漫画家、中原裕が描く高校野球漫画。

汗と涙ぁ…そんなモンいらねぇ! かつて名門、今は弱小の私立彩珠学院高校野球部にやってきた問題児監督・鳩ヶ谷圭輔が、硬直しきった高校球界の常識を変える!!
順調にブロック予選を突破し、目標とする夏の大会のシード権獲得に一歩前進した彩学。だがその頃、センバツ出場中の聖母学苑は、エース・明石に異変発生? 一方、鳩ヶ谷の過去を追跡中のフリーライター・蕨は、ついに大阪で核心に迫る男と出会うが…!?

ラストイニング=最後の打席、と銘打ったこの作品。詐欺まがいの営業をしていた元甲子園球児・鳩ヶ谷圭輔は古巣である出身校の野球部の存続の危機により召集され監督を務めることになる。高校時代清廉な理想を掲げその後身を持ち崩し辛酸を舐めた彼の価値観からくるトリッキーな育成方法と戦術、それによって野球部は確実に力をつけていく。甲子園に行けなければ廃部、その公約を守り通すために彼が起こす行動は。

この作品は毎巻感想を述べているのでいまさら言うこともないが、既存の高校野球漫画にある球児の視線から斬った作品ではないということで。あくまで主人公は監督の鳩ヶ谷、“元・球児”である彼が高校野球をどう観ているか、現役だった頃に見えていた価値観、技術やチームワークやらの“自分の身体性でどうにかなる問題”ではなく、指導する立場から見た“戦術”と、とりまく社会との折衷を含む処世などの瑣末な事柄、それをしのいでいくという部分が魅力の中心になっているというか。

この巻では、試合のシーンにおける彩学野球部の実力の向上と、ライバルに決定した強豪・聖母学苑の模様が描かれ、終盤は主人公・鳩ヶ谷の過去を洗っていくという流れに。聖母の監督との頭脳戦という伏線が敷かれる、と。優れた選手を多く抱え名声を持ち、エースが故障すれば花道を作りあっさりと負け次へつなげるという余裕からくる采配と、まったく同じタイプながら凡庸な選手をいっぱしに育て上げ使えるようにして甲子園へ行くことが目標である鳩ヶ谷の対比が描かれ・・・まぁ環境の違いで斬れるようにも描いてあるが。ただ、強大な敵ということではなくあくまで同等、レベルは一緒だが抱える選手の力量が違いすぎる、そういう描き方になっている。その辺は好き嫌いが分かれるところだと思うが。

次巻はすでに出ているので続きはそちらで。

新吼えろペン 4

2006年4月30日 漫画
漫画家・島本和彦が描く漫画業界を題材にした作品。

連載を数本抱えたどこにでもいるありふれれた中堅漫画家・炎尾燃(ほのおもゆる)。アシスタントと共に完全燃焼の日々。漫画家の日常を業界の裏話を交えギャグに昇華した作品

基本的にこの作品は数話完結のエピソードをいくつか組んだものになっている。むやみやたらにアツイ熱血漫画家の主人公は“大人の事情”から来る内燃機関の暴走によって熱く詭弁を叫ぶ、と。パブリックイメージを言語化するならこういうことになるのだろうか。

だが、作品としての魅力は代弁者としての彼に感情移入してストレス発散するだけの作品ではないのだ。“会話の軽妙さ”つまり掛け合い漫才的台詞回しが非常に上手く、“絵”があるからこそ出来るシチュエーションによる笑い、それも上手い。3巻までは日常レベルだったが、この巻からはそんな御託は抜きにして続き物特有の財産である伏線や出来上がっている人物造形をフルに生かした内容になっている。引きの笑い、同じネタをポイント押さえて2度やるという笑い、そういうギャグも交え、テンションは前巻より上がっている。本領発揮ですかね。

PLUTO 3

2006年4月30日 漫画
漫画家・浦沢直樹が描く鉄腕アトム。

人間の痕跡がない殺人事件、残された謎のメッセージ…その先にあるものとは!? 漫画界の2大巨匠がタッグを組んだ、近未来SFサスペンス!!

巨匠・手塚治虫の名作“鉄腕アトム”の1エピソードである“地上最大のロボット”、わずか十数ページにこめられた内容の深遠さと思想を現代の視点から読み解き広大な物語として作り直す、そういった作品になっている。

舞台は近未来。“火の鳥(復活編)”の世界観を踏襲しており、世界はロボットと人類が共生、生活から軍事まで幅広くロボットは浸透している。高性能であればあるほど人間と見分けがつかない外見になり、先の戦争で活躍した数体のロボットは英雄として世界に散らばり人々に受け入れられながら日々の生活を送っている。その英雄たちが次々と“殺されていく/壊されていく”事件が起こり、刑事ロボット・ゲジヒトは捜査に乗り出すが・・・。

2巻まではSFである世界観を理解してもらおうという意図と顔見世という意味合いがあったようだが、ここからは物語が転がっていく。“MONSTER”方式というか、様々な世界の断片を切り取り、そのエピソードの集積で物語の全貌が見えてくるような。エピソードごとに完結しているので、短編集としても読めないことは無い。この巻では事件の“実行犯”とそれを操る黒幕の存在が提示され終わる。

ここまで来ると疑いようが無いのだが、作者は意図的にロボットにヒューマニズムとモラルを与えており、人間側には嫉妬や憎しみ、悲しみを表現する役割を振ってある。それが“ロボット”ゆえに心の機微まで十全に表現できていないと受け取るのもよし、人間には立ち向かえないほどの“力”を持っているがゆえに発露した善の感情だと捉えるのもよし、と。本当の人間らしさって何かね?と言われているようなそうでないような。そして両者の間にある断絶感と人間側からのロボットに対する“差別”、作者はこの辺りを中心に描きたいんではないかなぁと。それゆえに必要以上に設定を微細にしてあるような。

影響力抜群で表現力の卓越した作者が手塚治虫を描く、そういった“お祭り”企画に収まらない品質を叩き出してます。
タイトル通り、東京事変のDVD。

東京事変のセカンド・アルバム「大人」の収録曲より、映像作品を撮り下ろし!バンドとして成熟した、東京事変の個性的なビジュアルを堪能できる。

2nd“大人(アダルト)”収録曲から数曲をピックアップし新規に映像を撮りおろした作品集。前作“教育”の収録曲のPVと比較して思うのは、前作にあったバンドの骨組みを綺麗に装飾し、楽曲の意図の上にあるコンセプトをきちんと提示する、という・・・簡単に言うとバンドとしての“成熟”これを分かりやすく伝えてくる。ざっと拝見して思ったのは、ちょこちょこ退廃的なニュアンスが垣間見え、非日常の提供から日常の感覚の提示にシフトしたというか。

気に入ったのは“恋は幻”。ライヴに紛れ込んだしょうもない男が醜態を繰り広げまくり、偶然手にした香水をつけたところパフォーマンスをしていた東京事変と同じステージに立っている事に気づく。何も言わずカウントをする椎名林檎に合わせ知らないはずの振り付けで一緒に踊る、と。これはこの作品の中にあるユーモアの象徴ってことで。

<収録曲>
歌舞伎
秘密(for DJ)
Get It Up For Love“恋は幻”(for MUSICIAN)
修羅場
喧嘩上等
黄昏泣き

CUSTOM MADE 10.30

2006年4月1日 映画
奥田民生・木村カエラ主演作品。

奥田民生自身の打ち上げでの冗談めいたアイディアから生まれたたった一晩だけのコンサート、2004年10月30日たった一晩だけ開催された『ひとり股旅スペシャル@広島市民球場』。当初ドキュメントとしてスタートした本作の企画は、すでに伝説としてささやかれる"10.30"の奇跡的なパフォーマンスを受け、急遽変更。広島在住のマナモ&みなも姉妹の"メロディ"につき動かされる青春とコンサートシーンが融合した全く新しいエモーションの音楽青春ムービーとなった!主人公マナモは10.30タミオのコンサートになにを見るのか? そして「39才・ベテランロッカー」と「18才・女子高校生」の青春は10.30広島の空に響きあうのか?

この作品は、木村カエラが主人公となりストーリーを転がしつつ、ところどころで奥田民生のドキュメントが挟まれるという形をとっている。ライヴ会場としては今まで使われたことのない“広島市民球場”で、県出身である奥田民生のアコースティックライヴ“ひとり股旅”をやってみようじゃないか、という企画・・・それを映像化するにあたりドキュメント+ライヴという通常のリリース形態ではなく“映画”として製作するという遊び心のある作品になっている。ようはライヴDVDと映画の合作のような印象。というのも、ベテランミュージシャンであり独特の味を持つ奥田民生と映画の部分を担当する木村カエラは最後まで絡む事はない。しかも、各々の場面のトーンは明らかに違う。奥田サイドのユルさあふれるテイストと、木村カエラサイドの凝縮されたようなメリハリのある生活、その対比を魅せたかったということなんだろうか。女子高生のマナモ(木村カエラ)はミュージシャンとしての下積み的な生活を体現し、その到達点として奥田民生(本人役)が配置されている、という印象。

様々な登場人物はどこかしら非現実の匂いを漂わせている(おそらくこの作品の購買層を考えれば、ということだが)。木村カエラサイドに登場する人々は皆日常的な会話のやり取りをして普通に生活しているだけだが、格好やら行動やらが風変わりで、誰も彼もが人がいい。それゆえにシチュエーション自体はコメディテイストながら言外にちょっとした悲しみが感じられる。そうは言いながらも既存の青春群像劇の型ははずしていない。

普通なら奥田民生に(たとえば前述した夢の到達点として)あこがれる女子高生が出会う、という物語にしたほうがまとまりがいいのかもしれない。しかしこの作品ではマナモは彼女なりの日常の中で偶然に手渡されたチケットによって彼の元へ行くことになる。つまり、ミュージシャンとしては趣味の域を出ていない女性が何の思い入れもなく単なる娯楽の一環として観たパフォーマンス、そしてそのときに彼女が魅せる表情、それが結局のところこの作品のテーマを凝縮した瞬間なのだろう。

奥田民生の楽曲も数曲フルで演奏されるのでご安心を。映画的な演出のために使われているわけではなく・・・まぁBGMとしても使われてはいるが、彼の“ひとり股旅”の魅力を完全に抽出してある。しかしなぁ・・・このライヴの映像を観れば分かると思うんですが、これは相当なものですよ。球場を埋め尽くした観客が見守る中ピッチャーマウンド付近に据えられたこじんまりとしたステージで魅せる熱唱。音楽誌で情報だけは得ていたものの、面と向かって見せられると流石に心を揺さぶられる。これは洒落にならないなぁ。いろんな意味で。

音ログ

2006年3月10日 コンピュータ
こんなものを見つけました。
So-net.blogのほうに設置してあります。暇な方はご覧あれ。導入してあるiTunesに連動し、今聴いている音楽をリアルタイムで表示するというツールです。ジャケットの写真も出ます。まぁブログのにぎやかしとしては・・・おまけに僕のブログの性質を考えればちょっと面白いんじゃないかなぁ、と。

音ログ
http://otolog.jp/

Firefox

2006年3月10日 コンピュータ
導入しました。
ブラウザなんですがあれこれ便利です。OSを入れ替えして必要なアプリケーションを探しているうちに発見。因みに、ダイアリーノートのテンプレートで両サイドにサイドバーがあるタイプがありますが、このブラウザで観るとちょっとおかしなことになってます。どうしたもんかなぁ。

Firefox
http://www.mozilla-japan.org/projects/firefox/

Keep Tryin’

2006年3月4日 音楽
宇多田ヒカルの新譜。

これも例によってタイトルのテーマをお借りしたいと。
まぁそういったわけで、不定期ながらここを再開したいと思います。一つよろしくお願いします。

因みに軽く言及しておくと、この作品のPVを拝見しました。Web上のインタビュー記事を読んだんですが、さまざまなコスプレ?をした彼女が各々の日常を魅せていくというもので、時折はさまれるドアを開けてこちらへ向かう彼女の描写が心へ入り込んでくるような印象を醸し出し、魅入られたころポジティヴな描写を細かいカット割りで与えることでヒーリング効果・・・もとい気分を高揚させる作品に仕上がっていました。最近疲れ気味だったので非常に救われ。

参考まで。
http://www.toshiba-emi.co.jp/hikki/keeptryin/index_j.htm

それではまた。

innocent world

2006年3月4日 音楽
Mr.Childrenの作品。

アクエリアスCMにも使用されたキャッチーなメロディーとリズミカルなテンポが印象的なタイトルナンバーほか全3曲を収録した5thシングル。

えー、今回はいつものスタイルを踏襲しているものの、作品について語った内容ではありません。それを期待していた方、申し訳ないです。タイトルのテーマをお借りしたい、というだけです。あしからず・・・。

このブログはナルシズムの発露としてしか維持できていない、などと最近思うようになりました。対象化して語るという行為からだんだんと自己同一化するような作品ばかり取り上げているようなそうでないような。それに気づいたとき己を省みて書けなくなった、というのが本音に近い建前です。うーん、しかしそもそも自分が楽しめない作品を選ぶか普通?などと思ったりもする。その楽しみ方が作者の世界をちらっと見せてもらい現実逃避をするというものではなく、登場人物に自己投影してカタルシスを得るという子供じみた楽しみ方になっているなぁ、と。反省。

ここを自分の本棚として扱っていたはずがいつのまにか自己弁護に近い文章を書き連ねていたと感じたんです。過去の記事を読むときちんと対象化できてるじゃないかというものもあるっちゃあるんですが、そういったものは滅私具合が半端じゃない。反省。

それに気づいたら別のブログを立ち上げここは割り切って書いていくことも出来るとは思うんですが、更新を怠っていた理由を見ていた人には一応述べておいたほうがいいかなぁと思ったので。それではまた。

閑話休題

2006年2月24日
こんにちは。
えー、ダイアリーノートには最近導入されたあしあと機能というものがあり、利用している方はご存知だと思いますが、オンオフを切り替えられ、オンにしている方は気づいていると思うんですが、ほかの方にとっては更新が途絶えたのでアレかと。一応生存報告を。

作品を手に取る余裕が今のところないので、結果的に更新できないんですよね。
それではまた。

華麗なる食卓

2006年2月2日 漫画
漫画家、森枝卓士が描くカレー漫画

世界中で修業を積んだカレー職人・高円寺マキト。放浪の末、昔の恩人のカレー屋さんを訪ねるが、店は潰れる寸前…。マキトは恩人の娘・結維とともに店の再建に立ち上がる事を決意するのだった!! 作中のカレーのレシピもついて、世界初・カレーコミックの登場だ。

料理人である父が修行と称して蒸発してしまい父子家庭だった為ヒロインは1人でカレー専門店を切り盛りしている。しかし専門的な知識もなく料理の腕もさほどではない素人の高校生が出来ることは高が知れており、客足は遠のくばかり。店は事実上開店休業状態になっていた。そんなある日父の弟子と名乗る青年が店へやってくる。彼は世界中を放浪しカレーのみを極めた料理人だった。

とまぁつかみの部分はこういった感じなんだが、序盤は店を建て直すエピソードが続き、実在する様々なカレーを出し評判を得ていく主人公が描かれる。レシピなども紹介され、料理漫画の魅力である“情報伝達”の部分もきちんと踏まえている。ただまぁカレーのみで美味しんぼ形式を継続させるのはさすがに無理があるようで・・・あるいは作者の意図なのか、料理バトルやスキルの研磨による主人公の成長記というストーリー展開をしていく。自分の腕と知恵だけで周りを認めさせていくというような成り上がり的ニュアンスもありながら生き別れの父を探すというサイドストーリーもあり・・・なんだか盛りだくさんの内容になっている。しかし構成が上手く微エロを盛り込んで緩急をつけているためさくさくと読めてしまう。ストーリー自体はなんだかデジャヴを感じまくりだがそれゆえに安心できるしカレーも美味そうだしという。

数ある料理の中から題材をカレーに絞るという制約を設けながら巻数は20巻に達しようとしている。みんなカレーが好きなのか。因みにタイトルの華麗とカレーはもちろん語呂合わせです。

大人

2006年1月31日 音楽
東京事変の2nd

シングルやライブに続く、新生東京事変のニューアルバム「大人(アダルト)」発売がついに決定。新たな東京事変のすべてが詰まったニューアルバム。

前作「教育」の発売後ツアーを行い新曲「透明人間」「スーパースター」を演奏、それを含めたDVDをリリース、そして別の楽曲である「修羅場」をシングルで切り、今作で前述の2曲をアレンジしなおし音源化という戦略でリリースされた今作。しかし内容のほうは既存の楽曲群からのイメージからかけ離れたものになっている。

「教育」リリース時のインタビューで椎名林檎は「これは万人向けに刺激やエゴを抜いたもの。次作は異なった面を見せる」と述べていたが、今作はタイトルがテーマなのか非常に抑制された楽曲が多い。演奏や楽曲の完成度はそれなりに高く聴かせるのだがあくまで理性的な部分で評価してしまうというか。ヴォーカルの歌唱も意図的に楽器の一部として機能する事を狙っているとしか思えない。「透明人間」を「母国情緒」的な位置づけの楽曲にアレンジし直し「スーパースター」「修羅場」も平熱感を徹底させている。シングルバージョンよりも良くなっているとは思うがアルバムに統一感を出す為なのだろうか。アルバムを通して毒もちらほら感じられ「これが洗練された感情表現なのだよ」と言われてるようでなんだかだるい。しかしながらそうやってぼんやりと聴いていくと最後の「手紙」でかなりの衝撃を受けてしまう。アルバムの最後に配置されたこの楽曲に限ってだが、曖昧ながら想像する既存の(東京事変的ではなく)椎名林檎的なパブリックイメージそのままの感情をむき出しにした熱唱が。この楽曲が次作への布石だとしたら嬉しいんだが。

砂漠

2006年1月30日 読書
作家、伊坂幸太郎が描く青春モノ

麻雀、合コン、バイトetc……普通のキャンパスライフを送りながら、「その気になれば俺たちだって、何かできるんじゃないか」と考え、もがく5人の学生たち。社会という「砂漠」に巣立つ前の「オアシス」で、あっという間に過ぎゆく日々を送る若者群像を活写。日本全国の伊坂ファン待望、1年半ぶりの書き下ろし長編青春小説!

今作はミステリという体裁すら取っ払い純粋な青春群像劇に仕上げたということらしい。北村という青年の視点を軸に、彼を取り巻く仲間たちとの大学生活を入学から卒業までという区切りで描いている。大学生活を社会に出るまでの猶予期間と捉え、冒頭にあるサン=テグジュペリからの引用どおりそれは社会という砂漠の中の“オアシス”として後の人生に機能する、それを描いてみようということらしい。

大学に入学した北村は自然と集まった仲間たちと日々を送る。調子がよく女遊びの激しい鳥井、やたら自己主張が激しく熱い西嶋、クールな美人の東堂、超能力を使える女性・南という面子は時折集まり特にこれといってドラマチックでもないやり取りを重ねていく。ついた離れたの恋愛模様や小さな冒険も感情の起伏のない主人公の語り口によって客観的に提示される。

こうやって書いてみると何が面白いんだと思われそうだが、正直今一つだったとしか言いようがない。描きたかったのはおそらく傍観者でありストーリーテラーとして冷静だった主人公が仲間たちとの出会いにより徐々に徐々に関係性を構築して行き喜怒哀楽を表現するようになりいつのまにか当事者として物語に組み込まれていくというような話なのかもしれない。ただまぁどの描写についても掘り下げが足りないような印象を受けるし描写そのものが大学生の最大公約数的エピソードばかりなので、読み手にある程度自分自身の過去や見識が必要になってくるような。主人公を通して大学生活を疑似体験させるという部分においてもなんだか凡庸すぎる。共感し楽しむには刺激が足りず、疑似体験するにはドラマが足りないというか。

作者の手癖である会話のとぼけた味わいや人間関係賛美の部分はかろうじて保っているが、情緒が無いというかTVのテロップ的というか親切というか・・・「ここはこういうことなんだよ」と説明するような描写や会話が目立ちすぎていてどうにも乗り切れない。とはいっても要所要所で的確な情景描写を挟み盛り上がりをきちんと作っている部分もあるのでこの薄っぺらさと味気なさは意図的なものなんだろうかとまた疑問が。それでもこの作家の書く作品の効能を信じて最後まで読み通したが、最後の締めで切れてしまい。とぼけなくてもいいんだよそこは。とぼけたことで安っぽさがもう大変なことに。

ぐいぐいと読ませる力はあるんだが、こうやって振り返ると騙されていたような気持ちになる作品でした。どうしたものか。
漫画家、椎名高志が描くアクションコメディ

超能力者の存在が当たり前になった21世紀に、"超度7"の最強エスパーが舞い降りた! かわいいけれど性格難ありの10歳児、薫・葵・紫穂の行く末は、地球を救う天使か、滅ぼす悪魔か…!?

「GS美神」を代表作にする作者の新作。私見だがこの漫画家は魅力の質が“情”の部分に重きをおいたものなので・・・言い換えれば普遍的でありそれゆえに時代の流れを把握するのが下手な印象を受ける。ここ最近はコメディ路線を押し進めていたようだが今一つだった。この作品ではそういった点を様々な角度から修正している。

パラレルワールドの近未来の日本では超能力の存在が当たり前のものとなり、超能力を使った犯罪も多発。それを取り締まる為高度な超能力を持った子供たちを集めた政府の機関が発足し日々活動している。その中でも最高レベル・7である3人の少女たち。彼女たちはチルドレンと呼ばれ、災害救助からテロまで幅広く受け持ち鎮圧している。しかし子供ゆえの横暴が目立ち、お目付け役として主人公である皆本(みなもと)が派遣される。自分たちの持つ力を持て余し社会と上手く適応できない子供たちに“モラル”で立ち向かう主人公の奮闘を描いている。

正直思ったのは、やはりこの漫画家は直球の格好よさを伝えるキャラクターがいないと活きないのだなという。魅力の質は様々あれど、時代劇的に勧善懲悪を踏まえた輝きがあればこそ持ち味の勢いのあるギャグも活きるわけで。(因みにさっきからチクチク言っているのは風呂屋を題材にしたSFモノについてです。)しかし序盤からラストの伏線を張ってあるというのはどうなのか。今のところは文句なしに面白いんだが。

クロスゲーム

2006年1月28日 漫画
漫画家、あだち充の新作

幼なじみは四姉妹!? スポーツ用品店の息子・樹多村光と、バッティングセンター&喫茶店「クローバー」の娘たちが繰り広げる、爽やかで少しせつない青春野球ストーリー!!

最近立て続けに自作が映像化されているあだち充の新作。「H2」「タッチ」と野球を題材にした作品が映像化されたのを受けてなのか、今作も野球漫画になっている。因みに水泳を題材にしたラブコメ「ラフ」もドラマ化されるらしい。

主人公の小学生・光(こう)はスポーツ用品店の1人息子。バッティングセンターと喫茶店を営む家庭と家族ぐるみの付き合いをしている。同級生である次女は主人公への好意を隠さず戸惑いながらも付き合いのようなものを続けていた。しかし彼女は事故で急逝してしまう。亡くなる前に交わした約束とも呼べない一方的な期待の言葉を忘れられずに月日は流れて行き・・・。

今までの作品にあったどこか読者を突き放したような距離感、オフビートなシチュエーションの妙で笑わせるユーモア、手塚治虫のスターシステム的・・・似たような人物が似たような事をするというデジャヴあるいはマンネリを徹底することによる安定感、そういったものがこの作家の魅力ではないかなぁなどと思っていたが、今作はその中での“距離感”という部分が過去の作品とかなり異なってるような印象を受けた。取りようによってはベタとも思える展開をあえて導入していて、それが画風である淡々とした描写と絡むとなぜか魅力的に見えてくるのだ。

絵柄を変えず同じ題材(青春モノ)を扱うことで時代ごとの空気や理想のようなものを提示している、そんな風に思えていたが(虹色とうがらしは別として)、この親密な味はちょっと意外というかなんというか。なんだか傑作の予感がひしひしと。

ママ

2006年1月10日 漫画
漫画家、細野不二彦が描く青春モノ。

作品ごとにテーマを決め、様々な題材を描いている漫画家・細野不二彦。代表作としては、贋作のみを扱う美術商・藤田の奮闘を描くアートを題材にした作品「ギャラリーフェイク」だろうか。古くは「Gu Gu ガンモ」などアニメ化された作品もあり。今回紹介する作品はそんな彼の現在の絵柄が完成される過渡期に描かれた青春モノだ。

主人公一家が街の商店街に引っ越してくるところから物語は始まる。美容室を営む母・従業員の3人の女性を含む5人で暮らす主人公は店の向かいにある食堂で働く女性に一目ぼれ。しかし高校生の主人公と同じ年頃の彼女はバツイチ子持ちの出戻りだった。

序盤は訳ありのヒロインに恋焦がれる高校生の主人公の学生生活をコメディタッチで描いていく。しかしドロップアウト気味の主人公は高校へ通う現在の生活自体に疑問を感じ始める。結果、高校をやめニートになるものの、横のつながりが強い街ゆえに世間の目に追われ家にこもりがちになる。葛藤の末に決断し調理師専門学校へ行くことになるが・・・。

いわゆる“つかみ”の部分のみラブコメにしてあるものの、この作品は主人公の成長記になっている。当時「めぞん一刻」が世間的に受けており、そのフォーマットを借りて描いたようだ。こうやってあらすじを抜粋するとなんだか厳しい話のように思えるが、まったくそんなことはない。まず主人公のパーソナリティが自分の信念を決して曲げない、媚びない、それゆえに人との距離が出来てしまうという設定。そして、ヒロインとのつかず離れずの恋。この2つが軸となり、様々な登場人物が入れ替わり立ち代り現れては消え主人公を一人前に仕上げていく。

この作品の魅力なんだが・・・。主人公が調理師学校へ入学する際、母親は金を出さないと宣言する。その金を作る為に主人公は弁当屋でバイトを始めるが、応募〆切間際になっても金は貯まらない。それをヒロインに愚痴ったところ、ヒロインは金を何処からか都合してくる。(因みにヒロインと主人公は付き合っていない)喜ぶ主人公。しかしその金はヒロインを落とそうと考えライバルの主人公に貸しを作ることで蹴落とそうとしている社会的地位のある男性から流れてきたものだった・・・という具合。こういったケレン味が主な魅力になっている。恋愛モノで省略されがちな社会からの視点を中心に物語は展開して行き、泥にまみれながらも自分の信念を曲げずに一人前になっていく1人の男性を描いている。

この作品は作者の過渡期ということで、序盤と終盤では絵柄やノリがかなり違う。序盤の風俗描写の古臭さを我慢すれば・・・まぁ田舎町特有のダサさだと割り切れるような描写になってはいるが・・・普遍的な物語になっていると思う。ただ、この作品は主人公が読者の代弁をするというような作品ではない。口下手で内向的な主人公は読者と一定の距離があり、心情を情景描写で表現するというテクニックを多用していることもあって自分に置き変えることは難しいかと。しかしながらストーリーが秀逸でテーマが普遍的なので古い作品ながら現在でも風化していないはず。

女王蜂

2006年1月6日 TV
TVシリーズ最新作。

大道寺家の美しい娘・智子の求婚者が次々に凄惨な方法で殺される連続殺人事件が発生。金田一は事件の真相が智子の過去にあると感じ、捜査を始めるのだが…。

名探偵・金田一耕助が事件を解き明かすミステリの古典。主人公役が代替わりしつつ現在まで定期的に新作が発表されている。この場合の新作というのはキャストを一新し撮りなおすという部分であり原作は同じ。つまり、同じ原作でありながら異なった役者による作品がいくつも並ぶことになる。個人的にもっともはまり役だったと思える石坂浩二を始め、古谷一行、鹿賀武史、片岡鶴太朗、渥美清、豊川悦司などが演じてきた主役の名探偵。最近また代替わりをして現在はSMAPの稲垣吾郎が演じている。基本的にTVの2時間ドラマとして制作されお茶の間への浸透度は高いかと。豊川悦司バージョンのみ映画として製作された。

横溝正史というミステリの大御所の作品という事であらすじ等は省略。調べればいくらでも出てくると思うので・・・。“新作”として製作された稲垣吾郎版金田一についてのみということで一つ。

結論から言うと、今作は非常に出来が良い。僕が見た限り正月特番のドラマの中で一番の出来栄えといっても差し支えない。金田一耕助という作品を洗い直し現在再現するに当たって何が足りないのか・何を残すべきかをきちんと考え抜いた上で製作されたという印象を受けた。まず既存の作品にあった薄暗い雰囲気・・・これは凄惨な事件という内容上ある程度必要悪のようなものではあったのだが、その為時折「ミステリ?ホラー?」という疑問を感じる部分を今回は「これはミステリ。しかもお茶の間に特化したもの」とはっきり断言している。具体的に言うと、セットなどに毒々しいほどの原色を散りばめ華やかさを加味し視覚的に見応えのあるようにしてある。室内の映像ではドラマの質感、屋外が映るシーンでは映像に処理をして既存の金田一シリーズのイメージから逸脱しないような映像を魅せてくれている。演出も上手く、変人ということで世間からある種乖離したような金田一像を払拭し、所々でコメディ的に描くことで現在的解釈を入れた人間味を出してある。稲垣吾郎版になってからの特徴だが、いわゆる“ワトソン役”として作者・横溝正史本人を物語に投入しており、その辺りも効いているような。そういった要素が絡み合いつつも“観ていて落ち着く”というシリーズモノの一番の売りをはずしていないのだ。

強いて苦言を呈すとするならば、緊張感というものが非常に希薄。凄惨な描写を控えたゆえに殺人のリアリティが無い。死体すらも雰囲気作りの一環のように思えてしまう。また、殺人事件の内実が年を経たドロドロの愛憎劇というのも今更感があり。原作つきなのでこればっかりはしょうがないわけだが。

ただ、今作はそれを踏まえてもなかなか良作だと思う。作り上げられた物語を包み込む雰囲気はあきらかに金田一シリーズに共通するものながら、きちんと現在の解釈あるいは価値観が加えられていたからだ。長寿シリーズだから既存のファンさえ裏切らなければ良いというような守りの姿勢ではなく、金田一の良さを伝えて新たなファンを・・・という思いが垣間見えた。
新春特別企画・最後の古畑任三郎。

全身黒を基調にしたファッションに、刑事にはとても見えない風貌、そしてやわらかい物腰。拳銃を持たず、暴力も行使しない。ただ己の冷静な判断と推理力、そして巧みな話術で、犯人の巧妙なトリックを見事に解き明かす…。和製コロンボとも呼ばれた「警部補 古畑任三郎」は、刑事ドラマの枠を超えて、多くのファンを魅了した。冒頭シーン、犯人の攻防場面、事件解決に至る場面など、段階ごとに古畑が視聴者に向かって問い掛ける演出は新鮮。登場する犯人役に豪華な顔ぶれを配し、古畑との対決を見ごたえたっぷりに描く。生活観を感じさせない古畑を、田村正和が独特な雰囲気の中で印象づけている。

三夜続いたこの企画も今日でラスト。タイトルも「ラスト・ダンス」と銘打ち文字通り“最後の”古畑任三郎の活躍を描く。もともとこの作品はゲスト(犯人)役の俳優・女優と田村正和の演技力を競う意味合いが大きかった。彼らに華を持たせる時もあれば強烈に絞り上げるときもあり。そんな田村正和演じる警部補・古畑任三郎の追い込みを受け止める彼らの演技が結局のところこの作品の一番の魅力であったというか。普通の(広義の)ミステリにおける謎を解き明かす役割を果たす人物の語り口にカタルシスを得るという楽しみ方ももちろんできるわけだが、この作品はそれ以上に犯人を・・・犯人を演ずる役者を、魅力的に描くことに腐心していたように思える。

第三夜の今回は松嶋奈々子が一人二役を演じる。双子である彼女たち姉妹。TVドラマの脚本を担当し家で黙々と書き続ける生活を送る内向的な姉・紅葉(もみじ)とマネージメントを含め外へ出て“顔”の役割を果たす妹・楓(かえで)。姉は妹との意見の食い違いで独立を考え、一方で華やかな場所への渇望を募らせ、妹に成り代わることで不満を解消しようとする。犯罪は上手く行くが、仕事の参考にするため警察関係の情報を流してもらっていた警部補・古畑任三郎の存在は彼女を徐々に追い詰めていく。

名実共にラスト、ということになる今作だが、特にコレといった大仰な演出はなされておらず、予想通り古畑任三郎というドラマの基本に立ち返ったエピソードになっている。古畑という人間の魅力、部下たちの珍妙なやり取りといったコメディの要素を強めにアピールしつつ、犯人の心情を心憎いほど汲んだ古畑の振る舞いはこの作品に一貫した独特の後味を残す。ラストだからこそ古畑任三郎の本来の魅力を・・・!という思いが垣間見える。

古畑任三郎シリーズを通して言うならば特に突出した出来栄えというわけでもないこのエピソードだが、その凡庸な感触が平熱感があり逆にいいかもしれないなぁと。結局のところ、田村正和という役者のパーソナリティを踏まえた、酸いも甘いもかみ分けつつ情や義憤などに安易に寄りかからない“大人”として人物造詣がなされており、かといってミステリにありがちな何の私的感情も込めず謎を解くことのみに特化し日常描写で魅力を補足するような探偵役でもない。犯人の心の機微を掬い取り最大限の気遣いを見せつつも職務を全うするという優しさにも似た振る舞いがこの作品を通した魅力ではなかっただろうか。TV番組として製作されたがゆえの日常感がこの作品においてはいい方向に転がっていたと思う。などとまとめてみたが、この作品がこれで終わるとはどうしても思えないのだ・・・。
新春特別企画・最後の古畑任三郎。

全身黒を基調にしたファッションに、刑事にはとても見えない風貌、そしてやわらかい物腰。拳銃を持たず、暴力も行使しない。ただ己の冷静な判断と推理力、そして巧みな話術で、犯人の巧妙なトリックを見事に解き明かす…。和製コロンボとも呼ばれた「警部補 古畑任三郎」は、刑事ドラマの枠を超えて、多くのファンを魅了した。冒頭シーン、犯人の攻防場面、事件解決に至る場面など、段階ごとに古畑が視聴者に向かって問い掛ける演出は新鮮。登場する犯人役に豪華な顔ぶれを配し、古畑との対決を見ごたえたっぷりに描く。生活観を感じさせない古畑を、田村正和が独特な雰囲気の中で印象づけている。

「FINAL」と銘打った文字通り“最後の”古畑任三郎シリーズ。刑事コロンボを髣髴とさせる構成・・・犯人は最初から分かっていて、彼ら(各話の犯人たち)が起こした犯罪のほころびを主人公が掴み解きほぐしていくという物語になっている。トリックが徐々に解き明かされていくものの情景描写のみに留め、事件解決の前に主人公が視聴者にどうやって謎を解いたのかあなたも考えてみてくださいと語りかけるというシーンが毎回挟まれる。これはミステリ(書籍)などでは割とポピュラーな手法になっている。そういったミステリのパロディ(オマージュ?)を取り入れつつあくまで軽やかなテイストの作品になっている。今作は新春特別企画として3夜連続で各々異なった事件を扱っている。

今作の犯人は現実のメジャーリーガー・イチローが本人役で演じている。作中で主人公に語らせているが、そもそも当初の予定ではイチローをモデルにした“ハチロー”なる人物にして製作する予定だったらしい。しかしその噂を聞きつけたイチローがそれなら僕が出演したほうが面白いんではないのかということで出演を快諾しこういった話になったとか。さすが器がでかいぜ。

しかしながら、製作側が現役の野球選手に演技をさせることに不安を感じたのか、イチローが長い間続いたこのシリーズにおける名脇役ともいえる登場人物の兄弟という設定にしており、その辺でどうか一つおおめに見てくださいというノリが垣間見える。ところがイチロー、素人目に見てもかなり演技が上手い。最後までこの作品に流れる独特の雰囲気を全く壊さず演じきっていた。そのあたりはさすがというかなんというか。自ら名乗り出るだけの事はある。ただまぁ、当初の予定通りハチローならもっと物語を面白く出来ただろうなぁとも思えるわけで。いわゆる“本人”であるイチローが出演したことで、彼の名前に傷をつけないようにとの配慮が非常に行き届いていて、犯罪に至る動機から彼の“現実の”名声・人気をアピールするシーン、人物造詣や犯罪が露見し捕まるシーンに至るまで完全に“メジャーリーガー・イチロー讃歌”と呼べるものになっている。それでもそれなりに魅せてしまうところがこの作品の心憎いところなのだが・・・。

とにもかくにも、「イチローが演技してる!しかもけっこう上手い!」というインパクトが大きすぎて古畑任三郎としての面白さというものはあまりない。テイストで似たエピソードを探すとするならSMAPが本人役で出演したSPに近い。ゲストキャラを立てるという意図が見えすぎるのだ。

これが意図的なもので、3夜のバランス配分を考えつつ構成しているのだとするならば・・・初日は顔見世で脚本に注目が行くようにして、次は犯人役の配役の豪華さを思い出させ、明日の松嶋奈々子のエピソードでは古畑任三郎賛美の内容になりキレイに着地することになるが・・・。そこまで考えているのなら、さすが長寿シリーズ、とうならされるなぁ。さて、名実共に「FINAL」の明日はどうなるだろうか・・・。
新春特別版・最後の古畑任三郎。

全身黒を基調にしたファッションに、刑事にはとても見えない風貌、そしてやわらかい物腰。拳銃を持たず、暴力も行使しない。ただ己の冷静な判断と推理力、そして巧みな話術で、犯人の巧妙なトリックを見事に解き明かす…。和製コロンボとも呼ばれた「警部補 古畑任三郎」は、刑事ドラマの枠を超えて、多くのファンを魅了した。冒頭シーン、犯人の攻防場面、事件解決に至る場面など、段階ごとに古畑が視聴者に向かって問い掛ける演出は新鮮。登場する犯人役に豪華な顔ぶれを配し、古畑との対決を見ごたえたっぷりに描く。生活観を感じさせない古畑を、田村正和が独特な雰囲気の中で印象づけている。

「FINAL」と銘打って新春特別番組として3夜連続で放送される人気シリーズモノ。刑事コロンボへのオマージュとして構成を踏襲した作品。TVシリーズとして3クール、2時間ドラマとしても何度かSP版が制作された。TVシリーズの最後では疲労をにじませどこかへ旅立っていき、その後製作されたSP版(上記の画像)では海外で事件を解決するという話になっていた。今作では何事も無かったかのように現場に復帰している。

老舗だが零細企業の食パン会社。社長が亡くなり息子が継ぐことになるが次男である藤原竜也は兄を殺し社長の座に着く。捜査の為やってきた警部補・古畑任三郎は全くやる気を見せない。古めかしい洋館、死を呼ぶわらべ歌・・・時代錯誤の雰囲気に呆れかえりつつも推理で藤原竜也を徐々に追い詰めていく古畑。しかし物語は急展開を見せる。

久しぶりの作品という事で期待して観てみた。藤原竜也の演技はなかなかのもの。この作品特有の殺人に対する犯人の平熱感・罪悪感の無さもそのままに謎を解けるかどうかという古畑との掛け合いがメインになる。テーマともいえる犯人の弱者を軽く見たゆえの自己弁護・自己保身を古畑が打ち砕くという基本のスタンスは全く変わっていない。脚本家の味である決してシリアスになりすぎない洒脱?なやり取りも相変わらず。懐かしい、としか言いようがない。

まず、西村雅彦演ずる今泉が復帰したのが嬉しかった。彼がいないとやはり魅力が半減してしまうような。シリアスになりすぎてしまうのだ。ただ、SP版になってからテンポが今一つよくないような。物語やトリックや理詰めで追い詰める為に必要なシーンを盛り込めば1時間では収まらないのは分かっているものの、ある種コメディとして観てしまうのでどうしてもリズムや勢いは重視せざるを得ないというか。さて、第二夜はどうなるか・・・。

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