「ナビィの恋」の中江裕司監督作品

沖縄でホテルを営む一家の娘、小学3年生の美恵子(蔵下穂波)は、元気いっぱいの女の子。にいにいは黒人とのハーフ、ねえねえは白人とのハーフと、家族構成もインターナショナル? そして美恵子は、森の精霊キジムナーを探すべく、冒険を続けていく。『ナビイの恋』で知られる沖縄在住の中江裕司監督が、仲宗根みいこの同名コミックを原作に描くファンタジックな沖縄キッズムービー。元気印いっぱいで時にやかましいほど(!?)の少女の冒険の数々は、どこか懐かしくて切ない。またファンタジーの中に沖縄の基地問題や戦争の傷跡といった社会問題をそこはかとなく盛り込んでいるあたり、実に奥の深い仕上がりである

主人公の美恵子を中心に、クセのある家族の日常を切り取るといった印象の作品。今までは離島を舞台にして沖縄の魅力を描いてきた監督が、沖縄の辺野古を舞台に沖縄に住む人々の等身大の日常を描き出す。米軍を相手にした商売の結果奇妙にアメリカナイズされた街並みを舞台に基地の存在を日常に落とし込み、より沖縄の赤裸々で常温の日常に踏み込んでいる。ナビィの恋はその部分において牧歌的だったが、この作品では沖縄が戦争の結果軍を受け入れた傷跡が当然のように日常に垣間見える。そういった意味合いで今作は沖縄の“たくましさ”に焦点を絞っているようだ

ただ、内容的にそれが面白いかといわれれば微妙だと言うしかない。おそらくこの作品で描かれ魅力とされているたくましさや日常にリアリティと既視感がありすぎて、沖縄で過ごす僕にとっては「わざわざ映画にしなくてもいいのではないか」と思ってしまうからだ。普通に生活していれば映画と同じような状況や話は結構転がっているわけで

「ナビィの恋」のメインキャスト達はこの作品でも様々な形で登場している。ボクシングジムの利用者である村上淳や、美恵子の学校の教師役の西田尚美、美恵子のおばあ役の平良とみ、美恵子が出会うキジムナーを飼っているというタンメー(おじい)役の登川誠仁。因みに今回もエンディングテーマは登川誠仁で、作中で弾き語るシーンもある

個人的には「ナビィの恋」のほうが良かったが、元気になれる作品ではあると思う。そして、日々にかまけてつい忘れがちな基地と沖縄の共生関係とウチナーンチュのたくましさとほがらかさを思い出させてくれる。もしかしたら、監督は沖縄の人へ向けてこの作品を作ったのかもしれない

リアリズムの宿

2004年12月28日 映画
つげ義春原作作品

『どんてん生活』『ばかのハコ船』など、その独自の“間”の演出のユニークさから“日本のジム・ジャームッシュ”の異名をとる山下敦弘監督が、つげ義春の漫画を大胆にアレンジして描きあげた作品。ちょっとだけ顔見知りの、駆け出しの脚本家坪井と映画監督木下は、何の因果かひなびた温泉街へとやってくる。真冬の海で泳いでいた水着姿の少女・敦子と出会うふたり。ふらふらと彷徨うように、3人の旅は続く…。坪井と木下の、その微妙な距離感が、なんとも言えないおかしさを誘う。金もないのに見栄を張りたがるふたりだが、その行動はどこかハズしていて、これまたくすくすと失笑を禁じ得ない。時折交わす鋭い会話の応酬。バディムービーと呼ぶには友情不足、ロードムービーと言うほどドラマティックな盛り上がりはない。あるある感を沸き立たせる空気とちょっとした優越感を感じながら、だめだめなふたりの男を眺めているうち、いつしか共感している自分に気づくかも

この作品は奇妙な後味を残す。ドラマチックでもなく派手でもなく毒も無くどこまでもオフビートで、一見無駄だとも思える長回しのカメラワークが計算されたものだと気づき間の面白さを感じるようになるのに長い時間はかからないはずだ

旅館で飯を食べるシーンや釣りをしているシーンなど、普通なら割愛するようなシーンをメインに据え、台詞もほとんど無く表情と演技だけでニヤリと笑える可笑しさを出している。そして、単に「あぁ、こういうことあるよなぁ」という共感だけに留まらない魅力がこの作品にはあると思う。主人公を含む登場人物の佇まい、生活観を出しすぎた展開、ヒロインの非日常性、舞台となった鳥取の日本情緒溢れる雰囲気・・・それらを包括する独特の“間”がすべての要素を引き立たせ、心地よさを感じさせるのだ。間が全てと言っても良い

シチュエーションによる笑いを何処までも追及しており、楽しみ方をつかんだら失笑ぎみの笑みが続くのは間違いないところ。おすすめ

ゼブラーマン

2004年12月27日 映画
哀川翔主演作品

哀川翔の記念すべき100本目の主演作品として、監督・三池崇史、脚本・宮藤官九郎という充実の布陣で製作された異色の特撮ヒーロー映画。生徒からも家族からも疎んじられる小学校教師、市川は、34年前に放送打ち切りとなった特撮ヒーロー“ゼブラーマン”のコスプレという誰にも言えない趣味を持っている。その頃、市川の住む町で奇妙な事件が多発。それは地球征服をたくらむ宇宙人の仕業だった。市川扮するゼブラーマンは、ひょんなことからその宇宙人と戦うことになり…。確信犯的B級映画のように見せつつ、信じることの強さというストレートなメッセージを発しているあたり、ヒーローものとしてはかなり王道。何より、そのメッセージを体現する人間くさい主人公が魅力的だ。マスクをつけて熱演した哀川翔の、やたらマッチョなわけでも単にコワモテなわけでもないのにしっかり“男のカッコよさ”を感じさせる存在感はさすが

この作品は哀川翔を皆で祭り上げようという意気込みがかなり伝わってくる作品になっている。渡部篤郎、ウッチャン、鈴木京香、大杉漣、麻生久美子、古田新太などが登場し持ち味をフルに生かした演技を披露する

内容上当たり前のことだが、特撮モノへのオマージュがあるようなので、その辺りに詳しい方は楽しめるのかもしれない。そういったテーマを様々な役者の絡みやクドカンの脚本でコメディの要素を加え仕上げてあるかと思いきや、かなりまっとうに作ってある。風刺やパロディではなく、あくまでオマージュなのだ。哀川翔はヒーローへの渇望がある情けない男をどこまでもひたむきに演じまくり、キヨシローの「昼間のパパはちょっと違う」という歌詞が頭をよぎるほど熱い

ただ、哀川翔の演技におけるタメの部分、ようするに間を取る演技はテンポを重視するクドカンの脚本とは相性が悪いと感じた。まぁ、それが哀川翔の味だといわれればそれまでだが・・・

渡部篤郎がケイゾクでの演技を無意味に踏襲していたり、麻生久美子の死ぬほどやる気の無い演技、ウッチャンのバラエティ感丸出しの演技など、笑いどころは一応それなりにあります
京極夏彦原作の映画化作品

映画自体は撮り終えており、現在は編集作業にかかっているようだ。来年の夏公開を目標にしているらしい。そんな中、公式サイトが立ち上げられ、劇場版予告が公開された

観てみた所、予想以上に暗く昭和の雰囲気を醸し出している。演技等は見せずセットなどの紹介に留まっているが、ホラーの要素を色濃くした映像は期待感を煽る。永瀬正敏のモノローグも役柄、全体的な作品の雰囲気を壊さないような出来だ。航空隊の格好をした榎木津役の阿部寛も原作通りといえる。宣伝用のポスターも上手く雰囲気をつかんでいるように思う

まぁ、あれこれ言う前に観てもらったほうが話が早いので紹介しておきます。下記のサイトで宣伝用のポスターと予告が観れます。「特報」をクリック

http://www.ubume.net/

69 sixty nine

2004年12月24日 映画
村上龍原作、妻夫木聡主演作品

1969年の長崎県・佐世保。高校3年生のケンは、憧れの学園のマドンナに近づきたいがために、ロックコンサートや映画、演劇を総合したフェスティバルを開くことを決意。友人のアダマやイワセらを巻き込んでいく。だがそのいきかがり上で、高校の全共闘の面々と共に高校のバリケード封鎖をすることになってしまうのだった…。主人公の行動がすべて“女のため”というのがいい。しかも69年が舞台になっているのに全然古めかしくないのもいい。妻夫木聡と安藤政信の高校生になりきった演技がいい。まさにどこを切っても“いい”づくし。全編文句ナシの小気味良い青春グラフィティに仕上がっている。たとえ時代が変わっても若者のおバカなノリは一緒。そういう意味で老若男女誰もが楽しめる傑作だ。観て絶対に損なし

この作品は村上龍の原作小説がある。それを10年前に読み、個人的にあれこれとイメージを固めていたのだが、今作はそのイメージを上手に上書きするものになっている。まぁ、原作は村上龍の自伝的意味合いがあり、彼のルックスを知っていれば今作の主役が妻夫木と分かった時点で、そのギャップに「こりゃあアレだなぁ」と思いそうなモンではあるが・・・

ストーリーは原作を忠実になぞりつつストーリーに直接関わらないエピソードを上手に取捨選択していて、脚本の宮藤官九郎の手腕にうならされる。宮藤官九郎が脚本を担当した際ある独特の台詞回しというのは、時代が60年代ということもあり原作を最大限生かす方向でほとんどいじっていない。その為、原作を読んだ方ならストーリーの隙間にこぼれ落ちたエピソードを脳内補完できるし、読んだことの無い方は後で原作を読むことでイメージを壊すことなく映画の要所要所にあるべきだった様々なエピソードを知り楽しむことも出来る。そのような楽しみ方を可能にするほど原作の読者にもギャップをほとんど感じさせず十二分に納得させ、その魅力をさらに押し上げるような映像に仕上げているのは見事としか言いようがない。キャスティングも皆はまり役で、少ししか登場しない工業のマドンナでさえもイメージ通りだったことに個人的には驚いた

原作では60年代のカルチャーを結構紹介していたが、今作でも映像、音楽として登場させており、それが逆に原作の良さを再認識させることになっていて、本を読むより良さが分かりやすいと思う。主人公の父親役の柴田恭平を筆頭に脇役も手を抜いておらず、安心してみることが出来る

はっきり言って期待していなかったが、なかなか楽しめた。その上で言うが、求心力としては原作のほうが上だと思う。そして、原作を知らない方なら2度楽しめる作品に仕上がっているはず

下妻物語

2004年12月23日 映画
深田恭子主演作品

茨城県・下妻に住み、ぶりぶりのロリータ・ファッションに身を包んだ少女・桃子(深田恭子)がヤンキーのイチゴ(土屋アンナ)と出会い、数々の騒動に巻き込まれながらも強力な生き様を貫く、嶽本野ばら原作のハイパーパワフルな乙女たちの純情物語。「私はマリー・アントワネットの生まれ変わり」という発言をしたフカキョン嬢をTVで見た中島哲也監督がキャスティングしたことで、この映画の成功はほぼ約束されたようなものだ。「ロココ調の18世紀のおフランスに生まれたい」と懇願し、あぜ道をヒラヒラファッションと日傘で、牛のウンコふみながら歩く桃子とフカキョン嬢は一卵性双生児ではないかと思えるほどのハマリ役。その彼女を生かすため、中島監督は全編をコミックタッチで演出。色があふれそうな映像のトーンとハイテンションなキャラクターたちが火に油を注ぎあい、鑑賞後には根拠のない前向きなイケイケ感を噛みしめてしまう傑作

若者向けの人情映画という印象。役者も若者受けが良くTVを中心に活躍した人選で固めてあるし、展開もスピーディーかつハイテンションで観ていて疲れることはあれど飽きることは先ず無い。ただ、演出が多少コントめいていると言うか、漫画チックというか、意図的にそういう感じで処理されており、どこまでもTV感があって映画を観ているという意識が希薄になりがちだ

物語を魅せるというよりも世界観の提示をメインにした作品なので、客観的にあれこれ考えながら観るよりも素直に共感したほうが楽しめると思う

THE MEDALLION

2004年12月22日 映画
ジャッキー・チェン主演作品

「巳年の5月に選ばれし少年が、聖なるメダリオンを合体させる…。」
その予言が記された聖典を発見した、密輸犯罪組織の首領、スネークヘッド(ジュリアン・サンズ)は、メダリオンのカギを握る少年、ジャイ(アレクサンダー・パオ)の誘拐を実行、アイルランドへ連れ去ってしまう。一方、スネークヘッドの行方を追っていた香港警察の刑事エディ(ジャッキー・チェン)は、インターポールのワトソン(リー・エヴァンス)、元恋人のニコル(クレア・フォラーニ)とチームを組んで決死の捜査を始める。スネークヘッドの部下がジャイを連れて埠頭に現れるという情報を掴んだエディは、彼を救い出すことに成功するが、2人を閉じこめたコンテナが水中に落下、ジャイの命を守るため、エディは自ら犠牲となってしまう。悲しみにくれる仲間たち…。だが、ジャイの持っていたメダリオンをエディにかざしたことで、彼の身体は光に包み込まれ、肉体はみるみるうちに甦っていく。不死身のパワーと共に…。

この作品はジャッキー映画で最近取り入れられているSFXがメインとなる。スピルバーグ監督プロデュースの「タキシード」の類似作品と言える。ジャッキーが中盤から不死身という設定になり、超人的な力を持つという点でも同じだが、金のかかり方が違うというか、この作品はタキシードと比べると、アクションの大味さ、キレの無さ、敵役の魅力の無さ等が目立つ。ジャッキーが不死身になる前の肉体を使ったアクションシーンは安心して観られるが、CGを多用した演出のアクションシーンはジャッキー映画に求めるものではないと、どうしても思ってしまう。メダルであっさりとヒロインを生き返らせるという演出には引いてしまった

しかし、この作品ではジャッキーが“死”というめったに観られない演技を披露する。そしてヒロインが死んだ時のジャッキーの悲しみをかみ締めるような表情は年齢を重ねた今だからこそ出来る演技だろう。ジャッキーファンは必見

DVDの特典映像を観ると、未公開シーンがかなりあり、ヒロインが死なない展開になるというストーリーを変えるようなシーンもある。また、全体的にコメディタッチになりがちなシーンをカットしてあるように感じた。やはりジャッキーの死という演技があるからなのだろうか。ただ、全体的に以前の作品の模倣をしているように見え、気になった。それがジャッキー映画なんだと言われればそれまでのことなんだが

日本での人気はまだまだあるようだが、この調子だと・・・と思わせる作品。次作に期待

IDENTITY

2004年12月21日 映画
ジョン・キューザック主演作品

大雨で閉ざされたモーテルに、行き場を失った11人の男女が居合わせる。そこで起こる連続殺人。生存者たちは疑心暗鬼になりながらも、自分たちに奇妙な「共通点」があることに気づく。それは偶然ではなく、誰かの企みなのか? 予想もできない結末が彼らを待っていた…。『17歳のカルテ』などを手がけたジェームズ・マンゴールド監督による、サイコ・ミステリー。メインとなるシチュエーションはこの手のジャンルとしては定番だが、降り続く雨や光量の少ないモーテルの部屋が演出する「閉塞した悪夢」が秀逸で、観客の不安感をかきたてる。前半はホラー色の濃い展開で目を釘付けにしながら、後半にさしかかると「エッ!そんなのアリ?」というまさかの謎解きを用意。脚本の勝利だ。ジョン・キューザック、レイ・リオッタなどの芸達者が、それに応える形で密度の濃い熱演を見せている

この作品は舞台、演出、展開とミステリの古典的な定石をかなり踏まえており、ある程度ミステリに馴染みのある方なら楽しめると思う

犯人が○○(ネタバレ防止のため伏字です)と分かった時点でミステリとしての展開は普通放棄されるものだが、この作品は提示されていた謎を解くことが落ちを読み解くことになるという当たり前といえば当たり前のことがきちんと配慮されている。説明過多にならず受け取り手に推理をする余地がきちんと残っている部分が良い意味で懐かしい。ジョン・キューザック含む登場人物の演技は申し分なく、ミステリとしての体裁の為に余分な人物造形をそぎ落とすという制約を○○○○○という設定で妥当なものとしてクリアしている。

ストーリーは微妙に予測可能でその辺りを退屈と感じるかミステリの型だと感じるかで評価が分かれると思う。ただ、後半の急展開については予測不能。個人的にはなかなか面白かった作品。おすすめ

DONNIE DARKO

2004年12月20日 映画
ドリュー・バリモアプロデュース作品

17歳のドニーの家に飛行機のエンジンが落下、彼のまえに現れた銀色のウサギが、「あと28日で世界が終末を迎える」と予言する。そんな不可解なオープニングで始まる本作は、脚本に惚れこんだドリュー・バリモアが製作し、自らも教師役で出演している異色のサスペンス。ウサギ(と言っても着ぐるみをかぶった謎の人物)の出現以来、ドニーの周囲ではさらに怪しげな事件が続くが、登場人物の何気ない一言や、背景の小道具などに結末への伏線が隠されており、画面から目が離すことは禁物だ。そして、タイムトラベルの概念にとりつかれたドニーに訪れるのは、あまりにも衝撃的なラスト! 1980年代のポップなカルチャー、音楽が効果的に使われ、『ムーンライト・マイル』の主演などでハリウッドの若き演技派の道を突き進む、ドニー役ジェイク・ギレンホールの、ミステリアスな存在感も魅力

この作品は理解の範疇をあっさりと越え、観た後様々なサイトを探す等して理解を試みたが諸説入り混じっておりますます混乱。仕方ないので適当に語ります。ネタバレ含む

「28日後に世界は終わる」と妄想に出てくるウサギに言われる主人公。こういうで出しで始まる作品の常としてミステリアスなムードが全編に漂うことになり、主人公は日常の様々なマテリアルを拾い集め、独自の結論めいたものにたどり着く・・・といったような展開をしていくのだが、最後のシーンであっけにとられることになった。私見が間違っていなければ、単なる主人公の妄想が現実化したというだけの話であり、妄想のシーンを延々と見せられていたことになるわけで。その辺りはメメントと同じで落ちが分かればそれまでのことで、作品自体を分かりにくく作ることでリピーターを呼び込むといった商売ということになる。個人的には付き合いきれない部分が多々あるが・・・

しかし、この作品の良さは上記に挙げたようなサスペンスの部分ではない。主人公を中心とした学園モノもとい青春モノという点で、世界のあり方、構築されている人間関係、風景や佇まいなどが抑制され独特の落ち着きを持った演出で魅力的に描き出されている。ようするに一言で言えば「雰囲気の非常に良い作品」と言うことになる

個人的にはその雰囲気の良さでなかなか楽しめた
主人公の説得力のある魅力的な演技は秀逸

MEMENTO

2004年12月19日 映画
ガイ・ピアース主演作品

およそ10分間しか自分の記憶を保てなくなった男レナード(ガイ・ピアース)。彼は妻をレイプし殺害した犯人を捜し出すため、ポラロイド写真を撮り、メモを取り、大事なことは身体に入れ墨で書き記すなどして必死の行動を始める…と、ストーリーを書いてしまうとこうなるのだが、実際はドラマの展開を逆転させ、いわば連続TVドラマの最終回からいきなり見せられ、ラストが第1話に相当してしまうという、ユニークな構造で推し進めていく新進クリストファー・ノーラン監督によるクライム・サスペンス。まるでコロンブスの卵のようなアイデアの勝利がきわだった作品だが、予備知識なしで接すると何が何だかわからなくなる危険性も大いにあり。記憶や思い出(=メメント)というものの不確かさを痛感させる心理学論的おもしろさが楽しめる

とりあえず、観づらさはかなりのものだと言うしかない。タイムスパンの短い行動を見せ、その後先ほどのシーン直前の行動をまた短いタイムスパンで見せる・・・という手法で、その合間に主人公の独白が入る。前のシーンとのつながりを頭で構築しながら観ていかねばならず、その合間の独白シーンは時系列に流れるのでその部分のみ順を追って繋げていかねばならない。先の読めない展開であることは間違いないし、筋を組み立てるためにかなり集中して見なければならない。だが、最後に明かされる答えははっきり言って今までこちらが使った労力に見合ったものではない。まぁ、これ以上言うとネタバレになるので・・・

メンタル系の映画は金を払ってまで観るものじゃないという持論があるが、その思いを強めることになった。特にこの作品は提示された謎を最終的にないがしろにしている上に落ちが分かった瞬間作り手の厭世観と受け取り手への悪意が溢れて出してきてどうしようもなかった。疲れるだけの作品
岩井俊二監督作品

ある地方都市、中学2年生の雄一(市原隼人)は、かつての親友だった星野(忍成修吾)やその仲間たちからイジメを受けるようになる。そんな彼の唯一の救いはカリスマ的女性シンガー、リリイ・シュシュの歌だけであり、そのファンサイトを運営する彼は、いつしかネット上でひとりの人物と心を通わしていくが…。岩井俊二監督が、インターネットのインタラクティヴ・ノベルとしてスタートさせた企画を発展させて成立させた異色の青春映画。美しい田園風景の中、イジメや援助交際などなど現代の少年少女たちにまつわるさまざまなダークな問題を、これまでにないほど身近なものとして織り込みつつ、彼らのリアルな心の声を繊細に描き上げていく。そして、それでも「どんな子どもでも、光る時間を過ごすのだ」といった岩井監督のメッセージが痛切に伝わり、胸をしめつける必見の秀作である

もう一度観返してみた。現在観ると初見の時に感じた痛々しさは幾分和らいでいる。苛めやエンコウの片棒を担ぐ完全な受身型の主人公にいらつきながらも、学校という社会で与えられたポジションをこなし生き残ることに精一杯であるというのは仕方が無いのかもしれないと思いそれが後味の悪さに直結していたが、現在観るとそこにある心の交流が以前より輝いて見えた。また、家庭の崩壊により荒れ堕ちて行く星野の人物造形はなかなか上手くリアリティがあり、彼がネット上では本来の自分を出し、要するに荒れる前のメンタリティを保ったままだったということに痛々しさを感じた

牧歌的な映像と物語のギャップにも慣れ、以前よりつまらない部分が減った。ただ、多少古臭く感じてしまうのは当時の空気の所為なのか単に作品が風化したからなのか・・・
浅野忠信主演作品

70年代初頭、激動のインドシナ半島を駆けめぐった戦場カメラマン、一ノ瀬泰造の伝記作である。最後に悪名高きクメール・ルージュ(カンボジア大量虐殺を引き起こしたポル・ポト率いる共産党勢力)支配下の遺跡、アンコールワットの撮影に向かった彼は、そのまま帰らぬ人となった。物語では、子供たちとの交歓、べトナム美人との淡い恋、日本への一時帰国時における姉の結婚や、カンボジアでの親友の披露宴といった、ごく平穏な風景の描写がされている。これらが浅野十八番の親しみやすく天真爛漫なキャラクターと相まって、逆に現場の過酷さ、悲惨さを浮き立たせている。静と動のコントラストが絶妙な、五十嵐匠監督作品だ

この作品は実在の人物の伝記的意味合いがあり、モチーフとなった人物の密度の濃い生き様を表現しようと試みている。そして、浅野忠信はその人物を魅力的に演じることにおいて非常に貢献している。しかし、政情が不安定な国という舞台ではそれ以上の物を見せてもらいたいと思うのはアレだろうか。彼が戦場を職場に選び駆ける意味やそれに費やす生命力の躍動というようなものを見せて欲しかった。ラストシーンは、浅野主演映画にありがちなむなしさや空虚さを暴力性やテンションで乗り切るといったテイストで、結局この映画はモチーフになった戦場カメラマン、一ノ瀬泰造ではなく“浅野忠信”の為の映画だと認識させられがっくりきた

つまらないかといえばそうでもない。それなりのものだと割り切れば観られる映画ではある。ただ、できれば完全なフィクションとして製作して欲しかったところ。それなら良作だといえるんだが

Elephant

2004年12月14日 映画
ガス・ヴァン・サント監督作品

米コロンバイン高校の銃撃事件を題材にして、ガス・ヴァン・サント監督がカンヌ国際映画祭でパルムドールと監督賞を受賞したセンセーショナルな一作。事件の当日、生と死の運命を分けることになる高校生たちの日常を追いかけながら、加害者2人が犯行に至るまでのドラマが進行していく。生徒ごとに章立てされた構成。ユニークなのは、それぞれの生徒の後ろをついていくカメラワークだ。スムーズな映像の動きと、それぞれの視点で映し出される校内の風景を通して、各人物の個性や人間関係が浮かび上がってくる。極端なダイエットやいじめなどを描いた何気ない日常も、その後、血に染まる光景に化すと思いながら観ると、かなりスリリングだ。もっとも緊密感があるのは、加害者2人の部分。監督は、彼らの動機を明らかにするわけではなく、その行動を冷徹にとらえる。惨劇シーンは目を覆うばかりだが、映画全体は、リリカルな映像とクラシックの音楽の効用で心地よい空気に覆われ、映画初出演のキャストたちがみずみずしい存在感を放つ。不思議な後味を残す一作だ

商品紹介がしっかりとしているので見所は上記を参照されたし

この作品は“日常の平熱感”を描き出すことに重点を置いているように思える。アンチクライマックスの連続である日常で登場人物達はいつもの一日を過ごしている。そこには説明的な台詞も思わせぶりな演出も華やかさも無い。非常に長回しのカメラワークと、シーンを異なった登場人物の視点から捉え直す演出の積み重ねにより、リアリティのある学生の日常を立体的に構築してある。内容的にも事件のあった一日を切り取るというニュアンスで、事件に対する考察も無ければ加害者の心境に踏み込むといったことも無い。日常が一瞬にして壊れる様をあくまで淡々と描写するだけだ

ある意味“非日常”を提供する映画というメディアで“日常”に重きを置いたこの作品は異彩を放っている。ただ、実際の事件を基にしたこの作品には監督の“鎮魂”の意思を強く感じた

賞を受賞したのも頷ける良作。おすすめ
庵野秀明監督作品

上司に怒られつつもOLライフをエンジョイしている如月ハニー(佐藤江梨子)の正体は、「Iシステム」を発動させて何でも変身できるアンドロイドであった。しかし、そんなハニ−のIシステムの秘密を探るべく、悪の結社パンサークローが動き出した。ハニーは謎の新聞記者・青児(村上淳)やガチガチの警視庁刑事・夏子(市川実日子)とともにパンサークローが送り込む刺客に立ち向かっていく!永井豪・原作の人気TVアニメをベースに『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督が実写映画化した話題作。アニメ版のサイケでポップなテイストを活かしつつ、70年代TV特撮ヒーローものの雰囲気も盛り込み、その上でマンガやアニメを含む永井豪ワールド全体への敬意を表した作品に仕上がっているのが何よりも嬉しい。サトエリの愛らしい熱演ももちろんだが、片桐はいりらパンサークロー側のキャスト陣の怪演が楽しく、特に及川光博は戦いの前に1曲披露してしまうサービスぶり。クローの執事役・手塚とおるのラストの独白に至っては、不覚にも涙してしまった次第である

庵野監督作品という事で手に取ったこの作品。さすがアニオタの監督だけあり、キューティーハニーという作品の魅力=ハニーの魅力ということを分かっているようだ。全編を通し、佐藤江梨子演ずるハニーの服装を着せ替えたり、露出の多い服装にしてみたりといった企業努力をしており、佐藤江梨子を受け入れることが出来ればこの作品は結構楽しめるのではないかと。ただ、佐藤江梨子の人物造形があまりにもオタク受けを狙いすぎているので受け入れるのに抵抗があるかもしれないが・・・

物語はまんま永井豪という感じで、残酷描写こそ無いものの原作の雰囲気に忠実に作ってある。内容は正直空っぽだが、出演者の人選でカヴァーしている節もあり。村上淳や市川実日子はリアリティの無いハニーに直接的に絡む役柄ながらかなり頑張っているし、悪の怪人役の片桐はいりも本当に頑張っている(としか言いようがない、この人の場合)。しかし、この作品で最も輝いているのは及川光博だろう。身体の半分から白黒にペイントして一見しただけでは及川だと分からない。しかし、ハニーと対峙した時にそれまでの思わせぶりな演技から一転し何の脈絡も無く歌って踊る。もちろんその後シリアスな演技で戦闘シーンになだれ込む。個人的に、及川の熱唱シーンを意味無く挿入した庵野監督の決断は英断だったとしか言いようがない。アレがあるのと無いのとでは印象がかなり変わると思う。また、執事役の手塚とおるの演技もいかにもアニメの執事役といった雰囲気があり素晴らしい

無意味にお色気シーンのようなものがたくさん挿入されるので、それを目当てに見ても、物語をそれなりに楽しめるように作ってある。ただ、あくまでエンタメなので、それなりのものだとあまり期待せずに見るが吉

Lost In Translation

2004年12月9日 映画
ソフィア・コッポラ監督作品

ソフィア・コッポラ監督が、自らの来日での経験を生かして書き上げた本作で、第76回アカデミー賞脚本賞を受賞。CMを撮るために来日したハリウッドのアクション・スターと、ミュージシャンの夫に同行するも、ホテルに取り残されたアメリカ人女性が、たがいの気持ちを理解し合う。ただそれだけの物語だが、東京のカルチャーが外国人旅行者の目線で鮮やかに映し出され、彼らの高揚感と孤独、とまどいを伝えていく。タイトルにあるとおり通訳の不備で意志の疎通ができないもどかしさや、某ハリウッド女優をパロったキャラが笑いを誘いつつ、主人公ふたりの感情を台詞の「間(ま)」で表現するなど、アメリカ映画とは思えない曖昧さが本作の魅力。むしろ「間」の感覚を知る日本人の視点で観た方が、より主人公たちの切なさを感じられるかも。コミカルとシビアな表情をさり気なく使い分けるビル・マーレイと、控え目に孤独感を表現するスカーレット・ヨハンソンの演技には存分に共感。「はっぴいえんど」を始めとするサントラの選曲も含め、映画に描かれるあらゆる要素が、優しく繊細に登場人物の心を代弁する

この作品は日本の文化面をかなり正確に描写しており、日本人が撮った作品(TV含む)とほぼ同じ質感になっている。ただ、日本の作品の場合“場所”というのはあくまで舞台装置であるのに対し、スカーレット・ヨハンソンとビル・マーレーの哀感漂う演技と旅行者という役柄が放り込まれたこの作品では、当然のことだがそこに意味合いが見出されている。お互い面識が無くホテルにこもってばかりいる序盤から、言葉を交わすようになり2人で遊びに繰り出していく中盤、東京を気に入りお互い別々に自然に過ごすようになる後半を通して、外国人ならずとも経験のあるような心の動きを監督はあくまで状況描写のみで成立させていく

物語自体には大きな起伏といったものは無い。というか、「無い」と思うのはその文化を常識として知っている日本人の視点の所為かも知れず、外国の目から見ればそれなりに刺激的なのかもしれない。少なくともこの作品では東京という街に対して肯定的な描き方をしているように見える。主軸となるのは2人の心の交流であり、最後まで観れば嫌味なく感情移入できると思う

エンドロールが終わった後写真家のヒロミックスが一瞬写り「グッバイ」と手を振り物語は終わる。その為、外国の方に「擬似的な東京観光」を味わっていただこう的な雰囲気が一気に出てしまいがっくりきたが、それを踏まえたうえでもなかなか良い作品。アメリカの市井の感覚を体現したビル・マーレー、若い世代の感覚を体現しているスカーレット・ヨハンソンの画面での調和、アメリカンテイストと東京の温度のバランス感覚は絶妙かつ独特で心地よい。ただ、全編通して静かな映画なのでその辺りをだるいと感じる方もいるかもしれないが・・・
トニー・ジャー主演作品

1. CGを使いません
2. ワイヤーを使いません
3. スタントマンを使いません
4. 早回しを使いません
5. 最強の格闘技ムエタイを使います
2004年夏に公開し大ヒットした、純度100%のムエタイ・アクション。タイのとある小さな村から、大切にしていた仏像の首が盗まれた。その首の奪還のために、村一番のムエタイの使い手が首都バンコクへと向かうことになるのだが…。正直、前半は物語の前振りなので、アクションがいち早く見たい人は退屈に感じたりもするだろう。しかし1度アクションが始まれば文字通りフルスロットル。怪しげなファイトクラブでのバトル、路地で繰り広げられる大チェイスと、どのシーンをとってもワクワクもの。しかもブルース・リーの『燃えよドラゴン』の潜入シーンのように武器を次々と奪って変えていったり、鉄条網の輪の中を飛んですり抜けるなど往年のジャッキー・チェンを思わせるシーンもある。そう、これはまさにアクション映画好きによるアクション映画ファンのためのアクション映画なのだ。観て損なし!

この作品をあれこれ語るのはナンセンスだろうがとりあえず・・・。とにもかくにもアクションが凄い!前半部分の説明的な描写さえ我慢すれば、後は呆れるほど刺激的で華麗なアクションシーンの数々が待っている。アクションシーンのキレ、ムエタイの破壊力を十二分に感じさせる格闘シーン、そして主演しているトニー・ジャーの身体能力の高さに、ジャッキー・チェンが無くしてしまったテンションの高さを感じることが出来る。何故ジャッキーの名前を出すか。それはこの作品がジャッキー映画へのオマージュという要素を多分に含んでいるからなのだ。エンドロールのNGシーンひとつとってもそれはうかがえるし、ジャッキー映画をある程度観ている方なら全編通してある種の“懐かしさ”を感じることができるだろう

しつこいようだが、本当に凄い!!是非観るべし

花とアリス

2004年11月5日 映画
岩井俊二監督作品

岩井俊二監督が、高校生たちの揺れ動く心情をリリカルで繊細なタッチでつづった青春ドラマ。ネットで配信した4つの短編が、長編作品として再構成された。あこがれの先輩を「記憶喪失」だと信じこませ、つき合い始める花と、彼女の親友アリス。3人の微妙な思いがもつれていく。細かいカットで紡がれるオープニングから、花とアリスの自然な会話に引き込まれる。恋の成就のための無謀な嘘や、親友が恋敵になるといった一見ありふれた展開も、演じる鈴木杏と蒼井優の等身大の演技で、高校生の生き生きとした日常に転化。通学中のときめきや海辺のデート、バレエ教室での稽古風景などノスタルジックな映像に、岩井監督自身が作曲した音楽が絶妙にかぶさる。物語に感動するとか、興奮することはないが、観ていること自体が心地よく、知らぬ間に胸をヒリヒリさせる一篇。やはり岩井俊二はただ者ではない

この作品はキットカットの食頑として製作されたショートフィルムがベースになっている。ショートフィルムのほうは花とアリスと宮本の出演が物語のほとんどを占めるが、映画のほうは阿部寛、広末涼子、大沢たかお、ルー大柴、大森南朋、叶美香、テリー伊藤などがチョイ役で出演しており、賑やかな印象を受ける

内容のほうだが、花とアリスと宮本の微妙な三角関係を描く部分が軸となり、あとは物語の大筋には関わらず3人の人物造形に費やされている。一方通行の恋を成就させようとする花に対してそれを面白がっているアリスという関係も変わらない。強いて言うなら、ショートフィルムと今作の最も違う点は、主役が「花」から「アリス」へと代わっていることだろう。花の恋愛感情に戸惑う宮本という絵がメインとなり、宮本が友達のアリスへ惹かれていくのを知りながらどうすることもできない花というおおまかな流れは同じだが、映画ではアリスと宮本が直接的に関わるシーンが増え、また様々な形でアリスを魅力的に描いてあるため、宮本がアリスに惹かれていく感情が納得できる。逆に花のほうは自分の恋愛を成就させるためなら手段を選ばないというような描き方をされているため感情移入しにくくなっている。しかし、結果としてアリスを主人公に据えたことで、描き出した少女の魅力的な部分は普遍性を持ったように思う

ちょっと気になっていることがある。オーディションを受けたアリスが椅子に座り、それを面接官が見ているというアングルで撮ったシーンがある。面接官は声のみで、場慣れしていないアリスが受け答えをしてる表情を捉えている。ただ、その面接官の声はどう聞いても吉岡秀隆なんだが・・・。出演者に名前が載っていないのは何故だろうか

キル・ビル Vol.2

2004年10月17日 映画
クエンティン・タランティーノ監督作品

パート1の強引でハチャメチャなノリを期待した人には、やや不満。逆に前作がパロディのみで物語が浅いと感じた人には、この続編には満足するだろう。残り3人となった復讐相手を探し、テキサスからメキシコへ向かうザ・ブライド。その間に、彼女の血塗られた結婚式や、中国での修行時代などが章立てで挿入されていく。今回は、各キャラの屈折した思いに深く迫る会話劇をじっくり展開。そこにドラマの醍醐味を感じさせる作りは、タランティーノの初期作品を思い出させる。全体に静かな展開のなか、宿敵3人とのバトルにはテンションが凝縮され、なかでもトレイラーハウスでのエル・ドライバーとの女同士の闘いがド迫力。クライマックスでの宿敵ビルとの一騎打ちも、底辺に流れるのは「愛」だ。連作にもかかわらず、パート1からのムードの転調に、タランティーノの野心を感じてしまう

この作品はもともと一つの映画だったものを尺の長さゆえ2つに分割して公開したようだ。そして、vol.1と今作は物語から受ける感触が異なったものになっている。強いて言うなら前作はアクションシーン、近作は各々の登場人物の人物造形と心理描写にポイントが置かれているように思える。個人的には前作のバイオレンシーなカタルシスを期待してこの作品を観たが、微妙に間をとった演技や演出がなんだか間延びしているようで乗り切れなかった

気になった点をいくつか。序盤で描かれるカンフーは伏線として後々効いて来るが、あれだけの伏線なら修行のシーンはもっと掘り下げて描いておくべきではないだろうか。前作で畏怖の対象として抜群の描写をしていたビルの人格を掘り下げ、全編にわたって登場させることによって物語のテンションが落ちているように感じられた。ただ、それゆえにブライドのビルに対する愛憎半ばという感情は良く分かるんだが

前作から続けて観ると、一つの映画としてはかなり面白い。ただ、単体で評価すると個人的には今一つ
イザベル・コヘット監督作品

23歳という若さで、がんで余命2か月と宣告されたアン。彼女はやり残したことをノートに10コ、書き留める。オシャレのこと、ふたりの娘のこと、そして夫以外の男と付き合ってみること…。リストを作ったときから、アンの平凡だった人生がイキイキと動きだした。死を目前にしながらも、その事実を誰にも明かさず、リストを作って実行していくことで、死の恐怖を回避し、幸せで甘い幕切れを求めるアン。自分の不運な運命を知っても、決して動揺せずに、残り少ない人生を最上のものにしようとするヒロインの強さが感動的。この役をほぼスッピンの自然体で演じたのはサラ・ポーリー。彼女が好演があったからこそ、アンという女性の短い人生は美しくスクリーンに息づいたといっても過言ではない。難を言えば、愛人になる男性(マーク・ラファロ)が魅力薄だったこと。夫役のスコット・スピードマンの方が華があり、逆のキャスティングだったら、感動も倍増したかも。とはいえ、死に向かっていく女性の人生を実に丁寧につづったイザベル・コヘット監督(&脚本)の手腕は見事。ペドロ・アルモドバルが彼女の才能に魅了され、製作を買って出たのも納得の映画である

17歳で結婚し、職の不安定な亭主・2人の子供とトレーラーハウスで暮らし、清掃員をしている23歳の主人公。家庭も上手くいっており、特にこれといった不満もない。その彼女が余命2ヶ月と宣告され、それを誰にも言うことなく来るべき日への心の用意をしていくというのが話の大まかな流れだ

この作品は、主人公はやがて死を迎えるという結末がすでに確定しており、そこに向かっていく主人公の心の機微を細やかに描写している。過剰な演出は全くなく、淡々と日々の生活がつづられ、その合間に主人公は“10のこと”を一つずつこなしていく。普段の心温まる日常を壊すことないよう細心の注意を払い、穏やかに死を受け入れていく主人公の周りへの気遣いには悲しみを覚える。こういう作品にありがちな主人公の葛藤を全く描かないところも好感が持てた。観終わった後穏やかな感動が残る作品
犬童一心監督作品、妻夫木聡主演

大学生の恒夫は、乳母車に乗って祖母と散歩するのが日課の自称・ジョゼこと、くみ子と知り合う。くみ子は足が悪いというハンディキャップを背負っていたが、自分の世界を持つユーモラスで知的な女の子だった。そんな彼女に恒夫はどんどん引かれていき、くみ子も心を許すが、ふたりの関係は永遠ではなかった。『金髪の草原』の犬童一心監督が、田辺聖子の短編小説を映画化。くみ子演じる池脇千鶴は、関西弁でぶっきらぼうなくみ子の中の女性の部分をデリケートに見せて名演。妻夫木聡は、男の弱さ、ずるさ、情けなさを恒夫を通して見せていくが、恒夫が憎めない男になったのは、心の奥まで透けて見えるような彼の純な演技あってこそだろう。エロティックで美しくて切なくて泣けてしまうラブシーンも出色。恋愛の幸福感と背中合わせの残酷さを見事に描いた傑作だ

この作品は恋愛モノだが、大学生である主人公の生活がメインに据えられ、身体障害者と健常者の恋愛というニュアンスが無視できない作品になっている。普通に何人も女子大生と寝ている主人公が、障害を持ちそれゆえの独自の生活環境を持つヒロインに同調していく様は、健常者として普通に生活する方なら誰でも分かる感情の動きといえる。しかし、この作品はそうして同調した人間が結果的にどういう展開になるのかという部分まできっちり描いており、その描写に心を痛めてしまう部分もある。ただ、ヒロインのキャラクターが独特の自立した女性の魅力を発揮しており、それが最後の展開での救いになっている。そして、この作品は上記で述べた事柄は物語の枝葉に過ぎず、軸となる部分は、主人公がヒロインと出会い、立場を認識し、それを乗り越えて心を通わすという流れになっている。脇役等の人物造形も抜かりなく、ヒロインのキャラクターが効き全体として妙に濃い雰囲気が漂っている

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