漫画家、安野モヨコが描くエッセイ風漫画
“カントクくん”こと庵野秀明と結婚した安野モヨコが結婚生活をコミカルに漫画化したこの作品。あの「新世紀エヴァンゲリオン」を創った庵野監督を、仕事という面からではなく、1人の“恋愛対象になりうる異性”という観点からスパッと斬っている
服を1週間以上着替えないという不潔さなどに代表される庵野監督の“オタクっぷり”を余すところ無く伝え、安野モヨコの購読層と思われる現実的な女性に、いわゆるオタクという人種との共生をささやかながら提唱する作品になっている。ファッションやら恋愛やらに代表される若者的なプライオリティが、結婚に付随する生活の変化に伴い相手の価値観を受け入れることで大きく変化する様が赤裸々に描かれ、最終的には人間性を愛でるという部分に行き着くという結論めいたものが用意される。そこにおける、若者の価値観を描き続けていた作者の明るい諦観のようなものはこの作家の作品を読んできた読者なら納得せざるを得ない、そしてかなり笑えるものになっている
巻末にモデルになった庵野秀明の解説文が掲載されているが、はっきりいって「のろけすぎですよ」と突っ込みたくなるほど愛に溢れている。因みに、作中に度々登場するオタク用語は巻末に解説がついているのでご心配なく。面白いです
人気漫画家・安野モヨコ(働きマン!)と夫・庵野秀明のデイープな日常が赤裸々につづられた爆笑異色作。著者初のエッセイコミックでもあり、夫=カントクくん(「新世紀エヴァンゲリオン」「キューティーハニー」等の監督)のオタクぶりが初めて明かされた作品でもあります。アニメ界と漫画界のビッグカップルが、こんなにもおかしく愛おしいオタク生活を送っているなんて!世界中に生息するオタク君はもちろん、オタ嫁(オタク夫を持つ妻)も共感すること間違いなしの衝撃作。巻末には、よりコアに楽しむために‥オタク垂涎!?のオタク用語解説2万字を収録、ファン待望のエッセイコミックです
“カントクくん”こと庵野秀明と結婚した安野モヨコが結婚生活をコミカルに漫画化したこの作品。あの「新世紀エヴァンゲリオン」を創った庵野監督を、仕事という面からではなく、1人の“恋愛対象になりうる異性”という観点からスパッと斬っている
服を1週間以上着替えないという不潔さなどに代表される庵野監督の“オタクっぷり”を余すところ無く伝え、安野モヨコの購読層と思われる現実的な女性に、いわゆるオタクという人種との共生をささやかながら提唱する作品になっている。ファッションやら恋愛やらに代表される若者的なプライオリティが、結婚に付随する生活の変化に伴い相手の価値観を受け入れることで大きく変化する様が赤裸々に描かれ、最終的には人間性を愛でるという部分に行き着くという結論めいたものが用意される。そこにおける、若者の価値観を描き続けていた作者の明るい諦観のようなものはこの作家の作品を読んできた読者なら納得せざるを得ない、そしてかなり笑えるものになっている
巻末にモデルになった庵野秀明の解説文が掲載されているが、はっきりいって「のろけすぎですよ」と突っ込みたくなるほど愛に溢れている。因みに、作中に度々登場するオタク用語は巻末に解説がついているのでご心配なく。面白いです
SEXY VOICE AND ROBO
2005年2月16日 漫画
漫画家、黒田硫黄が描くスパイ漫画
詳しくは上記を参照されたし
最近活動している様子のまったく無い黒田硫黄がIKKIという雑誌に書いた作品。因みに、雑誌では休載という扱いになっている。序盤から徐々にスパイとしての仕事に踏み込んで行き、バイト感覚で事に当たっている主人公ニコは認識を改めるよう促されることになるというのが現在までの流れだ
この作家の独特の画風ととぼけた味わい、奇妙な情緒は存分に発揮されているが、これまでのガロ的というか純文学的というか、妙に浮世離れした作風は影を潜め、エンターテインメントの要素が色濃い作品に成っているのでこの作家に入るには最適な一冊といえる。利発で行動的なニコと、いいように利用されつつもそれなりに楽しげなロボのやりとりはとぼけてなかなか面白い。そして登場人物も皆一癖ある人物ばかりだ。しかし事件自体に俗っぽさを加味しているので、普通の漫画となんら変わりない部分とこの作家特有の味が絶妙に混じっていて妙な求心力を発揮している
再開を切に希望・・・
テレクラのサクラをしながらスパイ修行をする少女、林二湖(ニコ)。コードネームは「セクシーボイス」。偶然出会った、謎の「おじいさん」からの依頼を受け、さえない相棒ロボを手足に使って次々と事件を解決していく。14歳の女の子ならではの軽やかさと大胆さが、すがすがしい読後感をもたらしてくれる。2002年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞作品。第1巻では1話で1つの事件を解決する、1話完結式の構成だが、第2巻では、裏社会に深く足を踏み入れてゆくニコの姿が描かれ、ゆるやかに物語全体が進行していく。「今救えるのは、宇宙で私だけ」(1巻)、「意志でなく、才能が行く道を選ぶ。/そういうことがあると思うのよ」(2巻)。こんなほれぼれするようなキメゼリフと黒田独特の構図が、冴えまくる。登場人物のそばにぴたりとはりついて描いているかのような構図と思い切りひいて描いた構図が突然切り替わり、心地よいめまいをもたらしてくれる。セリフまわしや「スパイもの」という設定のせいで、全体の印象はどこかクラシカル。だが、ニコのキャラクターやディテールの作りこみ、事件ごとの設定には、いまどきの風俗を巧みに取り入れており、そのバランスの取り方がなんともにくい。黒田作品というと、玄人好みであるとか難解であるとか評されることもしばしばであったが、本作は誰が読んでもきっちりと楽しめるエンターテイメントとしても、極上の仕上がりになっている
詳しくは上記を参照されたし
最近活動している様子のまったく無い黒田硫黄がIKKIという雑誌に書いた作品。因みに、雑誌では休載という扱いになっている。序盤から徐々にスパイとしての仕事に踏み込んで行き、バイト感覚で事に当たっている主人公ニコは認識を改めるよう促されることになるというのが現在までの流れだ
この作家の独特の画風ととぼけた味わい、奇妙な情緒は存分に発揮されているが、これまでのガロ的というか純文学的というか、妙に浮世離れした作風は影を潜め、エンターテインメントの要素が色濃い作品に成っているのでこの作家に入るには最適な一冊といえる。利発で行動的なニコと、いいように利用されつつもそれなりに楽しげなロボのやりとりはとぼけてなかなか面白い。そして登場人物も皆一癖ある人物ばかりだ。しかし事件自体に俗っぽさを加味しているので、普通の漫画となんら変わりない部分とこの作家特有の味が絶妙に混じっていて妙な求心力を発揮している
再開を切に希望・・・
strawberry shortcakes
2005年2月15日 漫画
漫画家、魚喃キリコが描く4篇の愛の形
4篇の物語が並列に進行する物語。各々に色をつけており、塔子は仕事への情熱、ちひろは自分の小さな世界での行き詰まり、里子はお気楽で楽観的な生活と妄想、秋代は売春をしつつも好きな男への焼け付くような想いを抱く様を描く
各々立場も考え方も違う登場人物がそれぞれ主人公になった短編が並べられている。この作家特有の切なさや痛みのようなものは変わらず表現されているが、今までには登場しなかったようなお気楽で妄想気味のキャラクター里子は目新しい。上記のキャッチコピーから感じられるような叙情的な物語に、里子のエピソードが加わることで広がりを与えている。里子のノリは「ハルチン」に受け継がれ、そこではさらに高野文子的なとぼけた味わいを出している
この作品はバランスが非常に良く、以前のように「此処は良い。しかし同じくらい此処がダメだ」と感じる部分が無い。良さを伸ばす方向ではなく、欠点を潰して行ったのかもしれない。現在のところこの作家の中で最も好きな作品。おすすめ
あたしの心が安らかでありますように。
魚喃キリコ待望の最新作
傑作ガールズストーリー
過食症のイラストレーター…塔子
自分の居場所を求める事務OL…ちひろ
恋の訪れを待つフリーター…里子
仕事を隠して愛しい男に会いにいくホテトル嬢…秋代
みんな あなたのまわりにいる女の子です。
4篇の物語が並列に進行する物語。各々に色をつけており、塔子は仕事への情熱、ちひろは自分の小さな世界での行き詰まり、里子はお気楽で楽観的な生活と妄想、秋代は売春をしつつも好きな男への焼け付くような想いを抱く様を描く
各々立場も考え方も違う登場人物がそれぞれ主人公になった短編が並べられている。この作家特有の切なさや痛みのようなものは変わらず表現されているが、今までには登場しなかったようなお気楽で妄想気味のキャラクター里子は目新しい。上記のキャッチコピーから感じられるような叙情的な物語に、里子のエピソードが加わることで広がりを与えている。里子のノリは「ハルチン」に受け継がれ、そこではさらに高野文子的なとぼけた味わいを出している
この作品はバランスが非常に良く、以前のように「此処は良い。しかし同じくらい此処がダメだ」と感じる部分が無い。良さを伸ばす方向ではなく、欠点を潰して行ったのかもしれない。現在のところこの作家の中で最も好きな作品。おすすめ
「話の特集」と仲間たち
2005年2月14日 読書
元編集長・矢崎泰久による雑誌「話の特集」回想録
まず、この作品の魅力の大きな部分を担っているのは、現在では大御所とされる著名人が様々な形で物語に華を添えていることだろう。上記に挙げられた以外にも大勢登場し、彼らの若かりし日の姿が垣間見えるので若い読者としては新鮮だった
ノンフィクションながらも浮き沈みのある物語は、「話の特集」という雑誌の変遷を辿る読み物としても、戦後の作家たちの交遊録としても読み応えがある。雑誌が立ち上がった当初から5年間の話に絞っているが、現在とは肌触りの違う荒削りで熱気が溢れるような時代が描かれていて、非常に面白い。おすすめ
1965年12月20日。『話の特集』創刊。表紙絵は横尾忠則、デザインは和田誠、編集長は矢崎泰久。日本の雑誌文化に大きな影響を与えた『話の特集』の黎明期(65~70年)を、編集長が今はじめて振り返る。まぼろしのパイロット版、苦難の立ち上げ、豪華執筆陣、「ビートルズ・レポート」、突然の休刊、奇跡の復活……、ヒップな時代に登場した、エピソード満載の雑誌クロニクル。あの雑誌、あの時代、あの人たちの回想録。
(主な登場人物 50音順 敬称略)
伊丹十三、五木寛之、植草甚一、永六輔、遠藤周作、小沢昭一、邱永漢、黒田征太郎、小松左京、篠山紀信、竹中労、立木義浩、長新太、筒井康隆、寺山修司、野坂昭如、深沢七郎、三島由紀夫、横尾忠則、吉行淳之介、和田誠
40年前から10年前まで発行された独自の視点を持った雑誌「話の特集」の初期のストーリー。和田誠さんなどの協力できら星のような才能が1つの雑誌に集結していく混沌とした60年代後半に登場した梁山泊のような雑誌の創刊物語である。故竹中労にどこか似ている筆者が休刊などの危機を乗り越えて中年御三家や革自連のムーブメントへとつながっていく様子を描いている
まず、この作品の魅力の大きな部分を担っているのは、現在では大御所とされる著名人が様々な形で物語に華を添えていることだろう。上記に挙げられた以外にも大勢登場し、彼らの若かりし日の姿が垣間見えるので若い読者としては新鮮だった
ノンフィクションながらも浮き沈みのある物語は、「話の特集」という雑誌の変遷を辿る読み物としても、戦後の作家たちの交遊録としても読み応えがある。雑誌が立ち上がった当初から5年間の話に絞っているが、現在とは肌触りの違う荒削りで熱気が溢れるような時代が描かれていて、非常に面白い。おすすめ
漫画家、中原裕が描く高校野球を題材にした作品
この巻では、序盤を鳩ヶ谷独自の練習法の披露にあて、中盤でその練習の効果を見せ、後半からは沖縄合宿の費用捻出の条件として出された練習試合に挑む。相手は聖母学苑という強豪だ。鳩ヶ谷は胸を借りるつもりではなく、あくまで勝つことにこだわっていく
現段階ではいわゆる下積みをしている状態なので、特にこれといった派手な描写は無い。多少変わった練習法が面白い程度の話だ。草野球チームから引っ張ってきた剛士のプライベートを少し描く程度で、淡々とした描写が続く。だが、作者の力量なのかそれが見ていて面白い。一連の努力が結実した時の興奮を今から感じさせてくれる。そして、現在の彩学の実力を計ることができる練習試合が組まれる。試合開始直前でこの巻は終わるが、強豪に何処まで通用するのか=練習の結果が出せるのかが単純に楽しみだ。5巻に期待
来年甲子園へ行けなければ廃部。その公約を元に1年間の猶予を与えられた彩学野球部。卒業生であり元野球部のキャッチャーでもあった鳩ヶ谷監督は夏の大会を諦め、来年までに勝てるチームを作ることに決める。野球部のクセのある面々や父母会をなだめすかしながら一風変わった独自の練習法で着実に選手の欠点を潰していく。そして秋を向かえ・・・
この巻では、序盤を鳩ヶ谷独自の練習法の披露にあて、中盤でその練習の効果を見せ、後半からは沖縄合宿の費用捻出の条件として出された練習試合に挑む。相手は聖母学苑という強豪だ。鳩ヶ谷は胸を借りるつもりではなく、あくまで勝つことにこだわっていく
現段階ではいわゆる下積みをしている状態なので、特にこれといった派手な描写は無い。多少変わった練習法が面白い程度の話だ。草野球チームから引っ張ってきた剛士のプライベートを少し描く程度で、淡々とした描写が続く。だが、作者の力量なのかそれが見ていて面白い。一連の努力が結実した時の興奮を今から感じさせてくれる。そして、現在の彩学の実力を計ることができる練習試合が組まれる。試合開始直前でこの巻は終わるが、強豪に何処まで通用するのか=練習の結果が出せるのかが単純に楽しみだ。5巻に期待
映画「半落ち」の原作者、横山秀夫が描くミステリ
この作品は短編集になっており、各々主人公が存在する。とはいっても、“D県警”という一警察署内で勤務する職員という縛りがあり、ある程度キャリアと経験を積んだ“刑事ではない”事務関係の職員が主人公になるという点が目新しいということらしい。人事を担当する役職や婦警を束ねる役職に就いた主人公たちがその役職ゆえに自分の身に降りかかるトラブルを解決するために奔走する
主人公たちは40代前後という年齢設定であり、ある程度のキャリアがあるゆえにプライドも人並みの野心もある。それゆえに組織内で動くのにはしがらみも個人の立場も踏まえなければいけない。短編なので一つのトラブルを解決するだけだが、そこにおける情緒やユルさの介在しない主人公たちのメンタリティによって、物語はかなり硬質な印象を受ける。そして、ミステリとしての体裁もきちんと踏まえ、少ない枚数でバランスよく物語を組み立ててある
多少年配向けという印象だが、なかなか面白いです
警察一家の要となる人事担当の二渡真治は、天下り先ポストに固執する大物OBの説得にあたる。にべもなく撥ねつけられた二渡が周囲を探るうち、ある未解決事件が浮かび上がってきた…。「まったく新しい警察小説の誕生!」と選考委員の激賞を浴びた第5回松本清張賞受賞作を表題作とするD県警シリーズ第1弾。
この作品は短編集になっており、各々主人公が存在する。とはいっても、“D県警”という一警察署内で勤務する職員という縛りがあり、ある程度キャリアと経験を積んだ“刑事ではない”事務関係の職員が主人公になるという点が目新しいということらしい。人事を担当する役職や婦警を束ねる役職に就いた主人公たちがその役職ゆえに自分の身に降りかかるトラブルを解決するために奔走する
主人公たちは40代前後という年齢設定であり、ある程度のキャリアがあるゆえにプライドも人並みの野心もある。それゆえに組織内で動くのにはしがらみも個人の立場も踏まえなければいけない。短編なので一つのトラブルを解決するだけだが、そこにおける情緒やユルさの介在しない主人公たちのメンタリティによって、物語はかなり硬質な印象を受ける。そして、ミステリとしての体裁もきちんと踏まえ、少ない枚数でバランスよく物語を組み立ててある
多少年配向けという印象だが、なかなか面白いです
漫画家、古谷実が描く青春物
私見だが、この巻で作品自体のカラーがある程度決まったと思う。この作者のキャリアから推測していた陰鬱で現実に即した観念的なものの見方を提示するという方向性ではなく、作者から観たリアリティのようなものを提示している。その世界観において、現実に起こりうるモラルに反した行為や現象を描くと言う点では以前と変わらないが、以前のようにネガティブな描き方をされず、あくまで日常レベルの温度で表現される。病的な感情は日常においてなんら目新しいことではなくそれを抱えるのは当然という表現だ。そして、今までの作品ならある程度アピールしていた葛藤をほとんど描かない。その点で、作者の提示する世界観は前作より一歩前へ踏み出している
物語は主人公周りの相変わらずの関係を中心に描かれる。そして、楽観的で明るく世間ズレしてない主人公の価値観は、作者が描くところの闇の部分とは相容れない。それが最後まで続くのかは分からないが、主人公の視点があることで闇が相対的にグロテスクに見えるという点は変わらない。5巻に期待
待望のシリーズ第4巻。春になり、二人は新しい環境の元で新たな生活を送っていた。主人公萩野は高校3年になり、谷脇から開放され平和な生活に入る。クラス替えに伴い新たな友人もできた。だが、その友人が元で危機が迫ることに…。南雲ゆみは大学に入学。萩野との間に生活の微妙な差異が生まれそうになるものの、関係は良好だった。しかし新たに始めたバイト先で南雲はある人物と知り合う。謎につつまれたこの人物、徐々に南雲の心境に変化が現れていくのだが…。前作までに度々見られたようなジェットコースター的急展開は今作では見られないものの、平和な生活に徐々に忍び寄る危機を中心に据えて話が展開していくので、今作でもドキドキしながらページを捲ることになるだろう
私見だが、この巻で作品自体のカラーがある程度決まったと思う。この作者のキャリアから推測していた陰鬱で現実に即した観念的なものの見方を提示するという方向性ではなく、作者から観たリアリティのようなものを提示している。その世界観において、現実に起こりうるモラルに反した行為や現象を描くと言う点では以前と変わらないが、以前のようにネガティブな描き方をされず、あくまで日常レベルの温度で表現される。病的な感情は日常においてなんら目新しいことではなくそれを抱えるのは当然という表現だ。そして、今までの作品ならある程度アピールしていた葛藤をほとんど描かない。その点で、作者の提示する世界観は前作より一歩前へ踏み出している
物語は主人公周りの相変わらずの関係を中心に描かれる。そして、楽観的で明るく世間ズレしてない主人公の価値観は、作者が描くところの闇の部分とは相容れない。それが最後まで続くのかは分からないが、主人公の視点があることで闇が相対的にグロテスクに見えるという点は変わらない。5巻に期待
ファインディング・ニモ
2005年2月10日 映画
海を舞台にしたCGアニメーション
日本語吹き替えか英語か迷ったが、この手の作品は吹き替えの役者が華の一つらしいので、吹き替えで見ることにした。因みに、木梨憲武や室井滋、やまだひさし、さかなクンなどが声優をしている
観て先ず思ったのは、映像が非常に綺麗ということ。海のトロピカルさを表現した序盤の映像は、生活をする場としては魅力的だし、全編海の心地よさをきちんと表現してある。物語は主人公のマーリンとニモのシーンが交互に描かれるが、上手いところで切って次のシーンに繋げているので興味が途切れることが無い。サメの獰猛さや鯨の存在感などがきちんと描かれ効果的に挿入されることで物語にメリハリがついている
声優陣は頑張っているが、マーリン役の木梨の声はクセがあり、どうしても彼の顔がちらついてしまう。他のキャストは言われないと分からないほど物語に溶け込んでいた。もしかしたら英語で観たほうが良いかもしれない
物語の展開が読めないのでなかなか面白かったが、個人的に海が苦手なので、海の深さや鯨の大きさを描いたシーンはつらかった。子供向けとしてはかなり高品質な作品だと思う
楽しい海の世界が繰り広げられるピクサー製作の冒険アニメーション『ファインディング・ニモ』。心配症のカクレクマノミ、マーリン(声:アルバート・ブルックス)の息子ニモがダイバーに捕まってしまった。息子を探しに、大海―きめ細かい描写に脱帽―へと旅立つマーリン。旅の途中で忘れっぽいナンヨウハギのドリー(エレン・デジェネレス)に出会い、助けられたり、足を引っ張られたり、その両方だったり。サメ、深海に潜むアンコウ、毒クラゲの大群、ウミガメ、ペリカン、といったたくさんの海の生き物たちと出会い、絶叫マシンに乗っているかのようなスリル満点の―テーマパークのアトラクションよろしく10分とたたないうちに次のハラハラがやってくる、そんな珍道中を経てマーリンは心配症を克服していく。ピクサーはこれまでも一連の作品(『トイ・ストーリー』、『バグズ・ライフ』、『トイストーリ−2』、『モンスター・インク』)でその芸術性をいかんなく発揮し、興業収入でも文句なしの大成功を収めている。声の出演は他にウィレム・デフォー、ジェフリー・ラッシュ、アリソン・ジャニーら
日本語吹き替えか英語か迷ったが、この手の作品は吹き替えの役者が華の一つらしいので、吹き替えで見ることにした。因みに、木梨憲武や室井滋、やまだひさし、さかなクンなどが声優をしている
観て先ず思ったのは、映像が非常に綺麗ということ。海のトロピカルさを表現した序盤の映像は、生活をする場としては魅力的だし、全編海の心地よさをきちんと表現してある。物語は主人公のマーリンとニモのシーンが交互に描かれるが、上手いところで切って次のシーンに繋げているので興味が途切れることが無い。サメの獰猛さや鯨の存在感などがきちんと描かれ効果的に挿入されることで物語にメリハリがついている
声優陣は頑張っているが、マーリン役の木梨の声はクセがあり、どうしても彼の顔がちらついてしまう。他のキャストは言われないと分からないほど物語に溶け込んでいた。もしかしたら英語で観たほうが良いかもしれない
物語の展開が読めないのでなかなか面白かったが、個人的に海が苦手なので、海の深さや鯨の大きさを描いたシーンはつらかった。子供向けとしてはかなり高品質な作品だと思う
漫画家、高橋留美子が描いたラブコメディ
ラブコメのジャンルでは言わずと知れた有名作。最近よくある廉価版の雑誌が月一で刊行されており、久しぶりに読み返してみた
物語の初期は、もう一つの代表作である「うる星やつら」的なクセのあるキャラクター達が織り成すドタバタコメディで、五代の恋愛感情も“いい女に性欲を抱いた”程度の描かれ方で笑いの一要素にすぎない。三鷹というライバルが登場しても、ステータスの違いで相手にならない五代の対抗意識が笑えるという描かれ方で、何処まで行ってもコメディだ。しかし物語内で時間が進んで行くことで、必然的に五代が大学へ入り学生生活の中から徐々に将来を見据えていくという物語が出来てしまい、コメディの要素が薄れ、1人の人間が社会へ出て一人前になるという成長記になっていく。そこには感情的な部分である程度のリアリティが必要とされるため、ヒロインへの恋愛感情も徐々に真摯なものへ変わっていく。その場合序盤と後半のテーマの違いから継ぎ目のようなものがどうしても垣間見えてしまうものだが、例えば、一刻館の面々の場合非現実性はそのままにシリアスな部分でも効果的に動かしているため、“五代が一人前になることでそれなりの扱いをするようになった大人たち”という風に受け取ることができ、不自然さを感じずに済むのだ
現在読み返すと、初期と後期では絵柄がかなり違うことに気づく。初期は絵が荒くコミカルな内容に合わせたような作風で、ヒロインも色気を重視したような絵柄だが、後期になるにつれヒロインはドンドン幼くなって行き、比例して五代の顔に包容力のようなものが出てくる。意図したものなのかは分からないが、五代の人間的成長を上手く表現していて感心した
大して量は無いのだが、読み応えがある作品
東京の某所にある安アパート“一刻館”。そこには癖のある住人たちが住み着いている。5号室に住む五代勇作は浪人中の身。ある日、音無響子という女性が訪れ、管理人として一刻館に住み込むことに。五代は彼女に一目ぼれしてしまい・・・
ラブコメのジャンルでは言わずと知れた有名作。最近よくある廉価版の雑誌が月一で刊行されており、久しぶりに読み返してみた
物語の初期は、もう一つの代表作である「うる星やつら」的なクセのあるキャラクター達が織り成すドタバタコメディで、五代の恋愛感情も“いい女に性欲を抱いた”程度の描かれ方で笑いの一要素にすぎない。三鷹というライバルが登場しても、ステータスの違いで相手にならない五代の対抗意識が笑えるという描かれ方で、何処まで行ってもコメディだ。しかし物語内で時間が進んで行くことで、必然的に五代が大学へ入り学生生活の中から徐々に将来を見据えていくという物語が出来てしまい、コメディの要素が薄れ、1人の人間が社会へ出て一人前になるという成長記になっていく。そこには感情的な部分である程度のリアリティが必要とされるため、ヒロインへの恋愛感情も徐々に真摯なものへ変わっていく。その場合序盤と後半のテーマの違いから継ぎ目のようなものがどうしても垣間見えてしまうものだが、例えば、一刻館の面々の場合非現実性はそのままにシリアスな部分でも効果的に動かしているため、“五代が一人前になることでそれなりの扱いをするようになった大人たち”という風に受け取ることができ、不自然さを感じずに済むのだ
現在読み返すと、初期と後期では絵柄がかなり違うことに気づく。初期は絵が荒くコミカルな内容に合わせたような作風で、ヒロインも色気を重視したような絵柄だが、後期になるにつれヒロインはドンドン幼くなって行き、比例して五代の顔に包容力のようなものが出てくる。意図したものなのかは分からないが、五代の人間的成長を上手く表現していて感心した
大して量は無いのだが、読み応えがある作品
Sting -Broken music-
2005年2月8日 読書
ミュージシャン、スティングの自伝
世界的成功を収めたバンド、ポリスから現在まで順調にキャリアを重ね50歳を迎えたロック・ミュージシャンのスティングが自らを振り返る本作品。このジャンルは、ミュージシャンが語りそれをライターが文字に起こしていくタイプの作品が非常に多いが、この作品はスティング自らが長い期間をかけて書き上げたらしい。実際読んでみると、ライターが介在した場合ありがちなバンドや作品の裏話や離婚にまつわる吐露などゴシップ的なものはきれいに選り分けられ、芸名であるスティングではなくゴードン・マシュー・サムナーという1人の人間の半生記になっている
現在のスティングが妻と共にリオの教会を訪れ、そこで宗教的セレモニーの一環として幻覚作用をもたらす薬物を摂取するという出だしで始まるこの作品は、その薬物の幻覚作用によって幼少時代を思い出すという流れになり時系列に物語が進み、ポリスとして成功をつかむ部分をクライマックスに据え、エピローグとしてそこから現在までのプライベートの流れを軽く紹介して終わる
スティングという人間が形成されるに当たって重要だったのは、人との出会い、音楽的な知識と技術の習得、がむしゃらに夢を追いかける努力という極めてまっとうな話になっている。語り口がインテリジェントで淡々としたもので、洒脱な表現が多用されているので、ロックスターのサクセスストーリーといった先入観を持って読むと肩透かしを食うかもしれない。実際、バンド期のことはほとんど割愛され、ソロ期は全く触れられていない。楽曲について言及したのはポリス時代の「ロクサーヌ」1曲のみだ
ジェリーというジャズ・ミュージシャンについてかなり多くの文章が割かれている。彼はスティングと下積み時代を共にし、スティングの音楽的技術を向上させることに貢献し、公私にわたって長い間(現在まで)様々な形で関わった。(因みに彼はソロの「マーキュリー・フォーリング」に参加している)そういった、キャリアにおいて欠かすことの出来ない(大勢の)人物をそれぞれまとまった量描いていて、彼らの友情や愛情・信頼を追い風に1人の人間が社会的に事を成すという普遍的な物語になっている
ロック史上最高のトライアングル「ポリス」を経て、世界中のファンを魅了するスティングが、初めて綴った激動と感動の自叙伝。ロック史上最高のトライアングル「ポリス」を経て、世界中のファンを魅了しつづけるスティングが、初めて綴る激動の自伝。音楽ファンのみならず、すべての人を深い感動で包むワールド・ベストセラー、ついに待望の邦訳。本書で、スティングは、幼き日の経済的な苦労からの家業の手伝い、母親の不倫を黙認する父親への葛藤、寂しさから避難する拠り所となった音楽、ビートルズと初恋、教育実習、教員生活、バンに乗っての過酷なツアー、そして結婚して初めて父親になった喜びと苦労、父親、母親との別離などを真摯に綴る。もちろん、ポリスメンバーとの出会いから結成、解散の秘話、そしていかに彼が現在の成功を手に入れたかも語られる。人間スティングの苦難と成功の過程が明らかにされる、自伝を超えた珠玉の一冊である
世界的成功を収めたバンド、ポリスから現在まで順調にキャリアを重ね50歳を迎えたロック・ミュージシャンのスティングが自らを振り返る本作品。このジャンルは、ミュージシャンが語りそれをライターが文字に起こしていくタイプの作品が非常に多いが、この作品はスティング自らが長い期間をかけて書き上げたらしい。実際読んでみると、ライターが介在した場合ありがちなバンドや作品の裏話や離婚にまつわる吐露などゴシップ的なものはきれいに選り分けられ、芸名であるスティングではなくゴードン・マシュー・サムナーという1人の人間の半生記になっている
現在のスティングが妻と共にリオの教会を訪れ、そこで宗教的セレモニーの一環として幻覚作用をもたらす薬物を摂取するという出だしで始まるこの作品は、その薬物の幻覚作用によって幼少時代を思い出すという流れになり時系列に物語が進み、ポリスとして成功をつかむ部分をクライマックスに据え、エピローグとしてそこから現在までのプライベートの流れを軽く紹介して終わる
スティングという人間が形成されるに当たって重要だったのは、人との出会い、音楽的な知識と技術の習得、がむしゃらに夢を追いかける努力という極めてまっとうな話になっている。語り口がインテリジェントで淡々としたもので、洒脱な表現が多用されているので、ロックスターのサクセスストーリーといった先入観を持って読むと肩透かしを食うかもしれない。実際、バンド期のことはほとんど割愛され、ソロ期は全く触れられていない。楽曲について言及したのはポリス時代の「ロクサーヌ」1曲のみだ
ジェリーというジャズ・ミュージシャンについてかなり多くの文章が割かれている。彼はスティングと下積み時代を共にし、スティングの音楽的技術を向上させることに貢献し、公私にわたって長い間(現在まで)様々な形で関わった。(因みに彼はソロの「マーキュリー・フォーリング」に参加している)そういった、キャリアにおいて欠かすことの出来ない(大勢の)人物をそれぞれまとまった量描いていて、彼らの友情や愛情・信頼を追い風に1人の人間が社会的に事を成すという普遍的な物語になっている
SUNDALAND plants compilation
2005年2月5日 音楽
南国テイストの楽曲を集めた邦盤コンピレーション
“最も年輪を重ねた新しい音 最も世界なこの国の音”
CDの帯にはそう記されている。なるほど、確かに民俗音楽のテイストが強い楽曲がこの作品には並んでいる。帯によると、カリブ、バリ、ハワイ等があるようだ。全体的にミディアムテンポで落ち着いたテンションかつパーカッションが多用され癖のあるヴォーカルが乗る民俗音楽っぽさ丸出しの楽曲が多い。だがすんなりと受け入れられる日常に根ざした心地よさがある
個人的にはもちろんダブル・フェイマスが収録されているという事で手を伸ばした。ヴォーカルが畠山美由紀だからだ。今作では、ダブル・フェイマス名義の「Live In Japan」オープニングを飾った「Sina Makosa」にヴォーカルを加えたものを収録している。その意味合いではダブル・フェイマスが志向する音楽性をはずれているわけではなく、実際この楽曲で畠山美由紀は南国のトロピカルさを存分に発揮した歌唱を披露している。ダブル・フェイマスの音楽性が好みなら、この1曲の為にこの作品を購入しても他の楽曲も同時に気に入ることができると思う
<収録曲>
ウラメ / Panorama Steel Orchestra
SILLY GAMES / Sandii
la negra tomasa / copa salvo
Sina Makosa / Double Famous
Flower of Happiness / choro azul
WARRIOR / GOMA
IUTA UPOPO (tuvainu mix) / OKI、安東ウメ子
そこから離れていく / CINEMA dub MONKS
Silk Road / Bamboo Swing
Coisa Mais Linda / エマーソン北村
a piacere / mama!milk
Southern Wind / Ras Takashi
日本人によるエキゾチックな音楽ばかりを集めたコンピ。個性の確立したアーティストばかりを集めたセレクトがいいし、演奏も質が高く、全体としての統一感もあり、極めて秀逸な作品といえる。スティール・パンで小笠原の伝統曲をプレイしたパノラマ・スティール・オーケストラ、アイヌ音楽とダブが高純度で絡み合うOKI+安東ウメ子、ディジリドゥとガムランで新たなダンス・ミュージックを示すGOMAなど、どれも独自の新鮮なアプローチに感嘆させられる。中でも素晴らしいのは、アフリカの伝統曲をアコースティック楽器+ホーン隊でまったく斬新に料理したダブル・フェイマス。気持ちいい音ばかりなのでカフェのBGMとしてもいいかもしれないが、できればじっくり味わいたいもの
“最も年輪を重ねた新しい音 最も世界なこの国の音”
CDの帯にはそう記されている。なるほど、確かに民俗音楽のテイストが強い楽曲がこの作品には並んでいる。帯によると、カリブ、バリ、ハワイ等があるようだ。全体的にミディアムテンポで落ち着いたテンションかつパーカッションが多用され癖のあるヴォーカルが乗る民俗音楽っぽさ丸出しの楽曲が多い。だがすんなりと受け入れられる日常に根ざした心地よさがある
個人的にはもちろんダブル・フェイマスが収録されているという事で手を伸ばした。ヴォーカルが畠山美由紀だからだ。今作では、ダブル・フェイマス名義の「Live In Japan」オープニングを飾った「Sina Makosa」にヴォーカルを加えたものを収録している。その意味合いではダブル・フェイマスが志向する音楽性をはずれているわけではなく、実際この楽曲で畠山美由紀は南国のトロピカルさを存分に発揮した歌唱を披露している。ダブル・フェイマスの音楽性が好みなら、この1曲の為にこの作品を購入しても他の楽曲も同時に気に入ることができると思う
<収録曲>
ウラメ / Panorama Steel Orchestra
SILLY GAMES / Sandii
la negra tomasa / copa salvo
Sina Makosa / Double Famous
Flower of Happiness / choro azul
WARRIOR / GOMA
IUTA UPOPO (tuvainu mix) / OKI、安東ウメ子
そこから離れていく / CINEMA dub MONKS
Silk Road / Bamboo Swing
Coisa Mais Linda / エマーソン北村
a piacere / mama!milk
Southern Wind / Ras Takashi
love actually
2005年2月5日 映画
「ノッティングヒルの恋人」のリチャード・カーティス監督作品
この作品はなんというか・・・恋愛讃歌と言えば良いのだろうか。恋愛における成就するまでの心のアップダウンをメインに描き、職業や社会的立場に幅を持たせ、クリスマスに向かって盛り上がっていく浮き立つような気持ちをぶつけてくる。感情移入してカタルシスを得るタイプの作品なので、上記にあるように“デートムービー”としては最適
日常におけるハッピーになれる瞬間(この表現しか思いつかない)をこれでもかというほどこちらにぶつけてくるので、どうしても途中でお腹一杯になってしまう。そのハッピーになれる瞬間の中で最も素晴らしいのが恋愛における気持ちのすれ違いやら煩悶、気持ちの伝わる瞬間ということらしい・・・
そのあたりに乗り切れない人への配慮と思われるが、往年のロック・スターという役柄のじいさんのエピソードはかなり笑えるものになっている。キャリアの先が無いその歌手は昔ヒットした曲をクリスマスソングにアレンジしなおし発売、その後プロモーション活動を行う。そのシーンが間をおきつつ披露されるのだが、その際見せるロック・スター風の振る舞いが個人的には非常にツボで、それを楽しみに最後まで観る事ができた
ドラマ「24」のキム役をしている女優も登場するが、またしてもビッチ役だ。それしか求められていないのか。そしてローワン・アトキンソンは出番こそ少ないものの存在感は抜群。首相役のヒュー・グラントはあまりにも威厳が無くいつもの彼で、思わず笑ってしまった
様々な人の恋愛模様を描いているので、どれか一つには引っかかると思う。そして引っかかれば最終的に幸せな気分に(強引に)持って行ってくれるが、役者だけが楽しそうだという印象も抜けず・・・
19人の男女が織りなす恋愛模様を、ユーモアとウィットに飛んだ会話と心温まる&切なくなるエピソードでクギづけにする英国のラブストーリー。秘書に一目惚れした新首相の仕事に身が入らない日々、義理の息子の熱烈片思いをサポートする父親、親友の新妻に恋した画家の切ない心、言葉の通じないポルトガル娘に恋したミステリー作家など、年令も職種も違う男女の恋物語は、誰かに共感できるというより、どの人の恋愛にも共感できる、胸が痛くなるエピソードばかり。監督は『ノッティングヒルの恋人』の脚本家リチャード・カーティスゆえ、ロマンティックコメディはお手の物。とはいえ、19人の登場人物とその恋愛を裁いた手腕は見事! 首相を演じたヒュー・グラントの軽妙な芝居、夫の浮気に気づいて目を潤ませるエマ・トンプソンの巧さほか、キーラ・ナイトレイ、ローラ・リニー、ローワン・アトキンスン、ビリー・ボブ・ソーントンなどスター総出演。恋心直撃!のデートムービーとして最適の1本だ
この作品はなんというか・・・恋愛讃歌と言えば良いのだろうか。恋愛における成就するまでの心のアップダウンをメインに描き、職業や社会的立場に幅を持たせ、クリスマスに向かって盛り上がっていく浮き立つような気持ちをぶつけてくる。感情移入してカタルシスを得るタイプの作品なので、上記にあるように“デートムービー”としては最適
日常におけるハッピーになれる瞬間(この表現しか思いつかない)をこれでもかというほどこちらにぶつけてくるので、どうしても途中でお腹一杯になってしまう。そのハッピーになれる瞬間の中で最も素晴らしいのが恋愛における気持ちのすれ違いやら煩悶、気持ちの伝わる瞬間ということらしい・・・
そのあたりに乗り切れない人への配慮と思われるが、往年のロック・スターという役柄のじいさんのエピソードはかなり笑えるものになっている。キャリアの先が無いその歌手は昔ヒットした曲をクリスマスソングにアレンジしなおし発売、その後プロモーション活動を行う。そのシーンが間をおきつつ披露されるのだが、その際見せるロック・スター風の振る舞いが個人的には非常にツボで、それを楽しみに最後まで観る事ができた
ドラマ「24」のキム役をしている女優も登場するが、またしてもビッチ役だ。それしか求められていないのか。そしてローワン・アトキンソンは出番こそ少ないものの存在感は抜群。首相役のヒュー・グラントはあまりにも威厳が無くいつもの彼で、思わず笑ってしまった
様々な人の恋愛模様を描いているので、どれか一つには引っかかると思う。そして引っかかれば最終的に幸せな気分に(強引に)持って行ってくれるが、役者だけが楽しそうだという印象も抜けず・・・
金城武×チャン・ツィイー×アンディ・ラウ主演のラブロマンス
チャン・イーモウ監督が大ヒットした「HERO」の次に製作したとあって注目を集めていたが、今作もスローモーションを効果的に使い薄手の衣装によって動きを華麗に表現したアクションシーンや、秋から冬にかけての紅葉や雪景色を鮮やかに映し出した映像と凝った衣装やセットが相まって前作「HERO」よりも華のある世界観を作り出している。CGの使い方も前作を踏襲し、監督のカラーとしてカウントできるものになっている
しかし、「LOVERS」というタイトル通りこの作品は恋愛をモチーフにしており、それを描いただけで物語は終わってしまう。そう感じるのは恋愛の掘り下げ方が足りなくあまりにも表層的で、おまけに映像の華麗さがその浅薄さを浮き彫りにしてしまうからだ。恋愛におけるドロドロとした情熱のようなものや想いの強さを感じさせないため、「あー綺麗な映像だねえ」で終わってしまう。2時間という枠でこの程度なの?という物足りなさを感じてしまうのだ。事あるごとにチャン・ツィイーの濡れ場ばかりでがっくりきた
映像の華麗さを楽しむ以外に観るべきところは無い作品
西暦859年、唐代の中国で、朝廷は反乱軍最大の『飛刀門』撲滅を画策。官史の金と瀏に、指導者を10日以内に捕らえるように命ずる。飛刀門の娘と思われる小妹は目が不自由で、金は反乱戦士を装い小妹に接近。捕らえられた彼女を救出するふりして、敵のアジトまで導かせようと企むが、旅の途中でふたりの心はひかれあってしまう。小妹にチャン・ツィイー、金に金城武、瀏にアンディ・ラウ。中国、台湾、香港のスターの豪華共演となる本作は、チャン・イーモウ監督作で、同じくイーモウ作品『HERO』のスタッフが結集。激しいアクションが多く出てくるが、内容は濃厚なラブストーリー。とはいえ、金と小妹に別の人物がからんで三角関係になり、加えて、誰を信じていいのかわからないトリックも隠され、ストーリーは二転三転。仕掛けたっぷりのスリリングな作品だ。ワダエミの鮮やかな衣装が舞うアクションなど、ヴィジュアルの美しさにも圧倒される。また主役3人が美男美女ゆえか、クローズアップも多く、三人三様の魅力をたっぷり堪能できる、見事なスター映画に仕上がっている
チャン・イーモウ監督が大ヒットした「HERO」の次に製作したとあって注目を集めていたが、今作もスローモーションを効果的に使い薄手の衣装によって動きを華麗に表現したアクションシーンや、秋から冬にかけての紅葉や雪景色を鮮やかに映し出した映像と凝った衣装やセットが相まって前作「HERO」よりも華のある世界観を作り出している。CGの使い方も前作を踏襲し、監督のカラーとしてカウントできるものになっている
しかし、「LOVERS」というタイトル通りこの作品は恋愛をモチーフにしており、それを描いただけで物語は終わってしまう。そう感じるのは恋愛の掘り下げ方が足りなくあまりにも表層的で、おまけに映像の華麗さがその浅薄さを浮き彫りにしてしまうからだ。恋愛におけるドロドロとした情熱のようなものや想いの強さを感じさせないため、「あー綺麗な映像だねえ」で終わってしまう。2時間という枠でこの程度なの?という物足りなさを感じてしまうのだ。事あるごとにチャン・ツィイーの濡れ場ばかりでがっくりきた
映像の華麗さを楽しむ以外に観るべきところは無い作品
漫画家、二ノ宮知子が描くクラシックを題材にした作品
主人公千秋真一は音大では有名な才能の持ち主で、指揮者を目標にしつつキャリアの一環としてピアノを専攻している。一方、野田恵(通称のだめ)は問題児だがピアノに類まれな才能を発揮する女性。ふとしたきっかけで出会った2人だが、のだめは千秋に恋愛感情を持ち、千秋は彼女に才能の片鱗を見出しどうしても突き放せない。そんな2人は周りを巻きこんで行き・・・
この作品は少女漫画の定石を踏襲している。普通の女の子が自他共に認めるクールで格好良い男に見初められるというヤツだ。しかし、クラシック音楽と“ギャグ”というテーマを持ち込むことによって、普通の少女漫画から受けるような現実から乖離した箱庭的な居心地の悪さは払拭されている。序盤ではギャグをメインに据えドタバタコメディを描き出し、徐々にクラシックの素晴らしさと夢を追う若者の真摯な群像劇を描いていく。そこにおけるバランスの良さはかなり計算されたもので、少女漫画を好む層と少女漫画に抵抗感を持つ層への目配せがきちんと成されている
個人的にはギャグ漫画として読んだが、その部分においても面白い作品
カプリチオーソ(気ままに気まぐれに)、カンタービレ(歌うように)・・・不思議少女・野田恵(のだめ)の奇行を見よ!クラシック音楽コメディ!!
主人公千秋真一は音大では有名な才能の持ち主で、指揮者を目標にしつつキャリアの一環としてピアノを専攻している。一方、野田恵(通称のだめ)は問題児だがピアノに類まれな才能を発揮する女性。ふとしたきっかけで出会った2人だが、のだめは千秋に恋愛感情を持ち、千秋は彼女に才能の片鱗を見出しどうしても突き放せない。そんな2人は周りを巻きこんで行き・・・
この作品は少女漫画の定石を踏襲している。普通の女の子が自他共に認めるクールで格好良い男に見初められるというヤツだ。しかし、クラシック音楽と“ギャグ”というテーマを持ち込むことによって、普通の少女漫画から受けるような現実から乖離した箱庭的な居心地の悪さは払拭されている。序盤ではギャグをメインに据えドタバタコメディを描き出し、徐々にクラシックの素晴らしさと夢を追う若者の真摯な群像劇を描いていく。そこにおけるバランスの良さはかなり計算されたもので、少女漫画を好む層と少女漫画に抵抗感を持つ層への目配せがきちんと成されている
個人的にはギャグ漫画として読んだが、その部分においても面白い作品
Oriental Quaint
2005年2月2日 音楽
FreeTEMPOの新譜
今回は全てヴォーカル入りということで、非常に聴きやすいアルバムになっている。ゆるやかで叙情的かつかなりポップな楽曲にエモーショナルなヴォーカルが乗っている。ヴォーカルは固定ではなく、様々なアーティストが参加しているようだ。前作・・・といってもフォローし切れていないので前作かどうかは分からないが、「NEW SIDE」で聴いたような焦点の定まらなさとイメージの広がりはクリアになり、狭まり、より伝わりやすくなっている。まぁ、あれはコンピレーションの意味合いが強かったわけだが・・・
「NEW SIDE」で魅せたようなバラエティに富んだアプローチは無くなり、ヴォーカルを前面に出したJ−POPとカテゴライズされてもおかしくないオーソドックスな構成と情緒を重視した表現になっている。それが良い方向に転んでいるとは思うが、どこかで聴いたような印象を受け新鮮味が無い。こういうカラーだというならそれはそれで納得するが・・・
仙台を拠点にDJ、作曲活動をする半沢武志のソロ・ユニットによる1年半ぶりの作品。ブラジリアン、ジャズの要素にネオアコ、ハウス、AORといったさまざまなサウンドが融合。今回は全曲ヴォーカル・アルバムだ
イタリアのクラブ・ジャズ・レーベル「イルマ・レコード」から火がついた半沢武志さんのソロ・プロジェクトのセカンド・フル・アルバムです。半沢さん独特のクールで爽やかなラウンジ感が硬質なリズムのうえに乗り、きらめく音質が流れていきます。7曲入りの39分というサイズもいい。エッセンス凝縮といった感じの7曲すべてが佳曲です。甲乙つけがたいのですが、あえて言えば「A New Field Touch」がお勧めかと。イントロからして耳を引きますし、何よりキャッチー。公募で見つけた新人、カンノナオミさんの声がまたとってもスウィート。FMでもよく流れています。センス冴え渡りの一枚です
今回は全てヴォーカル入りということで、非常に聴きやすいアルバムになっている。ゆるやかで叙情的かつかなりポップな楽曲にエモーショナルなヴォーカルが乗っている。ヴォーカルは固定ではなく、様々なアーティストが参加しているようだ。前作・・・といってもフォローし切れていないので前作かどうかは分からないが、「NEW SIDE」で聴いたような焦点の定まらなさとイメージの広がりはクリアになり、狭まり、より伝わりやすくなっている。まぁ、あれはコンピレーションの意味合いが強かったわけだが・・・
「NEW SIDE」で魅せたようなバラエティに富んだアプローチは無くなり、ヴォーカルを前面に出したJ−POPとカテゴライズされてもおかしくないオーソドックスな構成と情緒を重視した表現になっている。それが良い方向に転んでいるとは思うが、どこかで聴いたような印象を受け新鮮味が無い。こういうカラーだというならそれはそれで納得するが・・・
GOOD BYE LENIN!
2005年2月1日 映画
ベルリンの壁崩壊をモチーフにしたドイツ映画
この作品は資本主義と社会主義の違いを理解していないと面白さやストーリーが分からない話になっている為、多少客を選ぶかもしれない。一応簡単に説明しておくとこの作品においては社会主義は牧歌的な共同体意識を持つ主義と表現されていて、横のつながりを重視する保守的な田舎的価値観から個々の能力を重視する都会的な価値観へシフトしたと考えておけばある程度理解できると思う
東ドイツで社会主義の活動家として活躍していた母親が持病の発作で倒れてしまい8ヶ月の昏睡状態に陥る。その間に東西の壁が崩壊し、資本主義の流入によって急激に様変わりしてしまった主人公アレックスの生活。母親は目覚めるも大きな心理的ショックを与えたら命に関わる状態。母親の活動家としてのアイデンティティを破壊するであろうベルリンの壁崩壊を恐れたアレックスはこの国が社会主義国家であることを演出しようと奔走する
主人公アレックスが東ドイツを演出するためにあれこれと手を尽くすといっても個人のできることはたかが知れており、母親の食事に使う瓶詰めのジャムやピクルスを東ドイツ製の瓶に移し変えたり、誕生会を開くにあたり周囲に口裏を合わせるよう協力を要請したり、職を追われアル中になった母親の仕事仲間を引っ張り出したりと地味にひたむきに頑張っている。それが単なるドタバタコメディにならないのはその行動の根底に親を想う真摯な愛情があるからで、以前と変わらない母親と接することで周囲の人々は東西崩壊以前の生活を思い出し、資本主義の流入で不安な心を鼓舞されることになる
「ベルリンの壁崩壊」というテーマの所為で観る前は固い映画だと思っていたのだが、いざ観始めてみるとすんなりと感情移入できた。かといってテーマをないがしろにしているわけではなく、東西崩壊の影響をディフォルメしつつもしっかりと伝えてくる。序盤の説明的な部分を踏まえればコミカルな家族ドラマとして十二分に楽しめる
ハートウォーミングで笑える作品。かなりおすすめ
テレビ修理店に勤めるアレックスの父は、10年前、家族を捨てて、西ドイツに亡命。以降、母クリスティアーネは、その反動からますます東ドイツへの愛国心を強めていく。そんなある日、反社会主義デモに参加し、警察と衝突しているアレックスを目撃したクリスティアーネはショックで心臓発作を起こし、昏睡状態に陥ってしまう。その間にベルリンの壁が崩壊。しかし、数ヵ月後、クリスティアーネは奇跡的に覚醒するが、医師は、「今度強いショックを与えたら、命取りになる。」とアレックスに宣告する。アレックスは、母親にショックを与えないよう、東ドイツの崩壊を隠すために、ニュース番組を自主制作したり、東ドイツのピクルスを探したりと涙ぐましく奔走するが…。
この作品は資本主義と社会主義の違いを理解していないと面白さやストーリーが分からない話になっている為、多少客を選ぶかもしれない。一応簡単に説明しておくとこの作品においては社会主義は牧歌的な共同体意識を持つ主義と表現されていて、横のつながりを重視する保守的な田舎的価値観から個々の能力を重視する都会的な価値観へシフトしたと考えておけばある程度理解できると思う
東ドイツで社会主義の活動家として活躍していた母親が持病の発作で倒れてしまい8ヶ月の昏睡状態に陥る。その間に東西の壁が崩壊し、資本主義の流入によって急激に様変わりしてしまった主人公アレックスの生活。母親は目覚めるも大きな心理的ショックを与えたら命に関わる状態。母親の活動家としてのアイデンティティを破壊するであろうベルリンの壁崩壊を恐れたアレックスはこの国が社会主義国家であることを演出しようと奔走する
主人公アレックスが東ドイツを演出するためにあれこれと手を尽くすといっても個人のできることはたかが知れており、母親の食事に使う瓶詰めのジャムやピクルスを東ドイツ製の瓶に移し変えたり、誕生会を開くにあたり周囲に口裏を合わせるよう協力を要請したり、職を追われアル中になった母親の仕事仲間を引っ張り出したりと地味にひたむきに頑張っている。それが単なるドタバタコメディにならないのはその行動の根底に親を想う真摯な愛情があるからで、以前と変わらない母親と接することで周囲の人々は東西崩壊以前の生活を思い出し、資本主義の流入で不安な心を鼓舞されることになる
「ベルリンの壁崩壊」というテーマの所為で観る前は固い映画だと思っていたのだが、いざ観始めてみるとすんなりと感情移入できた。かといってテーマをないがしろにしているわけではなく、東西崩壊の影響をディフォルメしつつもしっかりと伝えてくる。序盤の説明的な部分を踏まえればコミカルな家族ドラマとして十二分に楽しめる
ハートウォーミングで笑える作品。かなりおすすめ
金城武×ケリー・チャン主演のラブ・ファンタジー
前回金城武とケリー・チャンが共演した「アンナ・マデリーナ」がなかなか好きな作品なので、今作は期待を持って観た。結論から言えば、前作ほどの良さではないものの期待には応えてくれている
恋人を亡くした失意から立ち直れないヒロインを“天国で喜びを与える役割を果たしていた”堕天使が救うというのが一応のストーリーだが、救おうと悪戦苦闘する様を笑うというような面白さではなく、純粋ながらも俗にまみれていき好き勝手している金城武と失意のケリー・チャンは特に意思疎通するわけでもなく日々を過ごし、その世界観の提示がメインになる。ようするに「こんな関係・暮らしってなんかいいかもー」的なアレだ。そして、家に天使が落ちてきたのをすんなりと受け入れ自分の仕事のアシスタントとして働かせるという展開も、登場人物が皆優しく愛に飢えているという設定も、ケリー・チャンと金城武が画面に映れば全てどうでも良いことに思えてくる。彼らの魅力はかなりのもので、特に過剰な演技を見せるわけでもないが華があり観ていて飽きさせない
言っちゃ悪いが役者の魅力だけの映画ではある。ただ、少しでも彼らに魅力を感じたことがあるならある程度満足は出来るはず
1999年の香港。最愛の恋人を亡くして生きる気力をなくしたアテナ(ケリー・チャン)は、変わりばえのない生活に退屈していた。ある日、不思議なことに彼女のバルコニーに翼に傷を負った天使(金城武)が舞い降りる。アテナは天使の面倒をみるが、天使は日に日に痩せていく。彼は「2000年の最初の夜明けまでに愛を見つけなければ生きられない」という。そして、いつしかふたりは惹かれあって…。金城武とケリー・チャンが三度目の共演を果たしたラブ・ファンタジー。香港版『ベルリン 天使の詩』ともいうべきストーリーが、繊細につづられていく。ベタベタな設定と展開なのに、いつの間にか入り込んで涙…という、まことに乗せ上手でスイートな作品。舞台が雑多な香港ではなく、ビジネス中心街の香港島セントラルであるのも見どころ。全長800メートルもあるセントラルの長い長いエスカレーターが印象的に使われている。監督・脚本は『わすれな草』のイップ・カムハン
前回金城武とケリー・チャンが共演した「アンナ・マデリーナ」がなかなか好きな作品なので、今作は期待を持って観た。結論から言えば、前作ほどの良さではないものの期待には応えてくれている
恋人を亡くした失意から立ち直れないヒロインを“天国で喜びを与える役割を果たしていた”堕天使が救うというのが一応のストーリーだが、救おうと悪戦苦闘する様を笑うというような面白さではなく、純粋ながらも俗にまみれていき好き勝手している金城武と失意のケリー・チャンは特に意思疎通するわけでもなく日々を過ごし、その世界観の提示がメインになる。ようするに「こんな関係・暮らしってなんかいいかもー」的なアレだ。そして、家に天使が落ちてきたのをすんなりと受け入れ自分の仕事のアシスタントとして働かせるという展開も、登場人物が皆優しく愛に飢えているという設定も、ケリー・チャンと金城武が画面に映れば全てどうでも良いことに思えてくる。彼らの魅力はかなりのもので、特に過剰な演技を見せるわけでもないが華があり観ていて飽きさせない
言っちゃ悪いが役者の魅力だけの映画ではある。ただ、少しでも彼らに魅力を感じたことがあるならある程度満足は出来るはず
作家、奥田英朗が描いた連作短編
各々の短編には主人公が居て、それぞれ様々な悩みを持ち現実に行き詰っている。彼らは軽い気持ちで病院へ足を運ぶが、待ち受けていたのは稚気溢れる神経科医・伊良部一郎だった。マイペースな彼に翻弄されていく主人公たちは、伊良部との絡みの中で解決への光明を見出すことになる
まず、伊良部という神経科医の人物造形が一風変わっている。でっぷりと太った体格、ぼさぼさの髪、中年の割りに子供っぽく自分の欲求に何処までも忠実な性格。親が日本医師会の大物ということで甘やかされて育てられてきたことをひしひしと感じさせる。父親が経営する総合病院の神経科に勤務するも、病院の地下に追いやられ、毎日暇をもてあましているという設定だ。どこを切ってもあまり魅力的とは言いがたい人物で、実際訪れる患者にも常識外れの言動や子供っぽい振る舞いの所為で呆れられることがほとんどだ
この作品において伊良部は患者にほとんど何もしない。そのかわり自分の好き勝手に患者を振り回す。その振り回す部分がこの作品が「笑える」という評判の原因になっているわけだが、患者=主人公たちにとって伊良部の存在は治るためのきっかけに過ぎず、伊良部のそれとない示唆にも気づいたり気づかなかったりで、なにやらドタバタやっているうちに自ら病気を克服していく
主人公たちは社会的な立場があり、自分の属する世界で精神的に煮詰まっている。そして伊良部と出会いガス抜きされることで自我の肥大と視野狭窄をまず克服し、視点をフラットな位置に戻し、本来の人間らしさを思い出すことになるのだ
個人的にはハートウォーミングな面に目が行ったが、単にコメディとして読んでもそこそこ面白い。「義父のヅラ」という短編は爆笑モノ
傑作『イン・ザ・プール』から二年。伊良部ふたたび!ジャンプがうまくいかないサーカス団の団員、先端恐怖症のヤクザ……。精神科医伊良部のもとには今日もおかしな患者たちが訪れる
各々の短編には主人公が居て、それぞれ様々な悩みを持ち現実に行き詰っている。彼らは軽い気持ちで病院へ足を運ぶが、待ち受けていたのは稚気溢れる神経科医・伊良部一郎だった。マイペースな彼に翻弄されていく主人公たちは、伊良部との絡みの中で解決への光明を見出すことになる
まず、伊良部という神経科医の人物造形が一風変わっている。でっぷりと太った体格、ぼさぼさの髪、中年の割りに子供っぽく自分の欲求に何処までも忠実な性格。親が日本医師会の大物ということで甘やかされて育てられてきたことをひしひしと感じさせる。父親が経営する総合病院の神経科に勤務するも、病院の地下に追いやられ、毎日暇をもてあましているという設定だ。どこを切ってもあまり魅力的とは言いがたい人物で、実際訪れる患者にも常識外れの言動や子供っぽい振る舞いの所為で呆れられることがほとんどだ
この作品において伊良部は患者にほとんど何もしない。そのかわり自分の好き勝手に患者を振り回す。その振り回す部分がこの作品が「笑える」という評判の原因になっているわけだが、患者=主人公たちにとって伊良部の存在は治るためのきっかけに過ぎず、伊良部のそれとない示唆にも気づいたり気づかなかったりで、なにやらドタバタやっているうちに自ら病気を克服していく
主人公たちは社会的な立場があり、自分の属する世界で精神的に煮詰まっている。そして伊良部と出会いガス抜きされることで自我の肥大と視野狭窄をまず克服し、視点をフラットな位置に戻し、本来の人間らしさを思い出すことになるのだ
個人的にはハートウォーミングな面に目が行ったが、単にコメディとして読んでもそこそこ面白い。「義父のヅラ」という短編は爆笑モノ
漫画家、柳沢きみおが描く人生指南書
エッセイストの主人公は安アパートに住み、生活を楽しんでいる。アパートの住人と時に絡みつつ、日々をいかに快適に過ごすかあれこれと工夫を凝らしている・・・というのが大まかなあらすじだが、この作品はストーリーというものは特に無く、工夫の内実を披露することに終始している。寿司の食べ方やビールの美味しい飲み方、手軽に出来る美味しい料理、気分のリラックスのさせ方、快適な服装などなど、身近な薀蓄をあれこれと指南してくれる。この“身近”というところがポイントで、絵の荒さやギャグの古臭さに辟易しつつも頷けたり腑に落ちる部分は多いはず
大きな幸せはえてして大きな不幸を連れてくることがある。だが、小さな幸せが私たちを支えてくれる!1日の中にどれだけ小さな幸せを見つけられるかで「人生の幸せ感」は決まる!ますます混迷を続ける21世紀。我々はそろそろ、金に振り回されない、ささやかながらも豊かな暮らしを見つける時ではないのか、そう、「大市民」的生き方である!柳沢きみお氏が贈る人生指南の書
エッセイストの主人公は安アパートに住み、生活を楽しんでいる。アパートの住人と時に絡みつつ、日々をいかに快適に過ごすかあれこれと工夫を凝らしている・・・というのが大まかなあらすじだが、この作品はストーリーというものは特に無く、工夫の内実を披露することに終始している。寿司の食べ方やビールの美味しい飲み方、手軽に出来る美味しい料理、気分のリラックスのさせ方、快適な服装などなど、身近な薀蓄をあれこれと指南してくれる。この“身近”というところがポイントで、絵の荒さやギャグの古臭さに辟易しつつも頷けたり腑に落ちる部分は多いはず
アヒルと鴨のコインロッカー
2005年1月28日 読書
作家、伊坂幸太郎の長編
この作品は、大まかに分けて2つの時間軸で物語が進む。語り部である主人公が居る「現在」と、事件の概要が語られる「2年前」だ。読み手は主人公に感情移入する事を強いられ、その結果2年前の生き生きとして魅力的な関係性が過ぎ去ったもので、自分は魅力的な物語を生きた登場人物と新たな物語を紡いでいくのかという期待を持たせられ、それは裏切られることになる
徐々に示されていく2年前の物語は、ミステリでは割と定石の少々コミカルなもので、その部分に謎を置かずサスペンスタッチの青春群像劇に仕上げてあることで、その魅力ゆえに事件の痛ましさが増すという仕組みになっている。そして、謎は2年間の間に流れた月日の中において発生するものになっているのだ。過去に起こった事件から派生した事件に関わる主人公は、長い間溜め込まれた当事者たちの感情に落とし前をつけることになる。現在と2年前が交互に提示されることによって、事件の痛みを過去から現在まで引き摺っている当事者の感情がかなり正確に伝わってくるようになっている。この作家の特徴だが、事件へ登場人物が関わる際の“温度”が絶妙だ
ミステリにおいて語り部は傍観者であり事件を解き明かす人物は別に居て、読者を代表する感情表現をする装置として機能することが多い。しかしこの作品では語り部が探偵となり謎を解いていく。そういった行動の理由を主人公の“好奇心”という感情だけで片付けているのは作者の力技だと思うが、結果として妙な説得力がある。ようするに、事件に関わった人たちの痛みを同じ目線で観ていることで、いわゆる“探偵”モノ特有の感情を無視した謎解きの違和感を感じずに済むのだ
第25回吉川英治文学新人賞受賞】
「一緒に本屋を襲わないか」大学入学のため引越してきた途端、悪魔めいた長身の美青年から書店強盗を持ち掛けられた僕。標的は、たった一冊の広辞苑――四散した断片が描き出す物語の全体像とは? 清冽なミステリ
この作品は、大まかに分けて2つの時間軸で物語が進む。語り部である主人公が居る「現在」と、事件の概要が語られる「2年前」だ。読み手は主人公に感情移入する事を強いられ、その結果2年前の生き生きとして魅力的な関係性が過ぎ去ったもので、自分は魅力的な物語を生きた登場人物と新たな物語を紡いでいくのかという期待を持たせられ、それは裏切られることになる
徐々に示されていく2年前の物語は、ミステリでは割と定石の少々コミカルなもので、その部分に謎を置かずサスペンスタッチの青春群像劇に仕上げてあることで、その魅力ゆえに事件の痛ましさが増すという仕組みになっている。そして、謎は2年間の間に流れた月日の中において発生するものになっているのだ。過去に起こった事件から派生した事件に関わる主人公は、長い間溜め込まれた当事者たちの感情に落とし前をつけることになる。現在と2年前が交互に提示されることによって、事件の痛みを過去から現在まで引き摺っている当事者の感情がかなり正確に伝わってくるようになっている。この作家の特徴だが、事件へ登場人物が関わる際の“温度”が絶妙だ
ミステリにおいて語り部は傍観者であり事件を解き明かす人物は別に居て、読者を代表する感情表現をする装置として機能することが多い。しかしこの作品では語り部が探偵となり謎を解いていく。そういった行動の理由を主人公の“好奇心”という感情だけで片付けているのは作者の力技だと思うが、結果として妙な説得力がある。ようするに、事件に関わった人たちの痛みを同じ目線で観ていることで、いわゆる“探偵”モノ特有の感情を無視した謎解きの違和感を感じずに済むのだ