ベスト+裏ベスト+未発表曲集
2004年9月8日 音楽
Coccoのベストアルバム
Coccoが活動を本格的に再開するらしい。去年の冬から心待ちにしていたことがまさか叶うとは。全く嬉しい限り。FM沖縄バースデイライブでシークレットゲストとして登場し、オレンジレンジやHYのコーラスをバックに「ヘブンズ・ヘル」を歌ったそうだ
オフィシャルサイトで新曲2曲の試聴ができるので早速聴いてみたが、以前懸念していたロック寄りのアプローチは影を潜め、伸びやかな声を生かしたミディアムバラードになっていて、今後の活動にかなり期待できそうだ。試聴できる曲は絵本を購入しなければ買えないが、それとは別の一般に発売する新曲も用意しているとのこと。楽しみだ
Coccoオフィシャルサイト(新曲2曲試聴可)
http://www.cocco.co.jp/contents/index.html
4枚目の『サングローズ』で活動を休止した彼女のベストアルバム。選曲も本人によるもので、タイトルどおりヒットシングルからアルバムの中の人気曲まで全26曲。5曲の未発表曲がファンにはうれしい。本人がメディアに登場する機会が少なかったためかミステリアスなイメージが強く、ある意味人物像が見えにくいところがあったが、曲を聴くと人間の感情を素直に詞にする才能に長けている人だというのがわかる。自虐的、攻撃的部分から癒しの部分まで、人間のもつ喜怒哀楽を深い部分で感じ取り作品にする才能はさすがだ
Coccoが活動を本格的に再開するらしい。去年の冬から心待ちにしていたことがまさか叶うとは。全く嬉しい限り。FM沖縄バースデイライブでシークレットゲストとして登場し、オレンジレンジやHYのコーラスをバックに「ヘブンズ・ヘル」を歌ったそうだ
オフィシャルサイトで新曲2曲の試聴ができるので早速聴いてみたが、以前懸念していたロック寄りのアプローチは影を潜め、伸びやかな声を生かしたミディアムバラードになっていて、今後の活動にかなり期待できそうだ。試聴できる曲は絵本を購入しなければ買えないが、それとは別の一般に発売する新曲も用意しているとのこと。楽しみだ
Coccoオフィシャルサイト(新曲2曲試聴可)
http://www.cocco.co.jp/contents/index.html
作家、京極夏彦の妖怪シリーズ8作目
この作品は作者自身がインタビューで語ったように、既存の妖怪シリーズの“折り返し地点”となる作品になっている。前作「塗仏の宴」でシリーズの流れは一旦区切られ、この作品は第一作の「姑獲鳥の夏」と対を成す形をとっているらしい。その為、膨らみすぎた登場人物の数もかなり絞りこまれ、第一作と同様に小説家関口を物語の主軸に据えている。そして、この作品は前作で精神的に壊れてしまった関口が事件を通して回復し、社会復帰するまでの過程を描いている
作品中、ある場面を関口の視点で描いた後、もう一度館の主人の視点から捉えなおすということを何度か繰り返し、その視点のギャップが事件の謎を解き明かす鍵となる。ただ、ミステリの体裁は取っているものの、トリックは第一作と同じように大して重要視されておらず、取りようによっては滑稽にすら思えるほどの稚拙なものだ。個人的にこの作品は、抑制された雰囲気とこのシリーズの“新作”というだけの楽しみかたをするしかなかった
正直今ひとつと思える作品ではあるが、妖怪シリーズの短編はこの作品以後いくつか発表されており、雰囲気は大分明るく世間ズレしているがなかなか良いので、次回作に期待
白樺湖畔に聳える洋館「鳥の城」は、主の5度目の婚礼を控えていた。過去の花嫁は何者かの手によって悉く初夜に命を奪われているという。花嫁を守るよう依頼された探偵・榎木津礼二郎は、小説家・関口巽と館を訪れる。ただ困惑する小説家をよそに、館の住人達の前で探偵は叫んだ。――おお、そこに人殺しがいる
この作品は作者自身がインタビューで語ったように、既存の妖怪シリーズの“折り返し地点”となる作品になっている。前作「塗仏の宴」でシリーズの流れは一旦区切られ、この作品は第一作の「姑獲鳥の夏」と対を成す形をとっているらしい。その為、膨らみすぎた登場人物の数もかなり絞りこまれ、第一作と同様に小説家関口を物語の主軸に据えている。そして、この作品は前作で精神的に壊れてしまった関口が事件を通して回復し、社会復帰するまでの過程を描いている
作品中、ある場面を関口の視点で描いた後、もう一度館の主人の視点から捉えなおすということを何度か繰り返し、その視点のギャップが事件の謎を解き明かす鍵となる。ただ、ミステリの体裁は取っているものの、トリックは第一作と同じように大して重要視されておらず、取りようによっては滑稽にすら思えるほどの稚拙なものだ。個人的にこの作品は、抑制された雰囲気とこのシリーズの“新作”というだけの楽しみかたをするしかなかった
正直今ひとつと思える作品ではあるが、妖怪シリーズの短編はこの作品以後いくつか発表されており、雰囲気は大分明るく世間ズレしているがなかなか良いので、次回作に期待
Utada名義の1stアルバム
この作品には分厚いブックレットが付属していて、内容は元ロッキング・オン編集長鹿野淳によるレビューと、新谷洋子という翻訳者による歌詞対訳、その翻訳者とUtadaの対談という内容の濃いもの。因みに対談では歌詞の文字の選び方や組み立て方など、結構掘り下げて語っている
肝心の音のほうだが、洋楽の音をマーケティングリサーチして、できるだけテイストを取り入れた“邦楽”という印象を受けた。歌唱法をかなり変えていて、ようするに米国のR&Bの歌唱法を踏襲していて、ユルさが無い。コーラスワークはこのアーティストの声質を生かしたもので、日本と大差はない。一聴した感想としては、「First Love」という1stアルバムを2004年現在に製作したらこういう音楽性になるんではないかという感じだ。おそらくそれを目指したのだろうし、実際のところそれは成功しているように思える
向こうで成功するために米国の音楽性に沿うという姿勢は、今まで全米進出して行ったほかの大物アーティストにも見受けられたが、この作品は精度が高く、情報の為の資本投下も惜しんでいない。その為、もしかしたらある程度成功を収めるかもしれない。ただ、売れたとしても流行の音の一つとして消費されることは間違いないところだろう。そのあたりは日本とあまり変わらないかもしれないが、日本ではブランド化しているからこそ作品がコンスタントに売れるわけで。
これは間違いなくいえるが、宇多田ヒカル名義の3rdよりは良いアルバムではある。この作品を4thアルバムとして捉えた場合、人気にクオリティがともなった素晴らしい作品ということになるだろう。ただ、その場合歌唱法の変化がまた賛否両論になるだろうし、個人的には米国に媚びているようで正直気持ちの良いものではなかった。さて、この作品は米国に受け入れられるんだろうか・・・
オルタナティブ、ポップ、ダンス、ファンク・グルーヴがミックスし、ウィットに富んだリリックと、緻密に構成されたメロディが、このアルバムには注ぎ込まれている。初のリミックス・シングル・タイトルは 『Devil Inside』。これはアジアン・フレーバー溢 れるビートのダンストラック。そして 、明るくポップなメロディを持つ 『Easy Breezy』 は、アルバムからの最初のリード・ シングルとなる。このデビュー・アルバムには、スペシャルなゲストが参加。マーズ・ヴォルタのジョン・セオドアは『Kremlin Dusk』に参加。プロデューサーのティンバランドは 『EXODUS ’04』『Wonder ’Bout』『Let Me Give You My Love』 の各曲をプロデュースしている
この作品には分厚いブックレットが付属していて、内容は元ロッキング・オン編集長鹿野淳によるレビューと、新谷洋子という翻訳者による歌詞対訳、その翻訳者とUtadaの対談という内容の濃いもの。因みに対談では歌詞の文字の選び方や組み立て方など、結構掘り下げて語っている
肝心の音のほうだが、洋楽の音をマーケティングリサーチして、できるだけテイストを取り入れた“邦楽”という印象を受けた。歌唱法をかなり変えていて、ようするに米国のR&Bの歌唱法を踏襲していて、ユルさが無い。コーラスワークはこのアーティストの声質を生かしたもので、日本と大差はない。一聴した感想としては、「First Love」という1stアルバムを2004年現在に製作したらこういう音楽性になるんではないかという感じだ。おそらくそれを目指したのだろうし、実際のところそれは成功しているように思える
向こうで成功するために米国の音楽性に沿うという姿勢は、今まで全米進出して行ったほかの大物アーティストにも見受けられたが、この作品は精度が高く、情報の為の資本投下も惜しんでいない。その為、もしかしたらある程度成功を収めるかもしれない。ただ、売れたとしても流行の音の一つとして消費されることは間違いないところだろう。そのあたりは日本とあまり変わらないかもしれないが、日本ではブランド化しているからこそ作品がコンスタントに売れるわけで。
これは間違いなくいえるが、宇多田ヒカル名義の3rdよりは良いアルバムではある。この作品を4thアルバムとして捉えた場合、人気にクオリティがともなった素晴らしい作品ということになるだろう。ただ、その場合歌唱法の変化がまた賛否両論になるだろうし、個人的には米国に媚びているようで正直気持ちの良いものではなかった。さて、この作品は米国に受け入れられるんだろうか・・・
Mr.Children 1992-1995
2004年9月7日 音楽
Mr.Childrenの上半期ベストアルバム
この作品は前期の楽曲を編んだものだが、後期を編んだものよりこちらのほうが売れたらしい。いわゆる品の良いラブソング・・・というかポップスを志向していた時期のほうが、後期のロックやフォーク色を曲に取り入れ、厭世観を少々入れた観念的な応援ソングといった歌詞の楽曲よりも良いとリスナーが判断したということになるのだろうか。それの是非はともかく、このアーティスト自身はそう受け止めたようで、インタビューで「聴いてくれる人が求めているものが分かった。方向性を考える材料になった」というような発言をしている。実際、この後に出た作品は、等身大の観念的な歌詞でシンガロングな名曲志向から転換し、成熟の過程でそぎ落とされていったように見えた優しげで温かみのある世界観を持った楽曲を作るという方向になっていった
この時期の楽曲の特徴としては、何年経っても“新鮮さ”を感じられるという部分がある。それはこのアーティストが一貫して志向している普遍性のあるアレンジの影響が大きいし、マッチョイズムを徹底的に排し、女性が生活で重要な位置を占めているような歌詞の世界観に“若さ”を感じるというのもあるかもしれない。それがこの時期は歌詞の世界観にかなりダイレクトに反映されていたということだろうか。ただ、活動を長く続けていくに当たって、シチュエーションを設定した歌詞のイメージの膨らみに限界を感じたのか、観念的でメッセージソングと呼べるような歌詞にシフトした感がある。個人的には彼らに足りない部分を補おうとしたように見えた。しかし、このアーティストの小洒落たイメージはある種の層にリアリティを感じさせることも厳然たる事実としてあるわけで、足りない部分を補おうとするよりも、良いと思われる部分を延ばしていく現在の方向性のほうが良いと思える
あれこれ書いたが、単純なポップスとしても出来が良いし、聴いて単純に「あぁ、いいな」と思える良盤だと思う
92年5月にミニアルバム『EVERYTHING』でデビューし、2001年で活動10周年となるMr.Children。本作は、彼らのヒットシングル9曲を含む、ベスト盤の前期編である。軽快なポップナンバーのファーストシングル「君がいた夏」から、愛なんてエゴのぶつかりあいだと、リアルな恋愛観を歌う「シーソーゲーム」まで、全15曲を収録。初のオリコン第1位を記録した「innocent world」の、心にしみるさわやかなメロディと、桜井和寿の澄みきったヴォーカル。それらを聴くと、初めてミスチルに触れたときの、心ときめく甘酸っぱい感動がよみがえる。96年以降のナンバーを収めた後期編も同時発売された
この作品は前期の楽曲を編んだものだが、後期を編んだものよりこちらのほうが売れたらしい。いわゆる品の良いラブソング・・・というかポップスを志向していた時期のほうが、後期のロックやフォーク色を曲に取り入れ、厭世観を少々入れた観念的な応援ソングといった歌詞の楽曲よりも良いとリスナーが判断したということになるのだろうか。それの是非はともかく、このアーティスト自身はそう受け止めたようで、インタビューで「聴いてくれる人が求めているものが分かった。方向性を考える材料になった」というような発言をしている。実際、この後に出た作品は、等身大の観念的な歌詞でシンガロングな名曲志向から転換し、成熟の過程でそぎ落とされていったように見えた優しげで温かみのある世界観を持った楽曲を作るという方向になっていった
この時期の楽曲の特徴としては、何年経っても“新鮮さ”を感じられるという部分がある。それはこのアーティストが一貫して志向している普遍性のあるアレンジの影響が大きいし、マッチョイズムを徹底的に排し、女性が生活で重要な位置を占めているような歌詞の世界観に“若さ”を感じるというのもあるかもしれない。それがこの時期は歌詞の世界観にかなりダイレクトに反映されていたということだろうか。ただ、活動を長く続けていくに当たって、シチュエーションを設定した歌詞のイメージの膨らみに限界を感じたのか、観念的でメッセージソングと呼べるような歌詞にシフトした感がある。個人的には彼らに足りない部分を補おうとしたように見えた。しかし、このアーティストの小洒落たイメージはある種の層にリアリティを感じさせることも厳然たる事実としてあるわけで、足りない部分を補おうとするよりも、良いと思われる部分を延ばしていく現在の方向性のほうが良いと思える
あれこれ書いたが、単純なポップスとしても出来が良いし、聴いて単純に「あぁ、いいな」と思える良盤だと思う
作家、京極夏彦の妖怪シリーズ7作目・後編
この作品では、前編「宴の支度」で描いた事件がさらに膨張して行く。“宴”というだけあり、新旧織り交ぜた登場人物が次から次へと登場し、今までのような情緒を重視した描写よりも、いわゆる“活劇”のような描写が多い。今までの主要な登場人物は巻き込まれ翻弄されるだけだが、動いている描写の多さゆえ賑やかなイメージが湧く。そして、脇役といえる人物にも徹底して見せ場を作っている
この作品のテーマは「家族」と「記憶の不確かさ」になっているように見受けられる。特に、洗脳や催眠といったものを取り上げて、記憶の不確かさを何度も念を押すように描写する。今までのような殺人事件というものはほとんどなく、怪しげな集団が次々に現れ、その裏にいる黒幕が糸を引くという構図なので、今まで取っていたミステリの体裁がかすんでしまい、個人的には多少物足りなかった。次作ではまたこのシリーズの型をきちんと踏襲しているようなので、そういった部分も含め“宴”ということなんだろう
後の始末をお願いします――。京極堂、覚悟を決める。
「愉しかったでしょう。こんなに長い間、楽しませてあげたんですからねえ」。その男はそう言った。蓮台寺温泉裸女殺害犯の嫌疑で逮捕された関口巽と、伊豆韮山の山深く分け入らんとする宗教集団。接点は果たしてあるのか? ようやく乗り出した京極堂が、怒りと哀しみをもって開示する「宴(ゲーム)」の驚愕の真相
この作品では、前編「宴の支度」で描いた事件がさらに膨張して行く。“宴”というだけあり、新旧織り交ぜた登場人物が次から次へと登場し、今までのような情緒を重視した描写よりも、いわゆる“活劇”のような描写が多い。今までの主要な登場人物は巻き込まれ翻弄されるだけだが、動いている描写の多さゆえ賑やかなイメージが湧く。そして、脇役といえる人物にも徹底して見せ場を作っている
この作品のテーマは「家族」と「記憶の不確かさ」になっているように見受けられる。特に、洗脳や催眠といったものを取り上げて、記憶の不確かさを何度も念を押すように描写する。今までのような殺人事件というものはほとんどなく、怪しげな集団が次々に現れ、その裏にいる黒幕が糸を引くという構図なので、今まで取っていたミステリの体裁がかすんでしまい、個人的には多少物足りなかった。次作ではまたこのシリーズの型をきちんと踏襲しているようなので、そういった部分も含め“宴”ということなんだろう
作家、京極夏彦の妖怪シリーズ6作目、前編
この作品は短編集の体裁を取っている。一つ一つの物語は、今までの作品に登場してきた人物が主役となり、各々で完結している。そして、その間を紡ぐように小説家関口の独白が挟まれる。これは、最初に雑誌で発表された作品に書下ろしを加えることで、後半、一つの物語に収束していく前フリという意味合いを持たせているようだ。「百鬼夜行 陰」という作品でも今までの登場人物のサイドストーリーを描いているが、この「塗仏の宴―宴の支度」はそこから着想を得たように見受けられる
この作品は今までの各作品(=事件)に登場していた人物が何人か出てきて、並列に並べられる。この作品の時点では絡むこともないが、その分後編への期待感を煽られるように描かれている。各々の作品にはそれぞれ妖怪の名前が付けられていることから、妖怪=事件ということでもあるらしい。この作品の時間軸としては前作「絡新婦の理」の10日後ということなので、前作から続けて読むと一繋がりの物語を読んでいるような感覚を味わうことができる
単体で読んでもそれなりに面白く、後編を読むとさらに面白さが増すというような構造なので前後編に分けられたのだろうか。もちろん以前の作品を読んでいなくても問題なく楽しめます
宴の支度は整いました――。京極堂、挑発される。
「知りたいですか」。郷土史家を名乗る男は囁く。「知り ――たいです」。答えた男女は己を失い、昏(くら)き界(さかい)へと連れ去られた。非常時下、大量殺戮の果てに伊豆山中の集落が消えたとの奇怪な噂。敗戦後、簇出(そうしゅつ)した東洋風の胡乱(うろん)な集団6つ。15年を経て宴の支度は整い、京極堂を誘い出す計は成る
この作品は短編集の体裁を取っている。一つ一つの物語は、今までの作品に登場してきた人物が主役となり、各々で完結している。そして、その間を紡ぐように小説家関口の独白が挟まれる。これは、最初に雑誌で発表された作品に書下ろしを加えることで、後半、一つの物語に収束していく前フリという意味合いを持たせているようだ。「百鬼夜行 陰」という作品でも今までの登場人物のサイドストーリーを描いているが、この「塗仏の宴―宴の支度」はそこから着想を得たように見受けられる
この作品は今までの各作品(=事件)に登場していた人物が何人か出てきて、並列に並べられる。この作品の時点では絡むこともないが、その分後編への期待感を煽られるように描かれている。各々の作品にはそれぞれ妖怪の名前が付けられていることから、妖怪=事件ということでもあるらしい。この作品の時間軸としては前作「絡新婦の理」の10日後ということなので、前作から続けて読むと一繋がりの物語を読んでいるような感覚を味わうことができる
単体で読んでもそれなりに面白く、後編を読むとさらに面白さが増すというような構造なので前後編に分けられたのだろうか。もちろん以前の作品を読んでいなくても問題なく楽しめます
作家、京極夏彦の妖怪シリーズ5作目
この作品は、犯人と京極堂の対峙するシーンから始まる。そこから時間が巻き戻り、異なった場所で起こる連続殺人事件を各々の事件における“主役”からの視点で描く。その2つの連続殺人事件と、まるで関係ないかのような登場人物たちの動きが、真犯人の張った“蜘蛛の巣”の上に乗っていることが分かり、やがてひとつの事件として収束していく。前作ではまったく登場しなかった刑事の木場が物語の主役の一角を担い、前作で出た刑事の益田が探偵に弟子入りし、京極堂の“憑物落とし”は都合4回行われる。そして、テーマは「昭和初期の日本における女性の社会的な位置」に設定されている。とはいっても、物語に必然性があるように絡めてあるので馴染みの無い方もある程度理解できるように配慮されている
この作品は構成が非常に上手いので、量の割にはさくさくと読めるし、読後感も良い。現代にも通じるテーマを描いているが、それは前作「鉄鼠の檻」で俗世間から離れた世界を描いた揺り戻しなのかもしれない
当然、僕の動きも読み込まれているのだろうな――2つの事件は京極堂をしてかく言わしめた。房総の富豪、織作(おりさく)家創設の女学校に拠(よ)る美貌の堕天使と、血塗られた鑿(のみ)をふるう目潰し魔。連続殺人は八方に張り巡らせた蜘蛛の巣となって刑事・木場らを眩惑し、搦め捕る。中心に陣取るのは誰か?
この作品は、犯人と京極堂の対峙するシーンから始まる。そこから時間が巻き戻り、異なった場所で起こる連続殺人事件を各々の事件における“主役”からの視点で描く。その2つの連続殺人事件と、まるで関係ないかのような登場人物たちの動きが、真犯人の張った“蜘蛛の巣”の上に乗っていることが分かり、やがてひとつの事件として収束していく。前作ではまったく登場しなかった刑事の木場が物語の主役の一角を担い、前作で出た刑事の益田が探偵に弟子入りし、京極堂の“憑物落とし”は都合4回行われる。そして、テーマは「昭和初期の日本における女性の社会的な位置」に設定されている。とはいっても、物語に必然性があるように絡めてあるので馴染みの無い方もある程度理解できるように配慮されている
この作品は構成が非常に上手いので、量の割にはさくさくと読めるし、読後感も良い。現代にも通じるテーマを描いているが、それは前作「鉄鼠の檻」で俗世間から離れた世界を描いた揺り戻しなのかもしれない
THE YELLOW MONKEYの6thアルバム
このアーティストが認知度を大幅に上げる直前にリリースされた作品。この作品の前にベストアルバムがリリースされ、ブレイクへの下地は着々と整っていたといえる。アルバムにはヒットシングルを2,3曲入れるのが慣例となっている昨今だが、この作品はリードシングルと呼べる「楽園」のみで、トータルアルバムと言っても良い程一貫した世界観を持った作品になっている。歌詞の刹那的な世界観に加え、このアーティストの芸風とも言えるバタ臭さとサービス精神は影を潜め、全体的に曖昧で温度の低い雰囲気を持った楽曲とアレンジ、諦観を含みながらも緊張感を持ち力強い佇まいを感じさせ、カタルシスを与えるヴォーカルの歌唱力がこの作品に限ってはこのアーティストを“ロック”バンドとしてカテゴライズさせる
個人的にこのアーティストは、この作品以前は佳曲を書くが歌詞の世界観に難アリというバンドで、この作品以後は名実共に歌謡ロックバンドになってしまった感がある。ヴォーカルの吉井ソロが内省的な作品だったので活動再開を微妙に期待していたんだが、先日解散してしまった。残念だ
このアーティストが認知度を大幅に上げる直前にリリースされた作品。この作品の前にベストアルバムがリリースされ、ブレイクへの下地は着々と整っていたといえる。アルバムにはヒットシングルを2,3曲入れるのが慣例となっている昨今だが、この作品はリードシングルと呼べる「楽園」のみで、トータルアルバムと言っても良い程一貫した世界観を持った作品になっている。歌詞の刹那的な世界観に加え、このアーティストの芸風とも言えるバタ臭さとサービス精神は影を潜め、全体的に曖昧で温度の低い雰囲気を持った楽曲とアレンジ、諦観を含みながらも緊張感を持ち力強い佇まいを感じさせ、カタルシスを与えるヴォーカルの歌唱力がこの作品に限ってはこのアーティストを“ロック”バンドとしてカテゴライズさせる
個人的にこのアーティストは、この作品以前は佳曲を書くが歌詞の世界観に難アリというバンドで、この作品以後は名実共に歌謡ロックバンドになってしまった感がある。ヴォーカルの吉井ソロが内省的な作品だったので活動再開を微妙に期待していたんだが、先日解散してしまった。残念だ
Viva La Revolution
2004年9月4日 音楽
Dragon Ashが1999年にリリースした問題作
このアーティストは音楽性やそのクオリティに不釣合いなほど認知度がある。音楽を聴く若年層にいたっては、知らない人はいないんではなかろうか。もちろんその理由は明白で、ヴォーカルを取るkjの残した功績とそれに付随する様々なゴシップが傍目から見ていても気の毒なほどあったからで、それら全てを乗り越えた現在、このアーティストは凡庸なミクスチャーバンドという位置にいる。だが、少なくともリアルタイムでこのアーティストに触れた方はなにかしらの輝きといえるものを感じ取ったはずだ
この作品はアーティスト自身が一番幸福だった時代の作品といえる。この作品以前の認知度の低さと当時ほとんど売れた前例の無い音楽性でここまでの認知度と売り上げを達成したということは、かなりのインパクトだったと記憶している。実際、現在聴いてみても、そこまで売れる要素は無い。というか、これはこのアーティストの作品に一貫しているが、作品としての鮮度を非常に短く設定しているようで、リスナー層もかなり限定しているように思える。ただ、わけのわからない勢いと求心力は感じるし、価値観の提示は当時結構目新しかった。それらの魅力は風化の激しい類のものだし、毎回更新が必要だ。それを踏まえて現在も彼らがそれなりの反応を得ながら活動しているということは、クオリティを上げる努力を怠ってこなかったということだし、音楽性の変化への見極めが正しいということだろう
個人的にはあまり進んで聴くという部類のアーティストではないが、この作品は色々な意味で記憶に残っていく作品だと思う
悩みや恐れに惑わされないで、力強く生きようとメッセージするサードマキシシングル「Let yourself go,Let myself go」のブレイクによって注目を集めた、降谷建志率いるDragon Ash のサードアルバム。高らかなホーンが鳴り響くオープニングのインストから、一気にヒップホップ色の強いナンバーをノンストップで収め、レゲエ調の「Dark cherries」に続く、パワフルなドラミングのハイスピードチューン「Drugs can’t kill teens」からラストにかけては、パワフルなロックサウンドを披露。日本中の期待を集めた、1999年を代表するヒットアルバム。音圧ありバランスもいいサウンドでループは時に単調だがベースの唸りには無理があってよい。ドラムスのバラけた響きとまっすぐに言葉を伝えようとするラップにうまくシンクロしている。意味はわかりやすくポジティヴで腰は低いがしぶとさを表出
このアーティストは音楽性やそのクオリティに不釣合いなほど認知度がある。音楽を聴く若年層にいたっては、知らない人はいないんではなかろうか。もちろんその理由は明白で、ヴォーカルを取るkjの残した功績とそれに付随する様々なゴシップが傍目から見ていても気の毒なほどあったからで、それら全てを乗り越えた現在、このアーティストは凡庸なミクスチャーバンドという位置にいる。だが、少なくともリアルタイムでこのアーティストに触れた方はなにかしらの輝きといえるものを感じ取ったはずだ
この作品はアーティスト自身が一番幸福だった時代の作品といえる。この作品以前の認知度の低さと当時ほとんど売れた前例の無い音楽性でここまでの認知度と売り上げを達成したということは、かなりのインパクトだったと記憶している。実際、現在聴いてみても、そこまで売れる要素は無い。というか、これはこのアーティストの作品に一貫しているが、作品としての鮮度を非常に短く設定しているようで、リスナー層もかなり限定しているように思える。ただ、わけのわからない勢いと求心力は感じるし、価値観の提示は当時結構目新しかった。それらの魅力は風化の激しい類のものだし、毎回更新が必要だ。それを踏まえて現在も彼らがそれなりの反応を得ながら活動しているということは、クオリティを上げる努力を怠ってこなかったということだし、音楽性の変化への見極めが正しいということだろう
個人的にはあまり進んで聴くという部類のアーティストではないが、この作品は色々な意味で記憶に残っていく作品だと思う
B’zの9thアルバム
このアーティストの音楽性はデビュー当初からするとかなり変わってきている。それは作曲を手がけ、このユニットのリーダーシップを取ってきたTAK松本の、売れなければ意味が無いというようなスタンスに拠る所が大きい。この作品以後も洋楽の流行のアレンジや音を精力的にに取り入れた楽曲を作り続けている。良く言えば、変化していくことで彼らのリスナーである大きなマーケットのニーズに応えてきたともいえるし、悪く言えば、音楽的な軸が無く節操がないように見えるというか。ただ、その批判を察したのか6枚目のアルバムあたりからロック寄りのアプローチを軸にし始め、それは現在も続いている。そのロックというジャンルに収まろうとする姿勢がこのアーティストに対する賛否両論を巻き起こす原因の一つではあるんだが・・・
このアーティストの良さは、彼らの作るメロディに乗るにはギャップがある独特の世界観を持つ歌詞だと思う。それ以外にも、ヴォーカルのルックスからくるアイドル的な視線や、あえてダサいところを狙い敷居をできるだけ低くしている部分などがある。ただ、近作になるにつれて歌詞の世界観に諦観や情けなさといった部分が加味されていき、単純なラブソングや応援ソングになるのを回避しようとしているように見受けられる。そしてそれは残念ながら失敗していて、以前の世界観が良いといった批判も多いようだ。肝心のメロディにしてもロック的なアプローチをしようとするあまりおざなりになっていて、アレンジに頼っているように見える。ようするに、今現在の彼らはこの作品の時期と比べると明らかに力が落ちたと個人的には思っているわけだ。その理由の一つには明らかに音楽シーンの変化が関係していると思われる。おそらく彼らは現在主流になっている邦楽アーティストと差別化を図ろうと考え、新興勢力に対抗する新鮮さを模索したゆえにこうなってしまったように見える。雑誌のインタビューで現在のシーンについて訊かれ、彼らは「僕らは隙間産業ですからね」などと言っている。残念なことだ
前々作「The 7th Blues」で彼らはブルース色を入れており、それは楽曲だけではなく歌詞にも反映されていて、多少息苦しかったのを覚えている。率直に言わせてもらえれば、何も彼らがしなくても良いと思える音楽性だった。実際売り上げも悪かったらしく、前作「Loose」では以前の路線を踏襲した作品を作り、それはこのアーティストの作品中もっとも売れた作品となった。それなら「Loose」を取り上げれば良いのだが、この「SURVIVE」というアルバムは前作に無い世界観のバランスの良さがあり、楽曲を含め、既存のファンのみならず外へ訴えかけようという意思とそれゆえの分かりやすさがあるのでこちらを選んでみた
この作品以後は、シングルを2,3曲、ファン受けのする以前の音楽性を踏襲した曲を1、2曲入れ、後はアーティストのエゴむき出しの曲で埋められているといった作品ばかり出しているのでアレだが、この作品に限っては捨て曲がないのでお勧めです
このアーティストの音楽性はデビュー当初からするとかなり変わってきている。それは作曲を手がけ、このユニットのリーダーシップを取ってきたTAK松本の、売れなければ意味が無いというようなスタンスに拠る所が大きい。この作品以後も洋楽の流行のアレンジや音を精力的にに取り入れた楽曲を作り続けている。良く言えば、変化していくことで彼らのリスナーである大きなマーケットのニーズに応えてきたともいえるし、悪く言えば、音楽的な軸が無く節操がないように見えるというか。ただ、その批判を察したのか6枚目のアルバムあたりからロック寄りのアプローチを軸にし始め、それは現在も続いている。そのロックというジャンルに収まろうとする姿勢がこのアーティストに対する賛否両論を巻き起こす原因の一つではあるんだが・・・
このアーティストの良さは、彼らの作るメロディに乗るにはギャップがある独特の世界観を持つ歌詞だと思う。それ以外にも、ヴォーカルのルックスからくるアイドル的な視線や、あえてダサいところを狙い敷居をできるだけ低くしている部分などがある。ただ、近作になるにつれて歌詞の世界観に諦観や情けなさといった部分が加味されていき、単純なラブソングや応援ソングになるのを回避しようとしているように見受けられる。そしてそれは残念ながら失敗していて、以前の世界観が良いといった批判も多いようだ。肝心のメロディにしてもロック的なアプローチをしようとするあまりおざなりになっていて、アレンジに頼っているように見える。ようするに、今現在の彼らはこの作品の時期と比べると明らかに力が落ちたと個人的には思っているわけだ。その理由の一つには明らかに音楽シーンの変化が関係していると思われる。おそらく彼らは現在主流になっている邦楽アーティストと差別化を図ろうと考え、新興勢力に対抗する新鮮さを模索したゆえにこうなってしまったように見える。雑誌のインタビューで現在のシーンについて訊かれ、彼らは「僕らは隙間産業ですからね」などと言っている。残念なことだ
前々作「The 7th Blues」で彼らはブルース色を入れており、それは楽曲だけではなく歌詞にも反映されていて、多少息苦しかったのを覚えている。率直に言わせてもらえれば、何も彼らがしなくても良いと思える音楽性だった。実際売り上げも悪かったらしく、前作「Loose」では以前の路線を踏襲した作品を作り、それはこのアーティストの作品中もっとも売れた作品となった。それなら「Loose」を取り上げれば良いのだが、この「SURVIVE」というアルバムは前作に無い世界観のバランスの良さがあり、楽曲を含め、既存のファンのみならず外へ訴えかけようという意思とそれゆえの分かりやすさがあるのでこちらを選んでみた
この作品以後は、シングルを2,3曲、ファン受けのする以前の音楽性を踏襲した曲を1、2曲入れ、後はアーティストのエゴむき出しの曲で埋められているといった作品ばかり出しているのでアレだが、この作品に限っては捨て曲がないのでお勧めです
小島麻由美のベストアルバム
このアーティストは非常にマイペースという印象を受ける。リリースのペースだけでなく、音楽性が一貫していることからもそれはうかがえる。長い間活動をしていてある程度の知名度があればどこかにカテゴライズされても良さそうなものだが、そういったことも特に無く、忘れかけた頃にシングルをぽつぽつと出してくる。個人的にはこのアーティストの作品は内容に見合った評価を受けていないように思えるが、PVの金のかかり具合やMTV等での放送回数から考えると、それなりの扱いを受けているようなので、ニーズはあると思われる。ようするに、メディア等やフェスなどの派手な場に出てこない割りに、作品の内容は個性があり声質も良いのでもったいないというか
この作品はベストアルバムということで、これを聴くとある程度魅力が分かるように構成されている。昭和歌謡やブルースを舌足らずでつやのある声で現代風に歌うというコンセプトも分かるはずだ。ただ、このアーティストは歌唱力と表現力がどんどん上がっていったので近作は楽曲の肌触りがこの作品の時期とはかなり違う。この作品はコンセプトに乗っかってる感があるし、いわゆるガールズポップの一つの形というような位置なので、聴きやすいと思う
これまで3枚のアルバムとライヴ盤1枚を出した、小島麻由美のベストアルバムである。明るくテンポのよい「結婚相談所」から始まり、中盤でノリは最高潮に。ほぼ古い順に並んでいるため、彼女の魅力の1つでもある声がどんどん深みを増し、セクシーになっていくのがよくわかる。未発表曲5曲を加えた全21曲。小島麻由美に興味はあるが、どれから聴けばいいかわからない、そんな人に是非おすすめしたい1枚だ
このアーティストは非常にマイペースという印象を受ける。リリースのペースだけでなく、音楽性が一貫していることからもそれはうかがえる。長い間活動をしていてある程度の知名度があればどこかにカテゴライズされても良さそうなものだが、そういったことも特に無く、忘れかけた頃にシングルをぽつぽつと出してくる。個人的にはこのアーティストの作品は内容に見合った評価を受けていないように思えるが、PVの金のかかり具合やMTV等での放送回数から考えると、それなりの扱いを受けているようなので、ニーズはあると思われる。ようするに、メディア等やフェスなどの派手な場に出てこない割りに、作品の内容は個性があり声質も良いのでもったいないというか
この作品はベストアルバムということで、これを聴くとある程度魅力が分かるように構成されている。昭和歌謡やブルースを舌足らずでつやのある声で現代風に歌うというコンセプトも分かるはずだ。ただ、このアーティストは歌唱力と表現力がどんどん上がっていったので近作は楽曲の肌触りがこの作品の時期とはかなり違う。この作品はコンセプトに乗っかってる感があるし、いわゆるガールズポップの一つの形というような位置なので、聴きやすいと思う
OK COMPUTER
2004年9月1日 音楽
レディオヘッドが生んだ名盤
この作品は近年のロックを語る上では避けては通れないという位置になってしまったらしい。実際聴くと、他のどのアーティストの作品にもない魅力が確かに存在するとは思う。その魅力は楽曲の求心力の強さとそれに見合わない温度の低さ、そして緊張感がありながら陰鬱で陶酔感のあるメロディあたりだろうか
ただ、この作品は“聴いた時の心地よさや安らぎやカタルシス”というものがいわゆる“ロックバンド”が志向するものとは一線を画していたようだ。その繊細さ、メロディの美しさ(としか表現のしようがない)と、聴く人間にどこまでも真摯な姿勢を要求するような世界観は、当時から現在にかけてのロックにありがちな「表現者の自我に自己同一化する、もしくはアートフォームの提示を理性的に楽しむ」という楽しみ方のみならず、個人の感覚に訴える。ようするに、楽曲を“自分の感情”として実にスムーズに置き換えることができるのだ。それはおそらくこの作品の世界観と楽曲の温度の低さによるものだろう。既存のロックバンドが与えるカタルシスは一過性だが、この作品は温度の低さゆえ日常レベルの感情に共振するのだと思う。そして、聴く人の感情をある一定の安定した感情の型に落とし込んでくれる
それはいわゆるロックバンドの魅力とは異なったもののように思える。だからこそ、このバンドが世間的にシリアスなバンドとして扱われているのを見るとなんとなく違和感を感じてしまうというか
共同プロデュースにセカンド・アルバムの制作時にエンジニアとして(一部プロデュースにも)関わっていたナイジェル・ゴッドリッチを迎えた本作品は、バンド自身が初めて主導権を持って自分達の望む音楽を自由に追求したアルバム。UKギターロックがたどり着いた1つの大きな成果ともいえる、重要な作品である。ギターサウンドを中心としたバンドアンサンブルはこれ以上ないほど洗練され、崇高さまで感じさせる。そしてなんとといっても、トム・ヨーク自身の内面に巣くう不安や絶望感を赤裸々につづった歌詞と、ネガティブな感情を昇華するメロディがすばらしい。安易な享楽主義に逃げることなく、あくまでも現実を見据えながら、ロックミュージックの可能性を探り続けるレディオヘッド。音楽史上最も誠実なバンドとして記憶されることだろう
The Bends」まで積み上げてきたギターロックに、エレクトロニクスを効果的に使用。より幅広い音楽となった。不気味なイントロから始まる“Air Bag”、今日ライブではおなじみになった、不規則なリズムと多彩な曲展開の“Paranoid Android”、「This is what you get」と哀愁漂う歌詞、心に染みるアコギ&ピアノの“Karma Police”この後に続く、声だけの“Fitter Happier”もアルバムの展開としておもしろい。“Let Down”や“No Surprises”では優しいメロディーを奏でている
この作品は近年のロックを語る上では避けては通れないという位置になってしまったらしい。実際聴くと、他のどのアーティストの作品にもない魅力が確かに存在するとは思う。その魅力は楽曲の求心力の強さとそれに見合わない温度の低さ、そして緊張感がありながら陰鬱で陶酔感のあるメロディあたりだろうか
ただ、この作品は“聴いた時の心地よさや安らぎやカタルシス”というものがいわゆる“ロックバンド”が志向するものとは一線を画していたようだ。その繊細さ、メロディの美しさ(としか表現のしようがない)と、聴く人間にどこまでも真摯な姿勢を要求するような世界観は、当時から現在にかけてのロックにありがちな「表現者の自我に自己同一化する、もしくはアートフォームの提示を理性的に楽しむ」という楽しみ方のみならず、個人の感覚に訴える。ようするに、楽曲を“自分の感情”として実にスムーズに置き換えることができるのだ。それはおそらくこの作品の世界観と楽曲の温度の低さによるものだろう。既存のロックバンドが与えるカタルシスは一過性だが、この作品は温度の低さゆえ日常レベルの感情に共振するのだと思う。そして、聴く人の感情をある一定の安定した感情の型に落とし込んでくれる
それはいわゆるロックバンドの魅力とは異なったもののように思える。だからこそ、このバンドが世間的にシリアスなバンドとして扱われているのを見るとなんとなく違和感を感じてしまうというか
birdの3rdアルバム
このアーティストはもともと、モンドグロッソの大沢伸一に見出され世に出たようだ。そのため、大沢伸一がプロデュースをつとめ、結果としてクラブミュージックのような音楽性の楽曲が多かった。その中で最も評価が高く、売れたと思われるのは、やはりモンドグロッソ名義でリリースされた「LIFE」だろう。これは航空会社のCMに起用されたので、聴いた事のある方も多いはずだ。アコースティックギターを奏でるイントロから始まり隙間のあるリズムにbirdの声が乗り、非常に心地よく求心力のある楽曲に仕上がっていた。個人的には今でも良く聴く曲だ
そしてこの作品は、その大沢伸一がプロデュースからはずれ、bird自身がプロデュースをする形を取っている。以前からの音楽性に慣れ親しんでいた僕にとっては大沢伸一の作る楽曲とbirdの声というのは抜群の相性だったように思うし、大沢伸一の楽曲がbirdのアーティストイメージを決定付けているようにすら見えたので、正直外れると聞いた時新譜の予想が全くつかなかった。しかし、この作品はその不安を払拭する佳曲ぞろいの良盤となっていた。「私的パートナー」のような、以前のイメージを踏襲した楽曲もあるし、全体的に大沢伸一の作るタイトな楽曲からは感じられない“おおらかさ”や“ユルさ”があり、それはbirdの伸びやかな声にマッチしている。その良さが結実した「散歩しよう」は、bird自身があえてセルフプロデュースをした意味が良く分かる佳曲だ
bird 自らが初めてプロデュースを手がけた3rdアルバムは、その自信に満ちたタイトルからもわかるように、彼女のソングライター/シンガーとしての才能がたっぷり楽しめる良作となった。山崎まさよし、ピアニカ前田、DJ KRUSH、MONDAY MICHIRUといったグッド・ミュージック・メイカーたちとのコラボレーションによって、音楽の幅は飛躍的にアップ、だけど求心力抜群の「声」のおかげで、作品全体は一定のトーンを保っている。音楽って楽しいな、自由だなと、素直に思わせてくれる温かい作品だ
このアーティストはもともと、モンドグロッソの大沢伸一に見出され世に出たようだ。そのため、大沢伸一がプロデュースをつとめ、結果としてクラブミュージックのような音楽性の楽曲が多かった。その中で最も評価が高く、売れたと思われるのは、やはりモンドグロッソ名義でリリースされた「LIFE」だろう。これは航空会社のCMに起用されたので、聴いた事のある方も多いはずだ。アコースティックギターを奏でるイントロから始まり隙間のあるリズムにbirdの声が乗り、非常に心地よく求心力のある楽曲に仕上がっていた。個人的には今でも良く聴く曲だ
そしてこの作品は、その大沢伸一がプロデュースからはずれ、bird自身がプロデュースをする形を取っている。以前からの音楽性に慣れ親しんでいた僕にとっては大沢伸一の作る楽曲とbirdの声というのは抜群の相性だったように思うし、大沢伸一の楽曲がbirdのアーティストイメージを決定付けているようにすら見えたので、正直外れると聞いた時新譜の予想が全くつかなかった。しかし、この作品はその不安を払拭する佳曲ぞろいの良盤となっていた。「私的パートナー」のような、以前のイメージを踏襲した楽曲もあるし、全体的に大沢伸一の作るタイトな楽曲からは感じられない“おおらかさ”や“ユルさ”があり、それはbirdの伸びやかな声にマッチしている。その良さが結実した「散歩しよう」は、bird自身があえてセルフプロデュースをした意味が良く分かる佳曲だ
小沢健二の代表作
このアーティストは“消費”されてしまった感が強い。まずフリッパーズギターというユニットを組み、音楽的にスノッブな層からの支持を受け、“渋谷系”という流行の波に乗り、その小洒落たルックスからアイドル的な捉え方もされた。そのユニットを解散しソロになってからメディアに親和的なスタンスを取った。簡単に言うと、芸能人としての色を濃くしたということだろうか。初期は自分のいた音楽的な村社会のノリを持ち込みつつ、上手くやっているように見えたのだが、あっという間にバランスを崩し、NYへ移住してしまった。そして、この「LIFE」という作品は、音楽的な試みの新しさと同時代性、求心力の素晴らしさを伝えるための一手段として芸能人であるということを選択し、そして実際絶妙のバランスでそれが成立していた幸福な時代の作品だ
あくまで当時初めて聴いた印象だと断っておくが、この作品は歌詞に描かれている世界観の目新しさ、当時の流行をあえて外した楽曲のポップさ、「今夜はブギーバック」の革新性と温度が音楽的な知識に裏付けされつつも理屈でなく感覚的に分かるようになっていた。最近聴きなおしたが、価値観こそ風化しているものの、ポップスとしてのクオリティはなかなかのもので、逆に今聴いたほうが付加価値なしで聴けるので正当な評価を出せるかもしれない。ただ、個人的には歌詞の価値観を同時代性と思ったのだが、ある種のアートフォームなのかもしれず、現在新規で聴く方にとっては価値観の提示ということで新鮮に映る可能性もあり
この路線をまたやれとまではいわないが、新譜はかなり厳しかったので、せめてポップスをやって欲しいんだが・・・
このアーティストは“消費”されてしまった感が強い。まずフリッパーズギターというユニットを組み、音楽的にスノッブな層からの支持を受け、“渋谷系”という流行の波に乗り、その小洒落たルックスからアイドル的な捉え方もされた。そのユニットを解散しソロになってからメディアに親和的なスタンスを取った。簡単に言うと、芸能人としての色を濃くしたということだろうか。初期は自分のいた音楽的な村社会のノリを持ち込みつつ、上手くやっているように見えたのだが、あっという間にバランスを崩し、NYへ移住してしまった。そして、この「LIFE」という作品は、音楽的な試みの新しさと同時代性、求心力の素晴らしさを伝えるための一手段として芸能人であるということを選択し、そして実際絶妙のバランスでそれが成立していた幸福な時代の作品だ
あくまで当時初めて聴いた印象だと断っておくが、この作品は歌詞に描かれている世界観の目新しさ、当時の流行をあえて外した楽曲のポップさ、「今夜はブギーバック」の革新性と温度が音楽的な知識に裏付けされつつも理屈でなく感覚的に分かるようになっていた。最近聴きなおしたが、価値観こそ風化しているものの、ポップスとしてのクオリティはなかなかのもので、逆に今聴いたほうが付加価値なしで聴けるので正当な評価を出せるかもしれない。ただ、個人的には歌詞の価値観を同時代性と思ったのだが、ある種のアートフォームなのかもしれず、現在新規で聴く方にとっては価値観の提示ということで新鮮に映る可能性もあり
この路線をまたやれとまではいわないが、新譜はかなり厳しかったので、せめてポップスをやって欲しいんだが・・・
作家、村上春樹のベストセラー
この作品は村上春樹の認知度を大幅に上げた。クリスマス商戦に上手く乗るような赤と緑の装丁が理由だったとかあれこれ言われているが、結果的に200万部という現代の小説としては異例の売り上げを叩き出した。そして、そういう流行となった作品が例外なく辿る“風化”をこの作品は何故か回避している。この作家の特徴だが、読者の立場からすると何度も読み返すタイプの小説という位置になってしまうらしい。これは思うに、売れたときの作者の戸惑いが結果的に正しかったということなのだろう。村上春樹はこの作品について、「振り返った時、“あぁ、村上さんはああいう小説も書いていましたね”と言われるような、ある種の人々の心に残る佳作になるという予想を立てていた」と言及している。ようするに代表作になるとは思ってもみなかったという事だ。その“読み”は結果的に正しく、内容を多くの読者が気に入った作品ということで風化を免れたのだろう
この作品は、若年層が画一的に見がちな“死”や“喪失”というものを、何人かの登場人物を使い疑似体験させてくれる。そして、その重みといったものが、1969年という時代の懐古的なニュアンスを含め、こういう言い方は不謹慎かもしれないが、非常に心地よい。他の作家もそういったものは疑似体験させてくれるわけだが、この作品の場合は死者や去っていった者たちに対する鎮魂の意思を持ちながら生活していくという部分を非常に上手く、ある種のリアリティすら感じるほど気持ちよく描写している
この作家は、ある種のライフスタイルの型というものを提示している。見方によれば非常に洒落ているし、この作品に限って言えば、他の作品には無い地に足の着いた視点もある。その独特の価値観は、消費というものの“見せ方”を提示し、その型にはある種の普遍性がある。ゆえに現在も若年層に好まれるんではないかと思う
暗く重たい雨雲をくぐり抜け、飛行機がハンブルグ空港に着陸すると、天井のスピーカーから小さな音でビートルズの「ノルウェイの森」が流れ出した。僕は1969年、もうすぐ20歳になろうとする秋のできごとを思い出し、激しく混乱していた。――限りない喪失と再生を描き新境地を拓いた長編小説
この作品は村上春樹の認知度を大幅に上げた。クリスマス商戦に上手く乗るような赤と緑の装丁が理由だったとかあれこれ言われているが、結果的に200万部という現代の小説としては異例の売り上げを叩き出した。そして、そういう流行となった作品が例外なく辿る“風化”をこの作品は何故か回避している。この作家の特徴だが、読者の立場からすると何度も読み返すタイプの小説という位置になってしまうらしい。これは思うに、売れたときの作者の戸惑いが結果的に正しかったということなのだろう。村上春樹はこの作品について、「振り返った時、“あぁ、村上さんはああいう小説も書いていましたね”と言われるような、ある種の人々の心に残る佳作になるという予想を立てていた」と言及している。ようするに代表作になるとは思ってもみなかったという事だ。その“読み”は結果的に正しく、内容を多くの読者が気に入った作品ということで風化を免れたのだろう
この作品は、若年層が画一的に見がちな“死”や“喪失”というものを、何人かの登場人物を使い疑似体験させてくれる。そして、その重みといったものが、1969年という時代の懐古的なニュアンスを含め、こういう言い方は不謹慎かもしれないが、非常に心地よい。他の作家もそういったものは疑似体験させてくれるわけだが、この作品の場合は死者や去っていった者たちに対する鎮魂の意思を持ちながら生活していくという部分を非常に上手く、ある種のリアリティすら感じるほど気持ちよく描写している
この作家は、ある種のライフスタイルの型というものを提示している。見方によれば非常に洒落ているし、この作品に限って言えば、他の作品には無い地に足の着いた視点もある。その独特の価値観は、消費というものの“見せ方”を提示し、その型にはある種の普遍性がある。ゆえに現在も若年層に好まれるんではないかと思う
シークヮーサー果汁100%
2004年8月28日 食べ物
名前どおり、シークヮーサーの果汁を絞ったもの
これは非常にすっぱいので、基本的には泡盛を割るための商品だ。砂糖を混ぜたタイプも売っていて、水で割ってジュースとして飲むこともできる
泡盛:果汁:水=35:5:60の割合で割るとなかなか美味しい
最近はこれで泡盛を割って飲んでいたが、つい2,3日前に切らしてしまった。買ってこないといけないが、意外と値段が高いんだよな、これ・・・
これは非常にすっぱいので、基本的には泡盛を割るための商品だ。砂糖を混ぜたタイプも売っていて、水で割ってジュースとして飲むこともできる
泡盛:果汁:水=35:5:60の割合で割るとなかなか美味しい
最近はこれで泡盛を割って飲んでいたが、つい2,3日前に切らしてしまった。買ってこないといけないが、意外と値段が高いんだよな、これ・・・
沖縄のスタンダードな泡盛。30度
台風も逸れ、滞りなく旧盆を迎えることとなりました
旧盆と言えばエイサー。エイサーを見ながらビールを飲むのも良い
とりあえず今日は今から泡盛を飲んで、夜にやるエイサーを待とうかな
夏ももう終りだ
台風も逸れ、滞りなく旧盆を迎えることとなりました
旧盆と言えばエイサー。エイサーを見ながらビールを飲むのも良い
とりあえず今日は今から泡盛を飲んで、夜にやるエイサーを待とうかな
夏ももう終りだ
バジリスク-甲賀忍法帖
2004年8月27日 漫画
山田風太郎原作の漫画化
この作品は原作モノということで、山田風太郎の読者層を考えるに年配の方向けなのかもしれない。しかし、若年層向けの雑誌に連載されていたこともあり、間口の広い人気を誇っているらしい。一応漫画は完結しているのだが、この作品は原作の1作目ということなので、これをきっかけに原作へ進む方もいるような気がする。ようするに、導入部としてこの作品は申し分のないクオリティを維持しているということだ。展開は非常に速く、描写力もかなりのもので、グロテスクになりかねない部分も巧みに表現しており、忍者が持つそれぞれの“売り”ともいえる忍術を駆使して伊賀と甲賀にわかれた忍者同士が壮絶な殺し合いする様子を描いている。できれば漫画もシリーズ化して欲しいところだ
奇想天外痛快無比、山田風太郎の代表作『甲賀忍法帖』を待望の漫画化、まったく新しく生まれ変わった、それが『バジリスク』!江戸の世、天下人・徳川家康は甲賀と伊賀という忍法の二大宗家を相争わせ、十人対十人の忍法殺戮合戦の結果どちらが生き残るかによって、三代将軍の世継ぎ問題を解決させることにした。だが憎み合う両家にあってそれぞれの跡取り、甲賀弦之介(げんのすけ)と伊賀の朧(おぼろ)は深く愛し合っていた。そして??!山田風太郎の大人気『忍法帖』シリーズの記念すべき第1作めが、卓越した技量の持ち主、せがわまさきによって漫画化された
この作品は原作モノということで、山田風太郎の読者層を考えるに年配の方向けなのかもしれない。しかし、若年層向けの雑誌に連載されていたこともあり、間口の広い人気を誇っているらしい。一応漫画は完結しているのだが、この作品は原作の1作目ということなので、これをきっかけに原作へ進む方もいるような気がする。ようするに、導入部としてこの作品は申し分のないクオリティを維持しているということだ。展開は非常に速く、描写力もかなりのもので、グロテスクになりかねない部分も巧みに表現しており、忍者が持つそれぞれの“売り”ともいえる忍術を駆使して伊賀と甲賀にわかれた忍者同士が壮絶な殺し合いする様子を描いている。できれば漫画もシリーズ化して欲しいところだ
Soul Source JACKSON 5 REMIXES
2004年8月26日 音楽
JACKSON 5を題材にしたremixアルバム
この作品は元ピチカート・ファイブの小西康陽が監修したものだ。小西自身はインタビューで、「ジャクソン5もリミックスしたし、ルパンもやった、ディズニーもやった。ピチカートもある。だから世界中どこへ行っても大丈夫だという自負がある。もし次リミックスをするなら自分のマーケットに入っていない層を狙いたい。横浜銀蝿なんかいいかもね」などと冗談めかして言っていたが、ここで彼自身が手がけたりミックスは相変わらず(というしかない)の小西色の強い祝祭的なミックスだ。全体的に、お洒落にしようというような意図も特に無くネタになったジャクソン5のトラック(特に声)をかなり尊重した、生かす方向でミックスしているのが特徴だ。極論を言えばジャクソン5というアーティストがアレンジを変えれば現在でも全く通用する楽曲だということを証明するためだけの作品といえるのかもしれない
<収録曲>
I Want You Back~readymade 524 mix:小西康陽~
Darling Dear~rejuvenated by MURO mix:MURO~
It’s Great To Be Here~Kenny Dope Remix:ケニー・ドープ~
I Wanna Be Where You Are(マンデイ満ちる)
ABC~Love Stream Mix:Kayoko Kimura・フィーチャリング・Fireflys~
Hum Along And Dance~United Future Organization Mix:ユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイション~
I’ll Be There(SCOF remix:スモール・サークル・オブ・フレンズ~
ABC~Kubota,Takeshi Remix:Kubota,Takeshi~
I Want You Back~Kei’s Routine Jazz Party Mix:小林桂~
Never Can Say Goodbye~OSAWA 3000 REMIX:大沢伸一
国内外の大物アーティストたちが続々と参加した、夢のリミックス・アルバム。ジャクソン5が残した21世紀に伝えるべき名曲群を、各参加者がそれぞれの個性を活かして見事にアレンジしている。
この作品は元ピチカート・ファイブの小西康陽が監修したものだ。小西自身はインタビューで、「ジャクソン5もリミックスしたし、ルパンもやった、ディズニーもやった。ピチカートもある。だから世界中どこへ行っても大丈夫だという自負がある。もし次リミックスをするなら自分のマーケットに入っていない層を狙いたい。横浜銀蝿なんかいいかもね」などと冗談めかして言っていたが、ここで彼自身が手がけたりミックスは相変わらず(というしかない)の小西色の強い祝祭的なミックスだ。全体的に、お洒落にしようというような意図も特に無くネタになったジャクソン5のトラック(特に声)をかなり尊重した、生かす方向でミックスしているのが特徴だ。極論を言えばジャクソン5というアーティストがアレンジを変えれば現在でも全く通用する楽曲だということを証明するためだけの作品といえるのかもしれない
<収録曲>
I Want You Back~readymade 524 mix:小西康陽~
Darling Dear~rejuvenated by MURO mix:MURO~
It’s Great To Be Here~Kenny Dope Remix:ケニー・ドープ~
I Wanna Be Where You Are(マンデイ満ちる)
ABC~Love Stream Mix:Kayoko Kimura・フィーチャリング・Fireflys~
Hum Along And Dance~United Future Organization Mix:ユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイション~
I’ll Be There(SCOF remix:スモール・サークル・オブ・フレンズ~
ABC~Kubota,Takeshi Remix:Kubota,Takeshi~
I Want You Back~Kei’s Routine Jazz Party Mix:小林桂~
Never Can Say Goodbye~OSAWA 3000 REMIX:大沢伸一
ザ・ビートルズ の7枚目になるアルバム
個人的にはビートルズの作品で最も良いと思えるアルバムだ。一つ一つの楽曲は気の利いた佳曲(もちろんビートルズを基準にしている)だが、アルバムとしての整合性が非常に高い。かといって雰囲気を意図的に統一してあるというわけではなく、通して聴いた時に各々の楽曲を聴いて得た小さな発見やカタルシス、喜び、格好よさ等の積み重ねが一つの形を成すというか。楽曲はどちらかというとポップな感じがするが、個人的にビートルズの魅力と思っている、ポップなメロディを非常に乾いたアレンジと声で仕上げる部分が絶妙のバランスを持っており聞き飽きない。現在聴いても全く風化していない楽曲はやはり素晴らしいと思う
サイケデリックの扉を開けたとされる66年リリースの7枚目。ディストーションギターが鳴り響く曲から、インド音楽の要素を取り入れた曲、弦楽八重奏をフィーチャーした作品、果てはテープの逆回転を取り入れた曲まで、思いついたアイデアをすべて迷うことなく実験しきったアルバムだ。半面、ポールのメロディ作りの才能が全開し、「Here there and everywhere」をはじめ、彼の最高傑作に数え挙げられる楽曲が複数収録されている。あまりにも凝ったレコーディングのためライヴで再現できる曲が少なく、彼らのライヴ活動停止の理由の1つとなった
コンサートから遠ざかってしまったビートルズが2か月半を費して完成させた第7作。ラーガ・ロックやエフェクターなど様々な音楽的効果を意欲満々積極的に採り入れ,革新的なサウンドを作ることに成功。クラウス・ヴーアマンのジャケはグラミーを受賞
個人的にはビートルズの作品で最も良いと思えるアルバムだ。一つ一つの楽曲は気の利いた佳曲(もちろんビートルズを基準にしている)だが、アルバムとしての整合性が非常に高い。かといって雰囲気を意図的に統一してあるというわけではなく、通して聴いた時に各々の楽曲を聴いて得た小さな発見やカタルシス、喜び、格好よさ等の積み重ねが一つの形を成すというか。楽曲はどちらかというとポップな感じがするが、個人的にビートルズの魅力と思っている、ポップなメロディを非常に乾いたアレンジと声で仕上げる部分が絶妙のバランスを持っており聞き飽きない。現在聴いても全く風化していない楽曲はやはり素晴らしいと思う