画の破天荒でギリギリなテイストを、
個人的に朴訥というイメージのあった筒井道隆が
あれほどまでに再現するとは思いませんでした
原作を読んでいたり、筒井の出演した作品をいくつか観ていれば、
さらに楽しめること請け合い
・「ビッグ・リボウスキ」
コーエン兄弟監督作品です
いつ観ても爆笑できるコメディ
シチュエーションが笑えるという状態に、
更なるボケを重ねて行く笑いは見事です
主人公たちが憎めないキャラクターというのも良いです
笑えるという部分においては他の追随を許さない作品ですね
5.バトンを渡すというよりもアンケートをお願いしたい方々
やはり、映画に特化したブログを運営しているという事で、
秋林瑞佳さんとnaoさんにお願いしたいと思います
それではよろしくです
ネット発祥の原作を映画化
発祥となった2ちゃんねるでは予想を裏切る大好評、リピーター続出、公開期間延長、作中で使われた紅茶のブランド・ヴェノアもお手ごろ価格で通販開始などなど、御祭り騒ぎの今作。ネットで観ることのできる予告映像もなかなか面白かったので、迷いに迷った挙句観て来ました
一応ネットでログをすべて読んだ上で観たが、再現性はそれほど悪くない。原作では、殺伐とした人々が徐々に彼を応援していくという部分が感動を呼ぶが、映画ではいわゆる「名無し」を7人に絞り、彼らと主人公の交流という風な展開をする。原作では膨大な名無しの書き込みが記号的に見えたりすることもあるが、今作では人と人との交流をメインにしている。ただ、ネットを肯定的に描いているわけでもなく、現実の社会で問題を抱えた人間の逃避した場所という風に設定されていた
序盤はコメディタッチで進むが、ネタは2ちゃんねるからの引用が多く、「現実でこういう言葉を使うとこんなに気持ち悪いんだな」とどん引きすること請け合い。まぁ、主人公のオタクっぽさをアピールするという趣旨があるわけで、それは充分に伝わってくる。主人公は割と早い段階でルックス的に脱オタをするが、言動はオタ風味溢れ、「オタクが無理している」という笑いは崩れない。それは終盤まで続いていくことになるわけだが
名無し達の言動が定期的に挟まれ、画面を分割して同時進行的に写される。直接電車男にコメントをつけている部分は、書き込んだ文字をそのまま表示あるいは名無し自身が話すという演出になっている。電車男の登場を待ちつつも日常を送っている描写も挟まれ、各々の生活のスタイルが浮き彫りになる。引きこもりは絶えずPCの前に居て、オタク3人組は漫画喫茶で漫画を読みつつPCをチェックし、主婦は家事をしながらPCをつけ、看護婦は仕事が暇になった時にだけ休憩室でPCを開き、サラリーマンは仕事から帰ってきたらビールとつまみを片手に自室でくつろぎつつ参加する、という具合だ。そういった描写を挟むことで、単に応援しているだけではなく、応援することが彼らの生活の中である種の娯楽や慰安となっていることが分かるようになっている。ようは彼らも電車男を応援するという行為だけを楽しんでいるわけで、それが最後になると彼らの人生へ影響していくことに気づいていない。物語の後半は普通の恋愛モノという印象だが、電車男の葛藤や必死さは嫌味なく描かれ、それなりに感情移入して観ることができる
今作は原作をかなりディフォルメしてある。原作は漫画化もされているが、漫画のほうがより原作に忠実だ。電車男を見守る名無したちが実質的に物語を構築した原作とは違い、この作品は電車男自身をメインに据えている為、物語はより一般的になっているものの“電車男”という物語の本質的な部分というか売りである「匿名の人物たちが匿名であるがゆえに何の打算も無く純粋に一人の男性の恋を応援した」という部分をあまり描ききれていない。それを補完する為に、名無し7人を含む登場人物のほとんどを善人に描いてはいるが、それが結果的により寓話的に見えてしまい、逆説的にオタクに対する冷めた視線を感じることになるというか
また、主演の山田孝之が全編に渡って熱演していて、彼でなければ成り立たないのではないかと思うほど。役者一人一人に焦点を絞れば出演者はかなり良い演技をしていると思う。とはいっても技巧的な名演というわけではなく、情感のこもった演技ということだが。特に最後の告白シーンは理屈ぬきにグッと来た
優しい人々によって一つの恋が成就し、彼らもそれがきっかけとなりそれぞれ人生を少し良い方向に転がす。そういった意味合いで、非常に雰囲気の良い映画。観ていて嫌な気分になることはあまりないかと
予告はこちら(ネタバレしてます)
http://211.13.205.242/tvcm/densya/densya_1M.wmv
電車内で絡む酔っ払い爺から女性を助けた、ひとりのアキバ系ヲタ青年。彼女いない歴=年齢(22)の彼は、助けたお礼を送ってくれた彼女をデートに誘うべく、モテない独身男達が集うネットの掲示板に助けを求める。「めし どこか たのむ」「電車男」と呼ばれるようになった彼は、掲示板の住人たちの励ましや助言に後押しされて、ようやく彼女をデートに誘う。悩み、戸惑う電車男のピュアな気持ちは、仲間達を熱い共感と興奮の渦に巻きこんでいく……。「電車男」は果たして彼女に告白できるのか?
発祥となった2ちゃんねるでは予想を裏切る大好評、リピーター続出、公開期間延長、作中で使われた紅茶のブランド・ヴェノアもお手ごろ価格で通販開始などなど、御祭り騒ぎの今作。ネットで観ることのできる予告映像もなかなか面白かったので、迷いに迷った挙句観て来ました
一応ネットでログをすべて読んだ上で観たが、再現性はそれほど悪くない。原作では、殺伐とした人々が徐々に彼を応援していくという部分が感動を呼ぶが、映画ではいわゆる「名無し」を7人に絞り、彼らと主人公の交流という風な展開をする。原作では膨大な名無しの書き込みが記号的に見えたりすることもあるが、今作では人と人との交流をメインにしている。ただ、ネットを肯定的に描いているわけでもなく、現実の社会で問題を抱えた人間の逃避した場所という風に設定されていた
序盤はコメディタッチで進むが、ネタは2ちゃんねるからの引用が多く、「現実でこういう言葉を使うとこんなに気持ち悪いんだな」とどん引きすること請け合い。まぁ、主人公のオタクっぽさをアピールするという趣旨があるわけで、それは充分に伝わってくる。主人公は割と早い段階でルックス的に脱オタをするが、言動はオタ風味溢れ、「オタクが無理している」という笑いは崩れない。それは終盤まで続いていくことになるわけだが
名無し達の言動が定期的に挟まれ、画面を分割して同時進行的に写される。直接電車男にコメントをつけている部分は、書き込んだ文字をそのまま表示あるいは名無し自身が話すという演出になっている。電車男の登場を待ちつつも日常を送っている描写も挟まれ、各々の生活のスタイルが浮き彫りになる。引きこもりは絶えずPCの前に居て、オタク3人組は漫画喫茶で漫画を読みつつPCをチェックし、主婦は家事をしながらPCをつけ、看護婦は仕事が暇になった時にだけ休憩室でPCを開き、サラリーマンは仕事から帰ってきたらビールとつまみを片手に自室でくつろぎつつ参加する、という具合だ。そういった描写を挟むことで、単に応援しているだけではなく、応援することが彼らの生活の中である種の娯楽や慰安となっていることが分かるようになっている。ようは彼らも電車男を応援するという行為だけを楽しんでいるわけで、それが最後になると彼らの人生へ影響していくことに気づいていない。物語の後半は普通の恋愛モノという印象だが、電車男の葛藤や必死さは嫌味なく描かれ、それなりに感情移入して観ることができる
今作は原作をかなりディフォルメしてある。原作は漫画化もされているが、漫画のほうがより原作に忠実だ。電車男を見守る名無したちが実質的に物語を構築した原作とは違い、この作品は電車男自身をメインに据えている為、物語はより一般的になっているものの“電車男”という物語の本質的な部分というか売りである「匿名の人物たちが匿名であるがゆえに何の打算も無く純粋に一人の男性の恋を応援した」という部分をあまり描ききれていない。それを補完する為に、名無し7人を含む登場人物のほとんどを善人に描いてはいるが、それが結果的により寓話的に見えてしまい、逆説的にオタクに対する冷めた視線を感じることになるというか
また、主演の山田孝之が全編に渡って熱演していて、彼でなければ成り立たないのではないかと思うほど。役者一人一人に焦点を絞れば出演者はかなり良い演技をしていると思う。とはいっても技巧的な名演というわけではなく、情感のこもった演技ということだが。特に最後の告白シーンは理屈ぬきにグッと来た
優しい人々によって一つの恋が成就し、彼らもそれがきっかけとなりそれぞれ人生を少し良い方向に転がす。そういった意味合いで、非常に雰囲気の良い映画。観ていて嫌な気分になることはあまりないかと
予告はこちら(ネタバレしてます)
http://211.13.205.242/tvcm/densya/densya_1M.wmv
Blue in the Face
2005年6月23日 映画
ハーヴェイ・カイテル主演作品
この作品は映画「スモーク」のスピンオフとして製作された。とはいっても、映画を製作した際の現場の雰囲気の良さや楽しさで作られたようなので、本来のスピンオフの趣旨である“柳の下のドジョウ”という目論みとは毛色の違う、お遊びの要素の強い作品になっている
主人公としてハーヴェイ・カイテルは据えられているが、この作品は“群像劇”になっているため、彼に特別な魅力のようなものは与えていない。煙草屋の親父以上でも以下でもないのだ。そんな彼の周りには人の良い仲間たちが集まり、毒にも薬にもならない話をしたり、ラップをしたり、フラメンコギターを弾いたり、万引きしたり、誘惑したり、踊ったりする。その模様が物語の展開や伏線にもならずに続いて行き、まるでおまけのように“店の危機”という話が放り込まれる
この映画を久しぶりに見て再度確認したが、劇中で使われる音楽が非常に良い。多種多様な民俗音楽、ロック、ヒップホップなどが雑多に詰め込まれている。因みに沖縄の民謡も使われている。登場人物の年齢層が高いうえに若い登場人物が物語の主軸になるシーンがほとんどないので、感情移入して楽しむタイプの人には不向きかと思う。しかし、どこかの街で生き生きと暮らす人々が居るという視点をこの作品は与えてくれるし、それは等身大の視点なので彼らのユーモアのセンスはこちらの現実に応用可能だ。個人的にはそれだけで随分面白かった
ブルックリンで煙草屋を営む主人公は、暇な仲間たちと楽しく過ごしている。そんなある日、店のオーナーからこの店を畳むという話を告げられ・・・
この作品は映画「スモーク」のスピンオフとして製作された。とはいっても、映画を製作した際の現場の雰囲気の良さや楽しさで作られたようなので、本来のスピンオフの趣旨である“柳の下のドジョウ”という目論みとは毛色の違う、お遊びの要素の強い作品になっている
主人公としてハーヴェイ・カイテルは据えられているが、この作品は“群像劇”になっているため、彼に特別な魅力のようなものは与えていない。煙草屋の親父以上でも以下でもないのだ。そんな彼の周りには人の良い仲間たちが集まり、毒にも薬にもならない話をしたり、ラップをしたり、フラメンコギターを弾いたり、万引きしたり、誘惑したり、踊ったりする。その模様が物語の展開や伏線にもならずに続いて行き、まるでおまけのように“店の危機”という話が放り込まれる
この映画を久しぶりに見て再度確認したが、劇中で使われる音楽が非常に良い。多種多様な民俗音楽、ロック、ヒップホップなどが雑多に詰め込まれている。因みに沖縄の民謡も使われている。登場人物の年齢層が高いうえに若い登場人物が物語の主軸になるシーンがほとんどないので、感情移入して楽しむタイプの人には不向きかと思う。しかし、どこかの街で生き生きと暮らす人々が居るという視点をこの作品は与えてくれるし、それは等身大の視点なので彼らのユーモアのセンスはこちらの現実に応用可能だ。個人的にはそれだけで随分面白かった
LADY KILLERS
2005年6月14日 映画
コーエン兄弟監督、トム・ハンクス主演の犯罪映画
前評判があまり良くなかったので期待していなかったが、結論から言うとなかなか面白かった。コーエン兄弟作品特有のユーモアがあり相変わらず笑わせてくれた。トム・ハンクス主演のサスペンスタッチの犯罪映画みたいな煽り方だったので、映画の広告の打ち方間違ってますよと言いたくなったが・・・
物語はオフビート・・・というより、単にコメディタッチになっていて、トム・ハンクス率いる犯罪者たちが、犯罪者である事をひたすら隠そうとするもののボロがあちこちにでてしまい四苦八苦するという部分が面白さの中心になる。トム・ハンクスが選んだ仲間たちも自己主張が強く、結果的に犯罪が露呈するという展開になる。しかし、この作品の底に流れる田舎っぽさというか垢抜けなさが物語を笑える方向へ導いていく
この作品のトム・ハンクスは秀逸だ。近作だと「ロード・トゥ・パーディション」、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を観ているが、役者としてはトム・ハンクスという素の人格を出して演技するタイプだと思っていた。例えばブルース・ウィリス的な、どの映画でも同じキャラで通すしそれを求められてキャスティングされているといったような役者というか。ところが今回のトム・ハンクスは全く違う。スノッブで上品、だが間の抜けた犯罪者という役柄を、少し太りひげを生やしつつ粗野ではないような振る舞いと見た目に仕上げ、今まで観たことのない役柄を作り上げていた
上品で洒落の利いた作品に仕上がっている。なかなか良いです
ジョエル&イーサン・コーエンの兄弟が、初めて共同監督としてクレジットされたクライム・コメディー。自称「教授」が率いる犯罪集団が、信心深い女主人がひとりで暮らす下宿屋を借り、地下室から係留されたカジノ船の金庫までトンネルを掘り進む。計画は成功するも、すべてが女主人にばれてしまい、教授らは彼女を始末しようとするが…。元ネタは1955年の傑作『マダムと泥棒』。舞台はロンドンからアメリカ南部に移された。コーエン兄弟のオフビートなコメディー感覚が生かされるのは、とても腕利きの犯罪者には見えない5人組のキャラクター設定だ。5人が勘違いの行動でとぼけた笑いを誘うが、やはり場をさらうのは、インテリ教授を大げさな表情とセリフ回しで演じるトム・ハンクス。マイペースを貫く女主人役イルマ・P・ホールも、ハンクスに劣らぬ存在感を発揮する。物語は後半、ブラックな展開もみせるものの、全体としては、かつてのコーエン作品にあった強烈な毒気は感じられない。犯罪モノとしてはドラマの流れが停滞気味だが、小粋なコメディとして観れば楽しめるはず
前評判があまり良くなかったので期待していなかったが、結論から言うとなかなか面白かった。コーエン兄弟作品特有のユーモアがあり相変わらず笑わせてくれた。トム・ハンクス主演のサスペンスタッチの犯罪映画みたいな煽り方だったので、映画の広告の打ち方間違ってますよと言いたくなったが・・・
物語はオフビート・・・というより、単にコメディタッチになっていて、トム・ハンクス率いる犯罪者たちが、犯罪者である事をひたすら隠そうとするもののボロがあちこちにでてしまい四苦八苦するという部分が面白さの中心になる。トム・ハンクスが選んだ仲間たちも自己主張が強く、結果的に犯罪が露呈するという展開になる。しかし、この作品の底に流れる田舎っぽさというか垢抜けなさが物語を笑える方向へ導いていく
この作品のトム・ハンクスは秀逸だ。近作だと「ロード・トゥ・パーディション」、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を観ているが、役者としてはトム・ハンクスという素の人格を出して演技するタイプだと思っていた。例えばブルース・ウィリス的な、どの映画でも同じキャラで通すしそれを求められてキャスティングされているといったような役者というか。ところが今回のトム・ハンクスは全く違う。スノッブで上品、だが間の抜けた犯罪者という役柄を、少し太りひげを生やしつつ粗野ではないような振る舞いと見た目に仕上げ、今まで観たことのない役柄を作り上げていた
上品で洒落の利いた作品に仕上がっている。なかなか良いです
カンヌ映画祭で高評価を受けたセミ・ドキュメンタリー
この作品は80年代後半にあった実際の事件を基にしているらしい。当時は4人の子供を部屋に置き去りにしほとんど援助をしなかった母親に焦点が当たり、あれこれと問題視されたようだ。しかし、この作品では子供を置き去りにした母親の視点ではなく、置き去りにされた子供の生き様を丁寧に描写する
それぞれ父親の違う4人の子供たち。主人公である明(あきら)は、身勝手に遊びまわる母親や去ってしまった父親の代わりに家庭を維持しようとしている。子供たちは明を含め皆母親に対する愛情があるが、母親は新しい男性を見つけ幸せになりたいという願望があり、それが叶うと躊躇なく子供たちを捨て新たな人生を歩みだす。わずかなお金と共に残された子供たちは事態を受け入れきれず、長男である明がなんとか生き延びる為にあれこれと手を尽くしていく
物語が平板でこれと言った展開がないので少々進行が遅いように感じる。金が無いことで水道電気ガスが止められ、コンビニの廃棄を好意で分けてもらい食いつなぐという生活になっていく。着ているものもどんどんボロボロになっていく。生活が追い詰められた頃に不登校の女子高生と出会い“外の視点”が入ることで、彼らの送る生活が明らかに歪んだものである事を浮き彫りにしている
家に閉じこもっている兄弟たちの中で唯一外に出る役割を果たす明は、その年齢相応の楽しみを見出そうとする。ゲームセンターで知り合った友達の心をつなぎとめるために苦しい家計を省みずゲームソフトを購入したり、少年野球に混ざったりする。彼の年齢なら普通である出来事も、彼らの置かれた境遇との対比で輝かしいものとして表現されている
ドキュメンタリーということで、余計な解釈は入れず淡々と話は進んでいく。しかし、庇護下に在るべき彼らが社会的弱者になり生き延びていくさまをひたすらカメラは追う。これが外国の作品であればたくましさの表現などもありそうなものだが、そういったことも特になく、ただ人間が磨り減っていくやりきれなさが残る。物語のクライマックスとして悲劇は起こるが、それを契機に何かが変わるということもない。淡々と日常を送る描写をして物語は終わる
正直、観ていてつらい映画だった。ただ、社会の暗部を描いた作品というよりも、彼らがその状況下で見せる純粋さのようなものを描きたかったのだろうとは思う。主人公たちが与えられてしかるべきものをいくつも与えられずにいることで、相対的にこちらの恵まれた環境を揶揄されているような気もしてつらい。しかし、それだけの作品ではないかとも思うのだが
『ワンダフルライフ』『ディスタンス』の是枝裕和による、劇場用長編第4作。1988年に東京で実際に起きた「子ども置き去り事件」をモチーフにし、母親に置き去りにされた4人の子どもたちが、彼らだけの生活を続ける約1年を描いている。撮影にも1年以上をかけた入魂の一作だ。撮影時、子どもたちに台本は渡されず、監督のその場の指示で演技させたという。そんな独特の演出スタイルによって生み出された、生々しくもみずみずしい空気感が素晴らしい。彼らの感情が、頭を介してではなく心に直に入ってくるような不思議な感覚を覚える。そんなセミ・ドキュメンタリー的手法の一方でドラマとしての求心力を失うことがないあたりも監督の力量を感じるところだ。カンヌ映画祭において、最優秀男優賞を史上最年少で受賞した柳楽優弥をはじめ、子どもたち全員の存在感が白眉。母親を演じたYOUら大人のキャストも見事にその世界に寄り添っている
この作品は80年代後半にあった実際の事件を基にしているらしい。当時は4人の子供を部屋に置き去りにしほとんど援助をしなかった母親に焦点が当たり、あれこれと問題視されたようだ。しかし、この作品では子供を置き去りにした母親の視点ではなく、置き去りにされた子供の生き様を丁寧に描写する
それぞれ父親の違う4人の子供たち。主人公である明(あきら)は、身勝手に遊びまわる母親や去ってしまった父親の代わりに家庭を維持しようとしている。子供たちは明を含め皆母親に対する愛情があるが、母親は新しい男性を見つけ幸せになりたいという願望があり、それが叶うと躊躇なく子供たちを捨て新たな人生を歩みだす。わずかなお金と共に残された子供たちは事態を受け入れきれず、長男である明がなんとか生き延びる為にあれこれと手を尽くしていく
物語が平板でこれと言った展開がないので少々進行が遅いように感じる。金が無いことで水道電気ガスが止められ、コンビニの廃棄を好意で分けてもらい食いつなぐという生活になっていく。着ているものもどんどんボロボロになっていく。生活が追い詰められた頃に不登校の女子高生と出会い“外の視点”が入ることで、彼らの送る生活が明らかに歪んだものである事を浮き彫りにしている
家に閉じこもっている兄弟たちの中で唯一外に出る役割を果たす明は、その年齢相応の楽しみを見出そうとする。ゲームセンターで知り合った友達の心をつなぎとめるために苦しい家計を省みずゲームソフトを購入したり、少年野球に混ざったりする。彼の年齢なら普通である出来事も、彼らの置かれた境遇との対比で輝かしいものとして表現されている
ドキュメンタリーということで、余計な解釈は入れず淡々と話は進んでいく。しかし、庇護下に在るべき彼らが社会的弱者になり生き延びていくさまをひたすらカメラは追う。これが外国の作品であればたくましさの表現などもありそうなものだが、そういったことも特になく、ただ人間が磨り減っていくやりきれなさが残る。物語のクライマックスとして悲劇は起こるが、それを契機に何かが変わるということもない。淡々と日常を送る描写をして物語は終わる
正直、観ていてつらい映画だった。ただ、社会の暗部を描いた作品というよりも、彼らがその状況下で見せる純粋さのようなものを描きたかったのだろうとは思う。主人公たちが与えられてしかるべきものをいくつも与えられずにいることで、相対的にこちらの恵まれた環境を揶揄されているような気もしてつらい。しかし、それだけの作品ではないかとも思うのだが
Reality Bites
2005年5月30日 映画
ウィノナ・ライダー主演作品
深夜にBS2で放送されていたので久しぶりに観てみた
ルームシェアをしている4人の男女がつるんで遊びまわったり語り合ったりといった作品。主役のウィノナ・ライダーは上昇志向があり(精神的な)若さ溢れる女性を演じている。同居しているイーサン・ホークは彼女が他の男性と恋愛をしているのを(同居しているがゆえに)目の当たりにすることで彼女への想いに気づきアプローチをする。この2人の恋愛が軸となり、若者特有の価値観をコメディタッチで描いている
今回再び観て感心したのは、若者の価値観を非常に上手く抽出してあるということ。当時の自分にはなんの珍しさもない当たり前にあるものだったので、普通に同時代性を感じ洒落の利いたやりとりや佇まいや生活の楽しげな印象に目を奪われ・・・ようはスタイルだけを観ていたという・・・。現在観ると主人公の時流に踊らされた表現への憧れや自分を過信している部分や現実を観ずに理想を追っている部分などが目に付き自分を省みて恥ずかしさが襲ってくる。イーサン・ホークの弱さと暖かな愛情も今なら共感できる・・・ような気もする
まぁ、ウィノナ・ライダーを魅力的に描くという部分ははずしていないし、実際若かりしウィノナはとても魅力的だと思う。懐かしかったです
大学を出てテレビ局に勤めたリレイナは、毎日同じ仕事の繰り返しにうんざり。彼女は自分たち世代を表現したドキュメンタリー制作を夢見ていた。そこへMTV編成局長のマイケルが現れる…。すべてが混合した90年代、その代表的若者世代「ジェネレーションX」を浮き彫りにした秀作だ。過去の世代に反発しながらも、自分たちの答えが見つからない。そんな世代をウィノナ・ライダー、イーサン・ホーク、ジャニーン・ギャロファロ、スティーブ・ザーンの4人が見事に演じる。監督兼、自ら少し世代が上のマイケルを演じるのは、これが監督デビュー作となったベン・スティラー。リアリティ・バイツ=現実は厳しいという、若者たちの正直な実感をすくい上げた秀作だ
深夜にBS2で放送されていたので久しぶりに観てみた
ルームシェアをしている4人の男女がつるんで遊びまわったり語り合ったりといった作品。主役のウィノナ・ライダーは上昇志向があり(精神的な)若さ溢れる女性を演じている。同居しているイーサン・ホークは彼女が他の男性と恋愛をしているのを(同居しているがゆえに)目の当たりにすることで彼女への想いに気づきアプローチをする。この2人の恋愛が軸となり、若者特有の価値観をコメディタッチで描いている
今回再び観て感心したのは、若者の価値観を非常に上手く抽出してあるということ。当時の自分にはなんの珍しさもない当たり前にあるものだったので、普通に同時代性を感じ洒落の利いたやりとりや佇まいや生活の楽しげな印象に目を奪われ・・・ようはスタイルだけを観ていたという・・・。現在観ると主人公の時流に踊らされた表現への憧れや自分を過信している部分や現実を観ずに理想を追っている部分などが目に付き自分を省みて恥ずかしさが襲ってくる。イーサン・ホークの弱さと暖かな愛情も今なら共感できる・・・ような気もする
まぁ、ウィノナ・ライダーを魅力的に描くという部分ははずしていないし、実際若かりしウィノナはとても魅力的だと思う。懐かしかったです
SURVIVE STYLE 5+
2005年4月30日 映画
浅野忠信主演作品
浅野忠信のモノローグで始まるこの作品は、5つの物語が並行し進む。1つめは浅野忠信が暴力を振るう妻を殺害するも家に帰ると妻が生き返っており襲い掛かってくるという少々シュールなもので、2つめはCMプランナーをしている小泉今日子の日常、3つめはロンドンの殺し屋と通訳の荒川良々の物語、4つめは催眠術にかけられ自分を鳥だと思い込んでしまった岸部一徳とその家族の物語、5つめはチンピラ3人組の物語。所々で登場人物が交錯し、物語全体に殺し屋と荒川良々が絡んでいく形をとる。
浅野忠信の物語は何度も生き返る妻を殺しては埋めを繰り返すだけだが、(日本にしては広い)家の中だけで起こる物語で、衣装やインテリアのポップなデザインの効果もあり淡々としたテンドンといった按配で独特の味があり、あまりにも何度も繰り返されるのでだんだん笑えてくる。ロンドンの殺し屋役をしているのはスナッチでも殺し屋をしていた俳優で、こわもてな彼と荒川良々の対比が面白い。小泉今日子の物語は話が地味な所為か、彼女が思いついたCMを再現するシーンを挿入したり、阿部寛や千葉真一が登場するなど工夫を凝らしている。岸部一徳の話はどこか物悲しく・・・まぁひたすら鳩の真似をしている岸部一徳を見て「岸部さん・・・」と悲しくなってしまうわけだが、おかしくなった夫と暮らす家族の切なさを淡々と描いている。チンピラ3人組の話は簡単に言ってしまうとコントだ。チンピラの1人はホモで、つるんでいる仲間の1人に惚れていて、何かあるたびに思わせぶりな態度をとり見つめあう。そのバックに流れるのは石野卓球岡村靖幸の「Come baby」だ。こいつらは出てくるたびにこのコントを繰り返すだけで、しょうもないが少々笑える。因みにこの作品は全体的に衣装やセットのデザインが過剰でダサいのかなんなのかよく分からないがとりあえず映画を独自の雰囲気にするのには一役買っている
とりあえず、阿部寛と小泉今日子はサブカル演技はしないほうが良いと思う。彼らは少々ユルいドラマのほうが映えると思うので。というか、この作品は浅野忠信が美味しいところは全て持っていっているのでトータルで観た場合彼らもスパイスとして効いているのかもしれない。基本的に様々な視点を次々に切り替えることで飽きさせず魅せてくれるのでそれなりに面白い。ただ、最後のシーンは個人的に如何なものかと思った。「岸部さん・・・」と遠い目をしてしまうこと請け合い
CM界のトップクリエイター・多田琢と関口現が手掛けた斬新なスタイリッシュコメディ。錚々たる俳優陣が個性的なキャラクターに扮した5つの物語が展開。それは後に交錯し、事態は急展開を見せる。出演は浅野忠信、橋本麗香、小泉今日子、阿部寛ほか
浅野忠信のモノローグで始まるこの作品は、5つの物語が並行し進む。1つめは浅野忠信が暴力を振るう妻を殺害するも家に帰ると妻が生き返っており襲い掛かってくるという少々シュールなもので、2つめはCMプランナーをしている小泉今日子の日常、3つめはロンドンの殺し屋と通訳の荒川良々の物語、4つめは催眠術にかけられ自分を鳥だと思い込んでしまった岸部一徳とその家族の物語、5つめはチンピラ3人組の物語。所々で登場人物が交錯し、物語全体に殺し屋と荒川良々が絡んでいく形をとる。
浅野忠信の物語は何度も生き返る妻を殺しては埋めを繰り返すだけだが、(日本にしては広い)家の中だけで起こる物語で、衣装やインテリアのポップなデザインの効果もあり淡々としたテンドンといった按配で独特の味があり、あまりにも何度も繰り返されるのでだんだん笑えてくる。ロンドンの殺し屋役をしているのはスナッチでも殺し屋をしていた俳優で、こわもてな彼と荒川良々の対比が面白い。小泉今日子の物語は話が地味な所為か、彼女が思いついたCMを再現するシーンを挿入したり、阿部寛や千葉真一が登場するなど工夫を凝らしている。岸部一徳の話はどこか物悲しく・・・まぁひたすら鳩の真似をしている岸部一徳を見て「岸部さん・・・」と悲しくなってしまうわけだが、おかしくなった夫と暮らす家族の切なさを淡々と描いている。チンピラ3人組の話は簡単に言ってしまうとコントだ。チンピラの1人はホモで、つるんでいる仲間の1人に惚れていて、何かあるたびに思わせぶりな態度をとり見つめあう。そのバックに流れるのは石野卓球岡村靖幸の「Come baby」だ。こいつらは出てくるたびにこのコントを繰り返すだけで、しょうもないが少々笑える。因みにこの作品は全体的に衣装やセットのデザインが過剰でダサいのかなんなのかよく分からないがとりあえず映画を独自の雰囲気にするのには一役買っている
とりあえず、阿部寛と小泉今日子はサブカル演技はしないほうが良いと思う。彼らは少々ユルいドラマのほうが映えると思うので。というか、この作品は浅野忠信が美味しいところは全て持っていっているのでトータルで観た場合彼らもスパイスとして効いているのかもしれない。基本的に様々な視点を次々に切り替えることで飽きさせず魅せてくれるのでそれなりに面白い。ただ、最後のシーンは個人的に如何なものかと思った。「岸部さん・・・」と遠い目をしてしまうこと請け合い
松尾スズキ監督作品
作品紹介が充実しているので上記を参照されたし
この作品は、アニメを含む「オタク」文化をテーマに据えている。ストーリーはつけたしのようなもので、くっつきそうでくっつかないというオタ系ラブコメを踏襲している。一番の見所はオタク文化の料理っぷりで、知らない方には奇異に写る生態をほとんど説明なしで描写している。ただ、オタクの役割をヒロインに振ってあるので、抵抗感はあまり感じずに済むと思う。ゲストも(一部の層には)豪華で、内田春菊や山本直樹、安野モヨコや庵野秀明がチョイ役で登場する。ただ、はっきりと確認できるのは安野モヨコと庵野秀明だけだが。アニメのコスプレを売りにしたイメクラの店長役で三池崇史も登場。このイメクラの看板が「綾波レイ始めました」というもので、その15分後に庵野秀明が普通に登場したのには笑った
基本的に御祭り感を楽しむ作品。台詞回しもテンポがよく気が利いていてするすると観る事ができるはず
石で漫画を描く、自称・漫画芸術家の蒼木門は、バイト先でアニメおたくのコスプレOLの証恋乃と知り合う。彼女の家で飲んだ勢いでいい雰囲気になったが、恋乃にアニメのコスプレをさせられたり、アニメ歌手のファンの集いでいい感じになったが、酔っぱらって彼女の顔に吐いてしまうなど、なかなか結ばれないふたり。そんなことしているうちに門のバイト先の店長が恋乃にほれて、彼女を取り合う羽目に…。「大人計画」の松尾スズキの監督デビュー作。門と恋乃のラブストーリーは、コスプレ好きのアニメおたく&誰にも理解されない漫画芸術家という風変わりな男女ゆえ、夢のようなラブストーリーの対極にあるけれど、主演の松田龍平と酒井若菜のはじけっぷりはキュート、演出はポップ、ジョークはブラックと、全編うれしい驚きの連続。松尾スズキの映画監督としての類まれなる才能に驚くこと必至だ。脇をしめる大竹しのぶ、平泉成、大竹まこと、田辺誠一、忌野清志郎も印象的。原作は羽生生純の同名漫画
作品紹介が充実しているので上記を参照されたし
この作品は、アニメを含む「オタク」文化をテーマに据えている。ストーリーはつけたしのようなもので、くっつきそうでくっつかないというオタ系ラブコメを踏襲している。一番の見所はオタク文化の料理っぷりで、知らない方には奇異に写る生態をほとんど説明なしで描写している。ただ、オタクの役割をヒロインに振ってあるので、抵抗感はあまり感じずに済むと思う。ゲストも(一部の層には)豪華で、内田春菊や山本直樹、安野モヨコや庵野秀明がチョイ役で登場する。ただ、はっきりと確認できるのは安野モヨコと庵野秀明だけだが。アニメのコスプレを売りにしたイメクラの店長役で三池崇史も登場。このイメクラの看板が「綾波レイ始めました」というもので、その15分後に庵野秀明が普通に登場したのには笑った
基本的に御祭り感を楽しむ作品。台詞回しもテンポがよく気が利いていてするすると観る事ができるはず
School of Rock
2005年3月13日 映画
ジャック・ブラック主演のコメディ
主人公はバンドで大成したいと願っているものの上手く行かず、友人の家へ転がり込んでいる状態。自らが作ったバンドも追い出され、新たなバンドを作って見返してやりたいと考えている。ある日友人に家賃を要求された主人公は、金を作るために名門の小学校に経歴を詐称して臨時教員として赴任する。当初は適当にやって金を作るだけのつもりだったが、クラスの音楽の授業で才能のある生徒を見つけ、彼らを利用してバンドを結成しようと画策する
この作品は、主人公のロックへの思いに共感できなければ単なるコメディになる。主人公がロックのカタルシスやグルーヴの良さをなんとか伝えようとあれこれパフォーマンスする様は程度の差こそあれ誰もが通った道で、思わず身につまされる。ジャック・ブラックの伝達能力はかなりのもので、観ているこちらも納得してしまう。もちろんコメディとしても面白く、主人公が生徒たちに“ロック史”を教え込むシーンは爆笑ものだ
ストーリーははっきり言って子供向けだが、それをなんとか観れるようにしているのはジャック・ブラック1人の功績だと思う。つまり、ジャック・ブラックが肌にあわない方にとっては魅力の無い作品になるかもしれない。個人的には結構面白かった作品
友人になりすまして名門小学校の代用教員になったロック・ミュージシャンのデューイ。教えることのない彼は、本業のロックの知識と精神を語り始める。やがて生徒たちも興味を示し、クラス全員でこっそりバンドバトルに出場することに…。ダメ教師が生徒たちのやる気を引き出し、生徒からも影響を受けるという、下手をしたらいくらでもあざとくなるテーマだが、ミュージシャンでもある怪優ジャック・ブラックの水を得た魚のような熱演と、個性的な子役たちの名演技で、心の底から笑える痛快作になった。本作のおもしろさにして特徴は、生徒それぞれに役割が与えられる点。ステージに立つメンバーだけでなく、マネージャーやセキュリティーなど裏方の大切さが無理なく教えられ、デューイと生徒に育まれるきずなにすんなり共感してしまう。それだけなら単なるヒューマンな感動作だが、随所に込められたロックのうんちくで、コアな音楽ファンもニヤリとさせる。「ファミリー」と「オタク」。一見、相容れない両者をともに大満足させる希有な一作。文句なしに楽しめる!
主人公はバンドで大成したいと願っているものの上手く行かず、友人の家へ転がり込んでいる状態。自らが作ったバンドも追い出され、新たなバンドを作って見返してやりたいと考えている。ある日友人に家賃を要求された主人公は、金を作るために名門の小学校に経歴を詐称して臨時教員として赴任する。当初は適当にやって金を作るだけのつもりだったが、クラスの音楽の授業で才能のある生徒を見つけ、彼らを利用してバンドを結成しようと画策する
この作品は、主人公のロックへの思いに共感できなければ単なるコメディになる。主人公がロックのカタルシスやグルーヴの良さをなんとか伝えようとあれこれパフォーマンスする様は程度の差こそあれ誰もが通った道で、思わず身につまされる。ジャック・ブラックの伝達能力はかなりのもので、観ているこちらも納得してしまう。もちろんコメディとしても面白く、主人公が生徒たちに“ロック史”を教え込むシーンは爆笑ものだ
ストーリーははっきり言って子供向けだが、それをなんとか観れるようにしているのはジャック・ブラック1人の功績だと思う。つまり、ジャック・ブラックが肌にあわない方にとっては魅力の無い作品になるかもしれない。個人的には結構面白かった作品
ウィル・スミス主演のSFサスペンス
刑事を演じるウィル・スミスは巨大企業の重役である博士の自殺現場に呼び出される。そこには博士の遺書と思われるホログラムの会話装置が残されていた。現場を検証した際現れたロボット、サニーにより、博士が開発していたロボットがロボット三原則を破ることができるようにプログラムされている=人間を殺すことができることを知る。刑事は博士の助手だった女性と組み、事件を突き止めるために奔走するが・・・
この作品はバランスが良い。エンターテイメントの要素が強く、未来を舞台にした単なるサスペンスだと思い観て行くと、作り上げられた世界観(これは原案の力だと思うが)と、構築を可能にするCGのおかげで視覚的な刺激もあり、人の役に立つように作られたロボットが反旗を翻すという物語のテーマも相まって、観るのに苦労しない割りに受け取る面白みは大きい。以前なら大々的に宣伝に使われていたようなCG技術をさらっと使っている部分もポイントだ
ロボットが社会の一部となりつつある2035年を舞台にしたSFアクション。「人間に危害を加えてはいけない」などロボット3原則を守っていた家庭用ロボットが、殺人事件の容疑者となる。“ロボット嫌い”の刑事と、人間に近い感情を持つ最新ロボット「サニー」の攻防とともに、ロボット開発会社にうごめく陰謀や、進化したロボットの恐怖が明らかになっていく。原案となったのは、SF小説の巨匠アイザック・アシモフの「われはロボット」。ボディは半透明で、人間に近い表情も見せるロボットは、これまでの映画にはなかった斬新なデザイン。ロボットたちが犬の散歩や宅配便で当然のように行き来する都市をはじめ、さまざまなハイテク・グッズもそろった近未来社会が、リアルな映像で目の前に広がる。主人公の刑事がアナログ志向というのも、ドラマに奥行きを加味。演じるウィル・スミスは、刑事の内面だけでなく、大量のロボット軍団を相手にした激しいバトルもいきいきと演じている。アクション場面の迫力もさることながら、人間と機械の関係にフォーカスしたテーマが全体をしっかりと支え、ラストは哲学的な香りさえ漂う。完成度の高いSF作品になった
刑事を演じるウィル・スミスは巨大企業の重役である博士の自殺現場に呼び出される。そこには博士の遺書と思われるホログラムの会話装置が残されていた。現場を検証した際現れたロボット、サニーにより、博士が開発していたロボットがロボット三原則を破ることができるようにプログラムされている=人間を殺すことができることを知る。刑事は博士の助手だった女性と組み、事件を突き止めるために奔走するが・・・
この作品はバランスが良い。エンターテイメントの要素が強く、未来を舞台にした単なるサスペンスだと思い観て行くと、作り上げられた世界観(これは原案の力だと思うが)と、構築を可能にするCGのおかげで視覚的な刺激もあり、人の役に立つように作られたロボットが反旗を翻すという物語のテーマも相まって、観るのに苦労しない割りに受け取る面白みは大きい。以前なら大々的に宣伝に使われていたようなCG技術をさらっと使っている部分もポイントだ
ファインディング・ニモ
2005年2月10日 映画
海を舞台にしたCGアニメーション
日本語吹き替えか英語か迷ったが、この手の作品は吹き替えの役者が華の一つらしいので、吹き替えで見ることにした。因みに、木梨憲武や室井滋、やまだひさし、さかなクンなどが声優をしている
観て先ず思ったのは、映像が非常に綺麗ということ。海のトロピカルさを表現した序盤の映像は、生活をする場としては魅力的だし、全編海の心地よさをきちんと表現してある。物語は主人公のマーリンとニモのシーンが交互に描かれるが、上手いところで切って次のシーンに繋げているので興味が途切れることが無い。サメの獰猛さや鯨の存在感などがきちんと描かれ効果的に挿入されることで物語にメリハリがついている
声優陣は頑張っているが、マーリン役の木梨の声はクセがあり、どうしても彼の顔がちらついてしまう。他のキャストは言われないと分からないほど物語に溶け込んでいた。もしかしたら英語で観たほうが良いかもしれない
物語の展開が読めないのでなかなか面白かったが、個人的に海が苦手なので、海の深さや鯨の大きさを描いたシーンはつらかった。子供向けとしてはかなり高品質な作品だと思う
楽しい海の世界が繰り広げられるピクサー製作の冒険アニメーション『ファインディング・ニモ』。心配症のカクレクマノミ、マーリン(声:アルバート・ブルックス)の息子ニモがダイバーに捕まってしまった。息子を探しに、大海―きめ細かい描写に脱帽―へと旅立つマーリン。旅の途中で忘れっぽいナンヨウハギのドリー(エレン・デジェネレス)に出会い、助けられたり、足を引っ張られたり、その両方だったり。サメ、深海に潜むアンコウ、毒クラゲの大群、ウミガメ、ペリカン、といったたくさんの海の生き物たちと出会い、絶叫マシンに乗っているかのようなスリル満点の―テーマパークのアトラクションよろしく10分とたたないうちに次のハラハラがやってくる、そんな珍道中を経てマーリンは心配症を克服していく。ピクサーはこれまでも一連の作品(『トイ・ストーリー』、『バグズ・ライフ』、『トイストーリ−2』、『モンスター・インク』)でその芸術性をいかんなく発揮し、興業収入でも文句なしの大成功を収めている。声の出演は他にウィレム・デフォー、ジェフリー・ラッシュ、アリソン・ジャニーら
日本語吹き替えか英語か迷ったが、この手の作品は吹き替えの役者が華の一つらしいので、吹き替えで見ることにした。因みに、木梨憲武や室井滋、やまだひさし、さかなクンなどが声優をしている
観て先ず思ったのは、映像が非常に綺麗ということ。海のトロピカルさを表現した序盤の映像は、生活をする場としては魅力的だし、全編海の心地よさをきちんと表現してある。物語は主人公のマーリンとニモのシーンが交互に描かれるが、上手いところで切って次のシーンに繋げているので興味が途切れることが無い。サメの獰猛さや鯨の存在感などがきちんと描かれ効果的に挿入されることで物語にメリハリがついている
声優陣は頑張っているが、マーリン役の木梨の声はクセがあり、どうしても彼の顔がちらついてしまう。他のキャストは言われないと分からないほど物語に溶け込んでいた。もしかしたら英語で観たほうが良いかもしれない
物語の展開が読めないのでなかなか面白かったが、個人的に海が苦手なので、海の深さや鯨の大きさを描いたシーンはつらかった。子供向けとしてはかなり高品質な作品だと思う
love actually
2005年2月5日 映画
「ノッティングヒルの恋人」のリチャード・カーティス監督作品
この作品はなんというか・・・恋愛讃歌と言えば良いのだろうか。恋愛における成就するまでの心のアップダウンをメインに描き、職業や社会的立場に幅を持たせ、クリスマスに向かって盛り上がっていく浮き立つような気持ちをぶつけてくる。感情移入してカタルシスを得るタイプの作品なので、上記にあるように“デートムービー”としては最適
日常におけるハッピーになれる瞬間(この表現しか思いつかない)をこれでもかというほどこちらにぶつけてくるので、どうしても途中でお腹一杯になってしまう。そのハッピーになれる瞬間の中で最も素晴らしいのが恋愛における気持ちのすれ違いやら煩悶、気持ちの伝わる瞬間ということらしい・・・
そのあたりに乗り切れない人への配慮と思われるが、往年のロック・スターという役柄のじいさんのエピソードはかなり笑えるものになっている。キャリアの先が無いその歌手は昔ヒットした曲をクリスマスソングにアレンジしなおし発売、その後プロモーション活動を行う。そのシーンが間をおきつつ披露されるのだが、その際見せるロック・スター風の振る舞いが個人的には非常にツボで、それを楽しみに最後まで観る事ができた
ドラマ「24」のキム役をしている女優も登場するが、またしてもビッチ役だ。それしか求められていないのか。そしてローワン・アトキンソンは出番こそ少ないものの存在感は抜群。首相役のヒュー・グラントはあまりにも威厳が無くいつもの彼で、思わず笑ってしまった
様々な人の恋愛模様を描いているので、どれか一つには引っかかると思う。そして引っかかれば最終的に幸せな気分に(強引に)持って行ってくれるが、役者だけが楽しそうだという印象も抜けず・・・
19人の男女が織りなす恋愛模様を、ユーモアとウィットに飛んだ会話と心温まる&切なくなるエピソードでクギづけにする英国のラブストーリー。秘書に一目惚れした新首相の仕事に身が入らない日々、義理の息子の熱烈片思いをサポートする父親、親友の新妻に恋した画家の切ない心、言葉の通じないポルトガル娘に恋したミステリー作家など、年令も職種も違う男女の恋物語は、誰かに共感できるというより、どの人の恋愛にも共感できる、胸が痛くなるエピソードばかり。監督は『ノッティングヒルの恋人』の脚本家リチャード・カーティスゆえ、ロマンティックコメディはお手の物。とはいえ、19人の登場人物とその恋愛を裁いた手腕は見事! 首相を演じたヒュー・グラントの軽妙な芝居、夫の浮気に気づいて目を潤ませるエマ・トンプソンの巧さほか、キーラ・ナイトレイ、ローラ・リニー、ローワン・アトキンスン、ビリー・ボブ・ソーントンなどスター総出演。恋心直撃!のデートムービーとして最適の1本だ
この作品はなんというか・・・恋愛讃歌と言えば良いのだろうか。恋愛における成就するまでの心のアップダウンをメインに描き、職業や社会的立場に幅を持たせ、クリスマスに向かって盛り上がっていく浮き立つような気持ちをぶつけてくる。感情移入してカタルシスを得るタイプの作品なので、上記にあるように“デートムービー”としては最適
日常におけるハッピーになれる瞬間(この表現しか思いつかない)をこれでもかというほどこちらにぶつけてくるので、どうしても途中でお腹一杯になってしまう。そのハッピーになれる瞬間の中で最も素晴らしいのが恋愛における気持ちのすれ違いやら煩悶、気持ちの伝わる瞬間ということらしい・・・
そのあたりに乗り切れない人への配慮と思われるが、往年のロック・スターという役柄のじいさんのエピソードはかなり笑えるものになっている。キャリアの先が無いその歌手は昔ヒットした曲をクリスマスソングにアレンジしなおし発売、その後プロモーション活動を行う。そのシーンが間をおきつつ披露されるのだが、その際見せるロック・スター風の振る舞いが個人的には非常にツボで、それを楽しみに最後まで観る事ができた
ドラマ「24」のキム役をしている女優も登場するが、またしてもビッチ役だ。それしか求められていないのか。そしてローワン・アトキンソンは出番こそ少ないものの存在感は抜群。首相役のヒュー・グラントはあまりにも威厳が無くいつもの彼で、思わず笑ってしまった
様々な人の恋愛模様を描いているので、どれか一つには引っかかると思う。そして引っかかれば最終的に幸せな気分に(強引に)持って行ってくれるが、役者だけが楽しそうだという印象も抜けず・・・
金城武×チャン・ツィイー×アンディ・ラウ主演のラブロマンス
チャン・イーモウ監督が大ヒットした「HERO」の次に製作したとあって注目を集めていたが、今作もスローモーションを効果的に使い薄手の衣装によって動きを華麗に表現したアクションシーンや、秋から冬にかけての紅葉や雪景色を鮮やかに映し出した映像と凝った衣装やセットが相まって前作「HERO」よりも華のある世界観を作り出している。CGの使い方も前作を踏襲し、監督のカラーとしてカウントできるものになっている
しかし、「LOVERS」というタイトル通りこの作品は恋愛をモチーフにしており、それを描いただけで物語は終わってしまう。そう感じるのは恋愛の掘り下げ方が足りなくあまりにも表層的で、おまけに映像の華麗さがその浅薄さを浮き彫りにしてしまうからだ。恋愛におけるドロドロとした情熱のようなものや想いの強さを感じさせないため、「あー綺麗な映像だねえ」で終わってしまう。2時間という枠でこの程度なの?という物足りなさを感じてしまうのだ。事あるごとにチャン・ツィイーの濡れ場ばかりでがっくりきた
映像の華麗さを楽しむ以外に観るべきところは無い作品
西暦859年、唐代の中国で、朝廷は反乱軍最大の『飛刀門』撲滅を画策。官史の金と瀏に、指導者を10日以内に捕らえるように命ずる。飛刀門の娘と思われる小妹は目が不自由で、金は反乱戦士を装い小妹に接近。捕らえられた彼女を救出するふりして、敵のアジトまで導かせようと企むが、旅の途中でふたりの心はひかれあってしまう。小妹にチャン・ツィイー、金に金城武、瀏にアンディ・ラウ。中国、台湾、香港のスターの豪華共演となる本作は、チャン・イーモウ監督作で、同じくイーモウ作品『HERO』のスタッフが結集。激しいアクションが多く出てくるが、内容は濃厚なラブストーリー。とはいえ、金と小妹に別の人物がからんで三角関係になり、加えて、誰を信じていいのかわからないトリックも隠され、ストーリーは二転三転。仕掛けたっぷりのスリリングな作品だ。ワダエミの鮮やかな衣装が舞うアクションなど、ヴィジュアルの美しさにも圧倒される。また主役3人が美男美女ゆえか、クローズアップも多く、三人三様の魅力をたっぷり堪能できる、見事なスター映画に仕上がっている
チャン・イーモウ監督が大ヒットした「HERO」の次に製作したとあって注目を集めていたが、今作もスローモーションを効果的に使い薄手の衣装によって動きを華麗に表現したアクションシーンや、秋から冬にかけての紅葉や雪景色を鮮やかに映し出した映像と凝った衣装やセットが相まって前作「HERO」よりも華のある世界観を作り出している。CGの使い方も前作を踏襲し、監督のカラーとしてカウントできるものになっている
しかし、「LOVERS」というタイトル通りこの作品は恋愛をモチーフにしており、それを描いただけで物語は終わってしまう。そう感じるのは恋愛の掘り下げ方が足りなくあまりにも表層的で、おまけに映像の華麗さがその浅薄さを浮き彫りにしてしまうからだ。恋愛におけるドロドロとした情熱のようなものや想いの強さを感じさせないため、「あー綺麗な映像だねえ」で終わってしまう。2時間という枠でこの程度なの?という物足りなさを感じてしまうのだ。事あるごとにチャン・ツィイーの濡れ場ばかりでがっくりきた
映像の華麗さを楽しむ以外に観るべきところは無い作品
GOOD BYE LENIN!
2005年2月1日 映画
ベルリンの壁崩壊をモチーフにしたドイツ映画
この作品は資本主義と社会主義の違いを理解していないと面白さやストーリーが分からない話になっている為、多少客を選ぶかもしれない。一応簡単に説明しておくとこの作品においては社会主義は牧歌的な共同体意識を持つ主義と表現されていて、横のつながりを重視する保守的な田舎的価値観から個々の能力を重視する都会的な価値観へシフトしたと考えておけばある程度理解できると思う
東ドイツで社会主義の活動家として活躍していた母親が持病の発作で倒れてしまい8ヶ月の昏睡状態に陥る。その間に東西の壁が崩壊し、資本主義の流入によって急激に様変わりしてしまった主人公アレックスの生活。母親は目覚めるも大きな心理的ショックを与えたら命に関わる状態。母親の活動家としてのアイデンティティを破壊するであろうベルリンの壁崩壊を恐れたアレックスはこの国が社会主義国家であることを演出しようと奔走する
主人公アレックスが東ドイツを演出するためにあれこれと手を尽くすといっても個人のできることはたかが知れており、母親の食事に使う瓶詰めのジャムやピクルスを東ドイツ製の瓶に移し変えたり、誕生会を開くにあたり周囲に口裏を合わせるよう協力を要請したり、職を追われアル中になった母親の仕事仲間を引っ張り出したりと地味にひたむきに頑張っている。それが単なるドタバタコメディにならないのはその行動の根底に親を想う真摯な愛情があるからで、以前と変わらない母親と接することで周囲の人々は東西崩壊以前の生活を思い出し、資本主義の流入で不安な心を鼓舞されることになる
「ベルリンの壁崩壊」というテーマの所為で観る前は固い映画だと思っていたのだが、いざ観始めてみるとすんなりと感情移入できた。かといってテーマをないがしろにしているわけではなく、東西崩壊の影響をディフォルメしつつもしっかりと伝えてくる。序盤の説明的な部分を踏まえればコミカルな家族ドラマとして十二分に楽しめる
ハートウォーミングで笑える作品。かなりおすすめ
テレビ修理店に勤めるアレックスの父は、10年前、家族を捨てて、西ドイツに亡命。以降、母クリスティアーネは、その反動からますます東ドイツへの愛国心を強めていく。そんなある日、反社会主義デモに参加し、警察と衝突しているアレックスを目撃したクリスティアーネはショックで心臓発作を起こし、昏睡状態に陥ってしまう。その間にベルリンの壁が崩壊。しかし、数ヵ月後、クリスティアーネは奇跡的に覚醒するが、医師は、「今度強いショックを与えたら、命取りになる。」とアレックスに宣告する。アレックスは、母親にショックを与えないよう、東ドイツの崩壊を隠すために、ニュース番組を自主制作したり、東ドイツのピクルスを探したりと涙ぐましく奔走するが…。
この作品は資本主義と社会主義の違いを理解していないと面白さやストーリーが分からない話になっている為、多少客を選ぶかもしれない。一応簡単に説明しておくとこの作品においては社会主義は牧歌的な共同体意識を持つ主義と表現されていて、横のつながりを重視する保守的な田舎的価値観から個々の能力を重視する都会的な価値観へシフトしたと考えておけばある程度理解できると思う
東ドイツで社会主義の活動家として活躍していた母親が持病の発作で倒れてしまい8ヶ月の昏睡状態に陥る。その間に東西の壁が崩壊し、資本主義の流入によって急激に様変わりしてしまった主人公アレックスの生活。母親は目覚めるも大きな心理的ショックを与えたら命に関わる状態。母親の活動家としてのアイデンティティを破壊するであろうベルリンの壁崩壊を恐れたアレックスはこの国が社会主義国家であることを演出しようと奔走する
主人公アレックスが東ドイツを演出するためにあれこれと手を尽くすといっても個人のできることはたかが知れており、母親の食事に使う瓶詰めのジャムやピクルスを東ドイツ製の瓶に移し変えたり、誕生会を開くにあたり周囲に口裏を合わせるよう協力を要請したり、職を追われアル中になった母親の仕事仲間を引っ張り出したりと地味にひたむきに頑張っている。それが単なるドタバタコメディにならないのはその行動の根底に親を想う真摯な愛情があるからで、以前と変わらない母親と接することで周囲の人々は東西崩壊以前の生活を思い出し、資本主義の流入で不安な心を鼓舞されることになる
「ベルリンの壁崩壊」というテーマの所為で観る前は固い映画だと思っていたのだが、いざ観始めてみるとすんなりと感情移入できた。かといってテーマをないがしろにしているわけではなく、東西崩壊の影響をディフォルメしつつもしっかりと伝えてくる。序盤の説明的な部分を踏まえればコミカルな家族ドラマとして十二分に楽しめる
ハートウォーミングで笑える作品。かなりおすすめ
金城武×ケリー・チャン主演のラブ・ファンタジー
前回金城武とケリー・チャンが共演した「アンナ・マデリーナ」がなかなか好きな作品なので、今作は期待を持って観た。結論から言えば、前作ほどの良さではないものの期待には応えてくれている
恋人を亡くした失意から立ち直れないヒロインを“天国で喜びを与える役割を果たしていた”堕天使が救うというのが一応のストーリーだが、救おうと悪戦苦闘する様を笑うというような面白さではなく、純粋ながらも俗にまみれていき好き勝手している金城武と失意のケリー・チャンは特に意思疎通するわけでもなく日々を過ごし、その世界観の提示がメインになる。ようするに「こんな関係・暮らしってなんかいいかもー」的なアレだ。そして、家に天使が落ちてきたのをすんなりと受け入れ自分の仕事のアシスタントとして働かせるという展開も、登場人物が皆優しく愛に飢えているという設定も、ケリー・チャンと金城武が画面に映れば全てどうでも良いことに思えてくる。彼らの魅力はかなりのもので、特に過剰な演技を見せるわけでもないが華があり観ていて飽きさせない
言っちゃ悪いが役者の魅力だけの映画ではある。ただ、少しでも彼らに魅力を感じたことがあるならある程度満足は出来るはず
1999年の香港。最愛の恋人を亡くして生きる気力をなくしたアテナ(ケリー・チャン)は、変わりばえのない生活に退屈していた。ある日、不思議なことに彼女のバルコニーに翼に傷を負った天使(金城武)が舞い降りる。アテナは天使の面倒をみるが、天使は日に日に痩せていく。彼は「2000年の最初の夜明けまでに愛を見つけなければ生きられない」という。そして、いつしかふたりは惹かれあって…。金城武とケリー・チャンが三度目の共演を果たしたラブ・ファンタジー。香港版『ベルリン 天使の詩』ともいうべきストーリーが、繊細につづられていく。ベタベタな設定と展開なのに、いつの間にか入り込んで涙…という、まことに乗せ上手でスイートな作品。舞台が雑多な香港ではなく、ビジネス中心街の香港島セントラルであるのも見どころ。全長800メートルもあるセントラルの長い長いエスカレーターが印象的に使われている。監督・脚本は『わすれな草』のイップ・カムハン
前回金城武とケリー・チャンが共演した「アンナ・マデリーナ」がなかなか好きな作品なので、今作は期待を持って観た。結論から言えば、前作ほどの良さではないものの期待には応えてくれている
恋人を亡くした失意から立ち直れないヒロインを“天国で喜びを与える役割を果たしていた”堕天使が救うというのが一応のストーリーだが、救おうと悪戦苦闘する様を笑うというような面白さではなく、純粋ながらも俗にまみれていき好き勝手している金城武と失意のケリー・チャンは特に意思疎通するわけでもなく日々を過ごし、その世界観の提示がメインになる。ようするに「こんな関係・暮らしってなんかいいかもー」的なアレだ。そして、家に天使が落ちてきたのをすんなりと受け入れ自分の仕事のアシスタントとして働かせるという展開も、登場人物が皆優しく愛に飢えているという設定も、ケリー・チャンと金城武が画面に映れば全てどうでも良いことに思えてくる。彼らの魅力はかなりのもので、特に過剰な演技を見せるわけでもないが華があり観ていて飽きさせない
言っちゃ悪いが役者の魅力だけの映画ではある。ただ、少しでも彼らに魅力を感じたことがあるならある程度満足は出来るはず
Love Letter
2005年1月16日 映画
岩井俊二監督作品
この作品はまず風景が良い。北海道の小樽をメインに据え、基本的に全編雪景色となり、その鮮やかさを岩井俊二が詩的に描き出している。一人二役という制約が生み出すある種幻想的なムードや、俗っぽさを上手に排除しつつ生活臭を出した描写も相まって序盤からは感情移入できないと思う。しかし、柏原崇が出演する過去の回想シーンがメインになると、その設定が生きてくる。ワタナベヒロコは亡くなった夫の柏原崇の面影を追っている、つまり彼を引き摺り前を向けず過去にすがっているわけだが、柏原崇の学生時代を知るフジイイツキは彼が亡くなった事も知らず、彼が自分の面影を追ってワタナベヒロコと付き合ったことも知らず、屈託無く彼との思い出をワタナベヒロコに語っていく。その事でワタナベヒロコは彼への思いがフジイイツキにあったことを知ることになり、結果として豊川悦司のもとへ行くことになる
この作品の主役は現実的で活発なフジイイツキであり、少女趣味的に過去を引き摺るワタナベヒロコではない。それを悟らせず、最初はワタナベヒロコをメインに話を転がし徐々にフジイイツキの描写へシフトしていく。岩井俊二はこの映画を好む層をある程度想定した上で彼らの期待を裏切らず物語を着地させようとしており、結果それは非常に上手く行っていると思った
個人的には大根と思っていた中山美穂をここまで効果的に演出した岩井俊二の手腕に驚嘆した作品。豊川悦司、柏原崇、酒井美紀をメインに話が転がり、一人二役を演ずる中山美穂は非常に(演出上)自然で、あれこれ考えながら観ていても中盤からはぐいぐいと物語に引き込まれていくこと間違いなし
神戸に住む渡辺博子は、2年前に山で死んだ恋人の藤井樹に宛てた手紙をポストに投函したが、驚くことにその返事が届けられてきた。その手紙の主は、樹と同姓同名で彼のクラスメートでもあった、女性の藤井樹。やがて博子と樹の文通が始まる。俊英、岩井俊二監督の長編映画デビュー作であり、ロマンティックでミステリアスなラブストーリーの秀作である。博子と樹の2役を中山美穂がムーディに好演し、女優としておおいにステップアップした。回想でつづられる樹(柏原崇)と少女時代の樹(酒井美紀)のノスタルジックで淡い恋のやりとりは、劇中の白眉ともいえよう。さまざまなアイテムを効果的に用いた演出、淡い色彩の映像、メロディアスな音楽などのスタッフワークも光る、心洗われる逸品だ
この作品はまず風景が良い。北海道の小樽をメインに据え、基本的に全編雪景色となり、その鮮やかさを岩井俊二が詩的に描き出している。一人二役という制約が生み出すある種幻想的なムードや、俗っぽさを上手に排除しつつ生活臭を出した描写も相まって序盤からは感情移入できないと思う。しかし、柏原崇が出演する過去の回想シーンがメインになると、その設定が生きてくる。ワタナベヒロコは亡くなった夫の柏原崇の面影を追っている、つまり彼を引き摺り前を向けず過去にすがっているわけだが、柏原崇の学生時代を知るフジイイツキは彼が亡くなった事も知らず、彼が自分の面影を追ってワタナベヒロコと付き合ったことも知らず、屈託無く彼との思い出をワタナベヒロコに語っていく。その事でワタナベヒロコは彼への思いがフジイイツキにあったことを知ることになり、結果として豊川悦司のもとへ行くことになる
この作品の主役は現実的で活発なフジイイツキであり、少女趣味的に過去を引き摺るワタナベヒロコではない。それを悟らせず、最初はワタナベヒロコをメインに話を転がし徐々にフジイイツキの描写へシフトしていく。岩井俊二はこの映画を好む層をある程度想定した上で彼らの期待を裏切らず物語を着地させようとしており、結果それは非常に上手く行っていると思った
個人的には大根と思っていた中山美穂をここまで効果的に演出した岩井俊二の手腕に驚嘆した作品。豊川悦司、柏原崇、酒井美紀をメインに話が転がり、一人二役を演ずる中山美穂は非常に(演出上)自然で、あれこれ考えながら観ていても中盤からはぐいぐいと物語に引き込まれていくこと間違いなし