DEATH NOTE 2
2004年11月12日 漫画
漫画家、小畑健が描くサスペンス
この巻では探偵のLが登場し、彼の推理のもとライトへの捜査が行われる。警察の捜査をかいくぐり、ライトへの尾行を続けていたFBIの捜査官をデスノートで殺したことで、警察では怖気づき捜査から外れる警官が続出、少数が残りLの下で働くことになる
内容としては、デスノートの効果的な使い方を細かく描写していくという前巻からの路線を踏襲している。周到に計算した殺し方と、邪魔者を躊躇無く排除し自分の行動に酔っている様は、ライトの頭の良さと悪役としてのしたたかさを充分に感じさせ、Lより一枚上手だと感じさせる。まぁ、Lの描写自体少なく捜査を立て直すというような展開なので仕方が無いかもしれないが。この後の展開は警察、L、ライトを中心とした群像劇のようになっていき、描写も俯瞰的になるが、この段階では主役はあくまでもライトということになっているようだ
Lが日本の警察と手を組み、本腰を入れ捜査に乗り出すところでこの巻は終わっている。引きとしては上手いと思うが、食い足りないという思いも多少あるんだが・・・
自分を追うFBI捜査官の名前を知る事に成功した月は、自らの正義を信じ、FBIに裁きをくだす。一方、月を追うLが遂にその姿を現し、包囲網を狭めていく…。知性と知性がぶつかりあう本格サスペンス!!
この巻では探偵のLが登場し、彼の推理のもとライトへの捜査が行われる。警察の捜査をかいくぐり、ライトへの尾行を続けていたFBIの捜査官をデスノートで殺したことで、警察では怖気づき捜査から外れる警官が続出、少数が残りLの下で働くことになる
内容としては、デスノートの効果的な使い方を細かく描写していくという前巻からの路線を踏襲している。周到に計算した殺し方と、邪魔者を躊躇無く排除し自分の行動に酔っている様は、ライトの頭の良さと悪役としてのしたたかさを充分に感じさせ、Lより一枚上手だと感じさせる。まぁ、Lの描写自体少なく捜査を立て直すというような展開なので仕方が無いかもしれないが。この後の展開は警察、L、ライトを中心とした群像劇のようになっていき、描写も俯瞰的になるが、この段階では主役はあくまでもライトということになっているようだ
Lが日本の警察と手を組み、本腰を入れ捜査に乗り出すところでこの巻は終わっている。引きとしては上手いと思うが、食い足りないという思いも多少あるんだが・・・
DEATH NOTE 1
2004年11月10日 漫画
漫画家、小畑健が描くSFサスペンス
現在の少年ジャンプ連載作品の中では高い人気を誇り、看板といっても差し支えない作品。この作者の代表作である前作「ヒカルの碁」と同じように、設定に非現実を持ち込み、描写と展開はどこまでも現実的にという手法がとられている
死神のノートを拾った高校生「夜神月(やがみらいと)」が犯罪者など社会にとって悪である人間を次々に殺して行くというところまではファンタジーだが、社会的に見れば殺人であるその行為を裁く為に世界的な探偵である「L(える)」が登場することで、ライトとLの頭脳戦というサスペンスになる。警察を従えたLを見つけ出し殺すことがライトの目標として設定され、Lを含む警察機構の捜査をかいくぐる部分がこの1巻では描かれている
この巻の段階では、死神のノート(デスノート)の存在を読者に理解させ、それが現実にあった場合一体どういうことに気を遣わなければいけないか、どう使うと効果的かという部分を重点的に描いている。警察機構の捜査もあくまで現実に即したものとして描き、日本の警察についても描くに当たってリサーチをきちんとしてあるように思える。結果、荒唐無稽なデスノートの存在がリアルに感じられ、また、主人公を頭の良い高校生に設定することで「世界から悪を一掃する」という子供じみた目的を補完しようとしているようだ。この段階ではLの存在は謎とされており、ドラえもん的なファンタジーとして読むことが出来る
絵柄が端正で構成力もあり、説明的なモノローグや台詞が多い割には非常に読みやすい。また、1コマに入れる情報量が多い。卓越した表現力で描く表情や動きで感覚的に理解させ、次にモノローグや台詞で理性的に理解させるという2段構えで、緊張感と歪んだ感情を分かりやすく伝えることに成功している
このノートに名前を書かれた人間は死ぬ…。死神 リュークが人間界に落とした一冊のノート「DEATH NOTE」。ここから、二人の選ばれし者「夜神月」と「L」の壮絶な戦いが始まる!! かつてないスリルとサスペンス!!
現在の少年ジャンプ連載作品の中では高い人気を誇り、看板といっても差し支えない作品。この作者の代表作である前作「ヒカルの碁」と同じように、設定に非現実を持ち込み、描写と展開はどこまでも現実的にという手法がとられている
死神のノートを拾った高校生「夜神月(やがみらいと)」が犯罪者など社会にとって悪である人間を次々に殺して行くというところまではファンタジーだが、社会的に見れば殺人であるその行為を裁く為に世界的な探偵である「L(える)」が登場することで、ライトとLの頭脳戦というサスペンスになる。警察を従えたLを見つけ出し殺すことがライトの目標として設定され、Lを含む警察機構の捜査をかいくぐる部分がこの1巻では描かれている
この巻の段階では、死神のノート(デスノート)の存在を読者に理解させ、それが現実にあった場合一体どういうことに気を遣わなければいけないか、どう使うと効果的かという部分を重点的に描いている。警察機構の捜査もあくまで現実に即したものとして描き、日本の警察についても描くに当たってリサーチをきちんとしてあるように思える。結果、荒唐無稽なデスノートの存在がリアルに感じられ、また、主人公を頭の良い高校生に設定することで「世界から悪を一掃する」という子供じみた目的を補完しようとしているようだ。この段階ではLの存在は謎とされており、ドラえもん的なファンタジーとして読むことが出来る
絵柄が端正で構成力もあり、説明的なモノローグや台詞が多い割には非常に読みやすい。また、1コマに入れる情報量が多い。卓越した表現力で描く表情や動きで感覚的に理解させ、次にモノローグや台詞で理性的に理解させるという2段構えで、緊張感と歪んだ感情を分かりやすく伝えることに成功している
作家、村上春樹のエッセイ集
この作品は基本的にはエッセイ集の範疇を出ない。内容はアメリカでの生活で気づいた奇妙な部分や笑える話などで、エッセイというには1回分の文章量が多く、軽く読めるが読み応えもあるというような作品になっている。この作品を書くに当たっての作者のスタンスというものは重要だと思うので、それについて言及している文章をあとがきから少し引用させてもらうことにする
実際、この作品はあくまで軽妙な語り口ながら、アメリカでの様々なトピックを紹介するだけに留まらず、それについての作者の真剣な意見をまとまった形で読むことが出来るものになっていて、エッセイというには多少重みがあるかもしれない。最終的には作者自身の作家としての位置について考察してみたりと、他のエッセイ集には無いシリアスな姿勢を見ることができる。この作家のエッセイ集はほとんど持っているが、何度も繰り返し読むに値するものはこの作品くらいではないかと思う
初めてプリンストンを訪れたのは1984年の夏だった。F・スコット・フィッツジェラルドの母校を見ておきたかったからだが、その7年後、今度は大学に滞在することになった。二編の長編小説を書き上げることになったアメリカでの生活を、2年にわたり日本の読者に送り続けた16通のプリンストン便り
この作品は基本的にはエッセイ集の範疇を出ない。内容はアメリカでの生活で気づいた奇妙な部分や笑える話などで、エッセイというには1回分の文章量が多く、軽く読めるが読み応えもあるというような作品になっている。この作品を書くに当たっての作者のスタンスというものは重要だと思うので、それについて言及している文章をあとがきから少し引用させてもらうことにする
僕はこの本を書く前にも、旅行記というか滞在記のようなものを一度出したことがある。「遠い太鼓」というのがそれで、僕はその本の中で約三年にわたるヨーロッパ滞在についての文章を書いた。でも今考えてみると、そこに収められている文章の多くは「第一印象」或いはせいぜい「第二印象」によって成立していた。僕はずいぶん長くそこに滞在していたわけだが、結局のところは、通り過ぎていく旅行者の目で周りの世界を眺めていたように思う。それが良いとか悪いとか言うのではない。通り過ぎる人には通り過ぎる人の視点があり、そこに腰を据えている人には腰を据えている人の視点がある。どちらにもメリットがあり、死角がある。必ずしも、第一印象でものを書くのが浅薄で、長く暮らしてじっくり物を見た人の視点が深く正しいということにはならない。そこに根を下ろしているだけ、かえって見えないというものだってある。どれだけ自分の視点と真剣に、或いは柔軟に関わりあえるか、それがこういう文章にとって一番重要な問題であると僕は思う
実際、この作品はあくまで軽妙な語り口ながら、アメリカでの様々なトピックを紹介するだけに留まらず、それについての作者の真剣な意見をまとまった形で読むことが出来るものになっていて、エッセイというには多少重みがあるかもしれない。最終的には作者自身の作家としての位置について考察してみたりと、他のエッセイ集には無いシリアスな姿勢を見ることができる。この作家のエッセイ集はほとんど持っているが、何度も繰り返し読むに値するものはこの作品くらいではないかと思う
Evening Glow
2004年11月7日 音楽
Port of Notesの3rdアルバム
3年間の活動休止中に畠山美由紀はソロアルバムを2枚、カヴァーアルバムを1枚、ライヴアルバムを1枚リリースし、松任谷由美と松本隆のプロデュースした企画シングルに参加、所属しているもう一つのバンド、ダブル・フェイマスでもアルバムを1枚、そしてスギウラム、ショーロクラブ、ソウル・ボッサ・トリオにゲストヴォーカルとして参加、ジョン・レノンスーパーライヴにも参戦とソロ活動が充実しすぎていた感もあり、PoN名義でリリースするということがなんだかえらく価値のあることのように思えてしまう
内容のほうだが、PoN名義での特徴である、哀感のある楽曲が多い。1stの時期にあった打ち込み的な音楽性はほぼ無くなり、アコースティック・ギターが大幅に導入されている。そして、アルバムを順に聴いていくと哀感が徐々に薄らいでいき穏やかで明るい楽曲になっていくというコンセプトもあるようだ。独特の哀感や切なさを含んだ楽曲は畠山美由紀の声質と歌唱に非常にマッチしており、PoN名義でしかできない部分だと思う。かなりお勧め
畠山美由紀とDSKから成るPort of Notesが通算3作目のアルバム『Evening Glow』をリリース。それぞれの充実したソロ活動を経て、前作『Duet With Birds』から3年ぶりに届けられる本作。松任谷由実の参加(!!)をはじめ、松永孝義、坂田学(Polaris)、堀川"Bobo"裕之などがワキを固め、エンジニアリングを内田直之(DRY&HEAVY)が手がけている。さらに初回限定盤には“Dead Angel(Naoyuki Uchida Dub)”“Walk Through Happiness(Instrumental)”の2曲を収録した8cm CD付きとなっている。より深みを増したアコースティック・サウンドと畠山美由紀の凛とした歌声の世界を堪能できます
3年間の活動休止中に畠山美由紀はソロアルバムを2枚、カヴァーアルバムを1枚、ライヴアルバムを1枚リリースし、松任谷由美と松本隆のプロデュースした企画シングルに参加、所属しているもう一つのバンド、ダブル・フェイマスでもアルバムを1枚、そしてスギウラム、ショーロクラブ、ソウル・ボッサ・トリオにゲストヴォーカルとして参加、ジョン・レノンスーパーライヴにも参戦とソロ活動が充実しすぎていた感もあり、PoN名義でリリースするということがなんだかえらく価値のあることのように思えてしまう
内容のほうだが、PoN名義での特徴である、哀感のある楽曲が多い。1stの時期にあった打ち込み的な音楽性はほぼ無くなり、アコースティック・ギターが大幅に導入されている。そして、アルバムを順に聴いていくと哀感が徐々に薄らいでいき穏やかで明るい楽曲になっていくというコンセプトもあるようだ。独特の哀感や切なさを含んだ楽曲は畠山美由紀の声質と歌唱に非常にマッチしており、PoN名義でしかできない部分だと思う。かなりお勧め
真夏のB.B.クィーンズ
2004年11月6日 音楽
B.B.クィーンズの2ndアルバム
そもそもこのアーティストはキャリアを積んだベテランアーティスト達が組んだ企画モノのプロジェクトであり、現在は活動していない。メンバーを軽く紹介すると、伝説のブルース・バンドと言われる「ブレイク・ダウン」の活動を経て、87年よりソロ活動を開始し、B.B.キングをはじめ、海外ブルースミュージシャンとの共演も多いギター近藤房之助と、スタジオミュージシャン・ツアーサポート・メンバーとして活躍していたヴォーカル担当の坪倉唯子を中心に、Mi-Keとしてデビューもしたコーラス隊の宇徳敬子、村上遥、渡辺真美、作曲家として活躍していたキーボード担当の栗林誠一郎など
そして、このアーティストと言えば誰もが知っているアニメ「ちびまるこちゃん」の主題歌「踊るポンポコリン」。なんとなくあの曲のみの一発屋的なイメージがあるが、個人的には映画「僕らの七日間戦争2」の主題歌を歌ったアーティストという印象がある。映画自体は正直駄作だったが、主題歌である「ぼくらの七日間戦争〜Sevendays Dream〜」はかなりの佳曲だった。その楽曲が収録されている今作は、バラエティに富んだアプローチの良盤になっている。全曲解説を下記のHPでしているので参照されたし
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Drum/8327/bbq5.htm
内容のほうだが、ビーイングの作品ということもあり、妙な主張も無く直球ど真ん中の心地よいポップスになっている。ただ、このバンドはヴォーカルをとることが出来るメンバーが多く、パブリックイメージを背負った坪倉唯子はアルバムの中ではコーラスやサイドヴォーカルとしての位置づけで、後にソロとして活躍することになるメンバーがそれぞれの楽曲でメインヴォーカルを取っている。その為楽曲ごとに印象が違い、コミックバンド的なパブリックイメージとは違いまっとうなポップスになっている。近藤房之助がヴォーカルを取った楽曲もあるが、ロック色はかなり強いもののコーラスやアレンジなどで上手くポップさを加味している
「ぼくらの七日間戦争〜Sevendays Dream〜」はかなり良いので、レンタルショップ等で見つけたら聴いてみるが吉
プロデューサー長戸大幸がレーベル・プロデューサーを務めている「リゾーム・レーベル」のアーティスト達によって結成された音楽集団。本格派の音楽を追求すると同時に「子供達に夢を」「音楽のジャンルに年齢などない」というテーマを掲げて活動
そもそもこのアーティストはキャリアを積んだベテランアーティスト達が組んだ企画モノのプロジェクトであり、現在は活動していない。メンバーを軽く紹介すると、伝説のブルース・バンドと言われる「ブレイク・ダウン」の活動を経て、87年よりソロ活動を開始し、B.B.キングをはじめ、海外ブルースミュージシャンとの共演も多いギター近藤房之助と、スタジオミュージシャン・ツアーサポート・メンバーとして活躍していたヴォーカル担当の坪倉唯子を中心に、Mi-Keとしてデビューもしたコーラス隊の宇徳敬子、村上遥、渡辺真美、作曲家として活躍していたキーボード担当の栗林誠一郎など
そして、このアーティストと言えば誰もが知っているアニメ「ちびまるこちゃん」の主題歌「踊るポンポコリン」。なんとなくあの曲のみの一発屋的なイメージがあるが、個人的には映画「僕らの七日間戦争2」の主題歌を歌ったアーティストという印象がある。映画自体は正直駄作だったが、主題歌である「ぼくらの七日間戦争〜Sevendays Dream〜」はかなりの佳曲だった。その楽曲が収録されている今作は、バラエティに富んだアプローチの良盤になっている。全曲解説を下記のHPでしているので参照されたし
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Drum/8327/bbq5.htm
内容のほうだが、ビーイングの作品ということもあり、妙な主張も無く直球ど真ん中の心地よいポップスになっている。ただ、このバンドはヴォーカルをとることが出来るメンバーが多く、パブリックイメージを背負った坪倉唯子はアルバムの中ではコーラスやサイドヴォーカルとしての位置づけで、後にソロとして活躍することになるメンバーがそれぞれの楽曲でメインヴォーカルを取っている。その為楽曲ごとに印象が違い、コミックバンド的なパブリックイメージとは違いまっとうなポップスになっている。近藤房之助がヴォーカルを取った楽曲もあるが、ロック色はかなり強いもののコーラスやアレンジなどで上手くポップさを加味している
「ぼくらの七日間戦争〜Sevendays Dream〜」はかなり良いので、レンタルショップ等で見つけたら聴いてみるが吉
岩井俊二監督作品
この作品はキットカットの食頑として製作されたショートフィルムがベースになっている。ショートフィルムのほうは花とアリスと宮本の出演が物語のほとんどを占めるが、映画のほうは阿部寛、広末涼子、大沢たかお、ルー大柴、大森南朋、叶美香、テリー伊藤などがチョイ役で出演しており、賑やかな印象を受ける
内容のほうだが、花とアリスと宮本の微妙な三角関係を描く部分が軸となり、あとは物語の大筋には関わらず3人の人物造形に費やされている。一方通行の恋を成就させようとする花に対してそれを面白がっているアリスという関係も変わらない。強いて言うなら、ショートフィルムと今作の最も違う点は、主役が「花」から「アリス」へと代わっていることだろう。花の恋愛感情に戸惑う宮本という絵がメインとなり、宮本が友達のアリスへ惹かれていくのを知りながらどうすることもできない花というおおまかな流れは同じだが、映画ではアリスと宮本が直接的に関わるシーンが増え、また様々な形でアリスを魅力的に描いてあるため、宮本がアリスに惹かれていく感情が納得できる。逆に花のほうは自分の恋愛を成就させるためなら手段を選ばないというような描き方をされているため感情移入しにくくなっている。しかし、結果としてアリスを主人公に据えたことで、描き出した少女の魅力的な部分は普遍性を持ったように思う
ちょっと気になっていることがある。オーディションを受けたアリスが椅子に座り、それを面接官が見ているというアングルで撮ったシーンがある。面接官は声のみで、場慣れしていないアリスが受け答えをしてる表情を捉えている。ただ、その面接官の声はどう聞いても吉岡秀隆なんだが・・・。出演者に名前が載っていないのは何故だろうか
岩井俊二監督が、高校生たちの揺れ動く心情をリリカルで繊細なタッチでつづった青春ドラマ。ネットで配信した4つの短編が、長編作品として再構成された。あこがれの先輩を「記憶喪失」だと信じこませ、つき合い始める花と、彼女の親友アリス。3人の微妙な思いがもつれていく。細かいカットで紡がれるオープニングから、花とアリスの自然な会話に引き込まれる。恋の成就のための無謀な嘘や、親友が恋敵になるといった一見ありふれた展開も、演じる鈴木杏と蒼井優の等身大の演技で、高校生の生き生きとした日常に転化。通学中のときめきや海辺のデート、バレエ教室での稽古風景などノスタルジックな映像に、岩井監督自身が作曲した音楽が絶妙にかぶさる。物語に感動するとか、興奮することはないが、観ていること自体が心地よく、知らぬ間に胸をヒリヒリさせる一篇。やはり岩井俊二はただ者ではない
この作品はキットカットの食頑として製作されたショートフィルムがベースになっている。ショートフィルムのほうは花とアリスと宮本の出演が物語のほとんどを占めるが、映画のほうは阿部寛、広末涼子、大沢たかお、ルー大柴、大森南朋、叶美香、テリー伊藤などがチョイ役で出演しており、賑やかな印象を受ける
内容のほうだが、花とアリスと宮本の微妙な三角関係を描く部分が軸となり、あとは物語の大筋には関わらず3人の人物造形に費やされている。一方通行の恋を成就させようとする花に対してそれを面白がっているアリスという関係も変わらない。強いて言うなら、ショートフィルムと今作の最も違う点は、主役が「花」から「アリス」へと代わっていることだろう。花の恋愛感情に戸惑う宮本という絵がメインとなり、宮本が友達のアリスへ惹かれていくのを知りながらどうすることもできない花というおおまかな流れは同じだが、映画ではアリスと宮本が直接的に関わるシーンが増え、また様々な形でアリスを魅力的に描いてあるため、宮本がアリスに惹かれていく感情が納得できる。逆に花のほうは自分の恋愛を成就させるためなら手段を選ばないというような描き方をされているため感情移入しにくくなっている。しかし、結果としてアリスを主人公に据えたことで、描き出した少女の魅力的な部分は普遍性を持ったように思う
ちょっと気になっていることがある。オーディションを受けたアリスが椅子に座り、それを面接官が見ているというアングルで撮ったシーンがある。面接官は声のみで、場慣れしていないアリスが受け答えをしてる表情を捉えている。ただ、その面接官の声はどう聞いても吉岡秀隆なんだが・・・。出演者に名前が載っていないのは何故だろうか
A&W
2004年11月3日沖縄にあるファーストフード店
沖縄へやってきた観光客にはかなりの人気だが、個人的にはバーガー類が平均300円オーバーと割高なので今一つ乗り切れないA&W。というのも、学生の頃ここのハムチーズサンドが気に入っていて、行くたびにそれを食べていたが、自分で食事を作るようになるとコストパフォーマンスの低さがいやでも目に付き、足が遠のくことになった
つい先日行く機会があり、こりずにハムチーズサンドを食べようと思ったところテキサスバーガーという期間限定商品が発売されており、早速購入。普通のトーストを少し小さくしたようなバンズに、生のたまねぎ、レタス、厚切りのトマト、パティが挟んである。これがとても美味しい。数日後にもう一度買いに行くほど美味かった
というわけで、今日の昼ごはんはまたA&Wにしてみようかと・・・
因みに一番人気商品はチキンサンドです
公式HP
http://www.awok.co.jp/
沖縄へやってきた観光客にはかなりの人気だが、個人的にはバーガー類が平均300円オーバーと割高なので今一つ乗り切れないA&W。というのも、学生の頃ここのハムチーズサンドが気に入っていて、行くたびにそれを食べていたが、自分で食事を作るようになるとコストパフォーマンスの低さがいやでも目に付き、足が遠のくことになった
つい先日行く機会があり、こりずにハムチーズサンドを食べようと思ったところテキサスバーガーという期間限定商品が発売されており、早速購入。普通のトーストを少し小さくしたようなバンズに、生のたまねぎ、レタス、厚切りのトマト、パティが挟んである。これがとても美味しい。数日後にもう一度買いに行くほど美味かった
というわけで、今日の昼ごはんはまたA&Wにしてみようかと・・・
因みに一番人気商品はチキンサンドです
公式HP
http://www.awok.co.jp/
Structure et Force
2004年11月2日 音楽
DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENの2ndアルバム
この作品は詳しい楽曲解説を菊池成孔本人がしているので、下記を参照されたし
http://www.bls-act.co.jp/artists/dcprg.html
このアーティストは上記を読んでもらえばお分かりの通り、かなり醒めた視点から理性的なアプローチをして楽曲を製作しているようだ。その所為かどうかは分からないが、聴き手に与える快楽のレンジを絞り、ある一定の感情をキープするように構成してある。その為、聴き手は洒落の通じない理性的な解釈を求められることになり、フィジカルな快楽も同時に得ることが出来る
内容のほうだが、全てインストで1曲の演奏時間が長く、一聴しただけでは冗長すぎて良さはおそらく分からないと思われる。ただ、何度か聴き込むとそれぞれの楽器が効果的に使われていることに気づく。矢継ぎ早に展開していく楽曲を理解した頃には演奏時間は構成上必要な長さだと納得できると思う。ジャズの素養が無いと理解するまでに多少時間がかかるかもしれないが。ただ、この作品の良さはあくまでも理性的な感覚とフィジカルな部分であり、心地よさや情緒といったものは一切無いので。お忘れなきよう
お待たせしました! DCPRGことDATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENの最新2ndアルバムが遂に完成! 2002年のFUJI ROCK FESTIVAL、ホワイトステージでのライヴアクト以降、一気にファンが急増! もはや1,000人収容の大型クラブが軒並みソールドアウトになる程の熱狂ぶり。 1stアルバムのリリースから、はや2年余、もはやDCPRG以降と語られる程のエポックとして全音楽ファンに記憶されてから、ようやく彼等の進化の過程が白日のもとに。 その間、ブラス隊が増強され、更にマッシヴに、よりきらびやかなものへとバンドアレンジも発展。そして創設時からのメンバーである“大友良英”脱退をうけ、 後任(?)ギタリストに、PANIC SMILEよりジェイソン・シャルトンをサポートとして迎え、編成も14人と、更に人数もアップ! ブッ太くブ厚く、 ジャズ〜ファンク〜ロック〜クラブ・ミュージック全てをも飲み込み、カオティックでファンクネス、そしてゴージャスに、前作を凌駕する、 壮大なる第2幕がスタート
この作品は詳しい楽曲解説を菊池成孔本人がしているので、下記を参照されたし
http://www.bls-act.co.jp/artists/dcprg.html
このアーティストは上記を読んでもらえばお分かりの通り、かなり醒めた視点から理性的なアプローチをして楽曲を製作しているようだ。その所為かどうかは分からないが、聴き手に与える快楽のレンジを絞り、ある一定の感情をキープするように構成してある。その為、聴き手は洒落の通じない理性的な解釈を求められることになり、フィジカルな快楽も同時に得ることが出来る
内容のほうだが、全てインストで1曲の演奏時間が長く、一聴しただけでは冗長すぎて良さはおそらく分からないと思われる。ただ、何度か聴き込むとそれぞれの楽器が効果的に使われていることに気づく。矢継ぎ早に展開していく楽曲を理解した頃には演奏時間は構成上必要な長さだと納得できると思う。ジャズの素養が無いと理解するまでに多少時間がかかるかもしれないが。ただ、この作品の良さはあくまでも理性的な感覚とフィジカルな部分であり、心地よさや情緒といったものは一切無いので。お忘れなきよう
CHILDHOOD’S END
2004年11月1日 音楽
TM NETWORKの2ndアルバム
この作品は贔屓目だが素晴らしい。個人的にはザッツTMというようなこのアーティストのイメージを体現している作品といえる。一般的には「CAROL」や「humansystem」あたりが高評価だが、その2作はコンセプチュアルだったり、高評価の作品特有の重みのようなものがあり、個人的には乗り切れない部分もある。しかしこの作品は歌詞は恋愛のみで(それもひどく軽い)、華やかさと軽さがある。そしてなにより、メロディが良い。アレンジは現在聴くとかなり寒い部分もあるが、それも含めて良いと思える。一般的にも受けが良いであろう「ACCIDENT」や、個人的にはTMの全楽曲中最も好きな「FAIRE LA VISE」、ファン投票で高順位を獲得した「8月の長い夜」、祝祭的な「DRAGON THE FESTIVAL」、サビは大したことが無いが、大サビが用意されていてそれで全てが救われる「さよならの準備」など、佳曲が多い。アルバムとしても統一感がある
TMのデビュー2作目にして「幼年期の終わり」というタイトルを冠した作品。前作と明らかに違っている点は歌詞がファンタジー路線から現実的になったというところだろう。タイトルの候補に「Reality In The Wonderland」が上がったことからも裏付けられる。当初はPARCO PART-IIIでのファーストライヴで披露された「Electoric Prophet」がコンセプト曲として収録されるはずだったが、詞の世界があまりにも前作と違い過ぎるということで見送りとなったそうだ
この作品は贔屓目だが素晴らしい。個人的にはザッツTMというようなこのアーティストのイメージを体現している作品といえる。一般的には「CAROL」や「humansystem」あたりが高評価だが、その2作はコンセプチュアルだったり、高評価の作品特有の重みのようなものがあり、個人的には乗り切れない部分もある。しかしこの作品は歌詞は恋愛のみで(それもひどく軽い)、華やかさと軽さがある。そしてなにより、メロディが良い。アレンジは現在聴くとかなり寒い部分もあるが、それも含めて良いと思える。一般的にも受けが良いであろう「ACCIDENT」や、個人的にはTMの全楽曲中最も好きな「FAIRE LA VISE」、ファン投票で高順位を獲得した「8月の長い夜」、祝祭的な「DRAGON THE FESTIVAL」、サビは大したことが無いが、大サビが用意されていてそれで全てが救われる「さよならの準備」など、佳曲が多い。アルバムとしても統一感がある
玉置浩二が安全地帯時代の楽曲をカヴァーした作品
この作品は収録された楽曲を聴くことで、現在の玉置浩二のスタンスが分かるアルバムになっている。アコースティックなアレンジを施した曲と原曲よりもソフトに歌い上げるヴォーカルによって、キャリアを積み成熟した位置からのアプローチをするアーティストの姿勢が伝わってくる。暖かみがありあくまで優しく抑制の効いた歌唱は、刺激のある音になれている方は一聴すると物足りなく感じるかもしれない。しかし聴きなれてくると、当時とは違う深みのある感情表現の心地よさに気づくはず
<収録曲>
To me
ワインレッドの心
Friend
夏の終りのハーモニー
夢のつづき
瞳を閉じて
恋の予感
あなたに
悲しみにさよなら
碧い瞳のエリス
朝の陽ざしに君がいて
ゆびきり
あの頃へ
懐かしい安全地帯時代の名曲をセルフ・カヴァー。しかも,オリジナル・メンバーを従えての録音なので安全地帯の新作といった方が近いかも。ここ最近の軽快なナンバーもいいが,やはり彼の歌はじっくりと聴き入りたいもの。より円熟味も増して心に染みてくる
この作品は収録された楽曲を聴くことで、現在の玉置浩二のスタンスが分かるアルバムになっている。アコースティックなアレンジを施した曲と原曲よりもソフトに歌い上げるヴォーカルによって、キャリアを積み成熟した位置からのアプローチをするアーティストの姿勢が伝わってくる。暖かみがありあくまで優しく抑制の効いた歌唱は、刺激のある音になれている方は一聴すると物足りなく感じるかもしれない。しかし聴きなれてくると、当時とは違う深みのある感情表現の心地よさに気づくはず
<収録曲>
To me
ワインレッドの心
Friend
夏の終りのハーモニー
夢のつづき
瞳を閉じて
恋の予感
あなたに
悲しみにさよなら
碧い瞳のエリス
朝の陽ざしに君がいて
ゆびきり
あの頃へ
ASIAN KUNG-FU GENERATIONの2ndアルバム
この作品の一聴した感想は、奥田民生の新譜リリースに寄せたスピッツの草野マサムネのコメント「俺も民生さんもおっさんバンドマンになってきた。でも若い連中には出せない音があるハズなんで、まぁガンバリましょう、と。若い音はアジカンとかに任せて、俺らは俺らなりの『なんかすげー音』を出せるように」これに尽きる。まぁ、ようするに若い世代の同時代性の強さをどうしても感じてしまうというか。あまりにもまっとうなバンドサウンドに、何度目かのデジャヴに襲われる。スピッツもユニコーンも以前出していた世代に沿った求心力をこのバンドにも感じることが出来る。言い方は悪いがそれは何度も体現された類の青さであり、それを一度通過した音楽好きなら何も目新しくない感覚だ。バンプオブチキンのように、打ち出す世界観が目新しいと言うことも特に無い。しかし、あくまでもこの作品は若い世代の“同時代性”、ようするに若い世代の感覚や価値観を抽出して体現しているという部分が重要であって、音楽的にどうのこうの言い出すと評価のポイントがずれてしまうように思う。作品のアラならいくらでも捜すことは出来るが、演奏が意外にもタイトで高揚感があり、頭であれこれ考える前に身体が反応するというロックバンドとしての正しいあり方、というか魅力は十二分にある
実はこのアーティスト、個人的にはひたすらスルーし続けていたがアルバムリリース直前に切られたシングル「君の街まで」でついに捕まった。若い世代のためのバンドというくくりで語ってみたが、リスナー層は今作でさらに広範囲に広がっていくと思う
あふれる音楽、飛び散る言葉―― メジャー1stアルバム『君繋ファイブエム』で新世代ロックバンド・シーンの頂点に立ったアジアン・カンフー・ジェネレーションが2ndアルバムを完成させた。シングル「サイレン」「ループ&ループ」「リライト」「君の街まで」4曲すべてを含む全12曲収録
この作品の一聴した感想は、奥田民生の新譜リリースに寄せたスピッツの草野マサムネのコメント「俺も民生さんもおっさんバンドマンになってきた。でも若い連中には出せない音があるハズなんで、まぁガンバリましょう、と。若い音はアジカンとかに任せて、俺らは俺らなりの『なんかすげー音』を出せるように」これに尽きる。まぁ、ようするに若い世代の同時代性の強さをどうしても感じてしまうというか。あまりにもまっとうなバンドサウンドに、何度目かのデジャヴに襲われる。スピッツもユニコーンも以前出していた世代に沿った求心力をこのバンドにも感じることが出来る。言い方は悪いがそれは何度も体現された類の青さであり、それを一度通過した音楽好きなら何も目新しくない感覚だ。バンプオブチキンのように、打ち出す世界観が目新しいと言うことも特に無い。しかし、あくまでもこの作品は若い世代の“同時代性”、ようするに若い世代の感覚や価値観を抽出して体現しているという部分が重要であって、音楽的にどうのこうの言い出すと評価のポイントがずれてしまうように思う。作品のアラならいくらでも捜すことは出来るが、演奏が意外にもタイトで高揚感があり、頭であれこれ考える前に身体が反応するというロックバンドとしての正しいあり方、というか魅力は十二分にある
実はこのアーティスト、個人的にはひたすらスルーし続けていたがアルバムリリース直前に切られたシングル「君の街まで」でついに捕まった。若い世代のためのバンドというくくりで語ってみたが、リスナー層は今作でさらに広範囲に広がっていくと思う
For Beautiful Human Life
2004年10月20日 音楽
キリンジの5thアルバム
この作品は前作からの流れに沿い、曲は多少難解に、印象は地味になっている。打ち出される世界観もどことなく暗い。シングルの「スウィート・ソウル」と「カメレオン・ガール」ではこのアーティストのパブリックイメージを踏襲しているが、アルバム内の楽曲は、ポップなメロディに柔らかい声質、そして独特のシニカルな歌詞という持ち味のバランスが崩れ、楽曲の心地よさが減退している。“遊び心”が消え、楽曲に対する演奏面や歌唱の取り組み方がシリアスになっているというか。楽曲が全体的にカタルシスを感じるタイプのメロディラインではないということもあるのかもしれない。ただ、そういうアプローチをした結果として、楽曲のクオリティと完成度はかなり高い。これは果たして“成熟”なのか、それとも今作限りのコンセプトなのか・・・
『FINE』以来、約2年ぶりとなる通算5枚目のオリジナル・フル・アルバム。シンプルなバンド・サウンドが新鮮な「奴のシャツ」でスタートする本作は、シビアに抑制されたメロディと洗練の極みを感じさせるアレンジワーク、背筋が冷たくなるほどの完成度を持つ演奏がひとつになった、恐ろしいほどに美しいポップ・ミュージックがたっぷりつまっている。いつになく奔放で、カラフルな音楽性をたたえたソングライティングも印象的。キリンジが持つ無尽蔵の音楽的ボキャブラリーがわかりやすく表現された作品だ
この作品は前作からの流れに沿い、曲は多少難解に、印象は地味になっている。打ち出される世界観もどことなく暗い。シングルの「スウィート・ソウル」と「カメレオン・ガール」ではこのアーティストのパブリックイメージを踏襲しているが、アルバム内の楽曲は、ポップなメロディに柔らかい声質、そして独特のシニカルな歌詞という持ち味のバランスが崩れ、楽曲の心地よさが減退している。“遊び心”が消え、楽曲に対する演奏面や歌唱の取り組み方がシリアスになっているというか。楽曲が全体的にカタルシスを感じるタイプのメロディラインではないということもあるのかもしれない。ただ、そういうアプローチをした結果として、楽曲のクオリティと完成度はかなり高い。これは果たして“成熟”なのか、それとも今作限りのコンセプトなのか・・・
キリンジの4thアルバム
この作品は「ムラサキ☆サンセット」で幕を開ける。前作の華やかで遊び心のある音楽性を維持しているこの楽曲から順を追い聴いていくと、柔らかな歌唱と音色は変わらないが、前作とは微妙に異なった味わい深い心地よさが徐々に見えてくる。僕は前作でこのアーティストを聴くようになったので、一聴した時「地味だな」という印象を持った。しかし、今だに聴いている作品はこちらのほうだ。やはり、適度に抑制され、温度に微妙な強弱をつけた楽曲のおかげで長いスパンで聴けるということなのだろうか・・・
1998年『ペーパー・ドライヴァーズ・ミュージック』でメジャーデビューした、堀込高樹、泰行2人の兄弟ユニット、キリンジ。デビュー直後はどこかしら内向きな印象のあった彼らも、2000年のサードアルバム『3』あたりから外向きのベクトルが強く感じられるようになり、この4枚目のアルバム『Fine』では、アーティストとしてのスケール感がぐっと表に出てきたよう。aikoがコーラス参加した軽快な「雨は毛布のように」やジャジーなアレンジが心地よい「太陽とヴィーナス」など、ヒットポテンシャルの高い楽曲も多数収録する一方で、堀込高樹が意外に渋い声を聞かせる「切り花」のような新境地ものぞかせる。独特な言葉遣いも相変わらずの白眉。シンプルなアルバムタイトルに、彼らの自信が現れているようだ
この作品は「ムラサキ☆サンセット」で幕を開ける。前作の華やかで遊び心のある音楽性を維持しているこの楽曲から順を追い聴いていくと、柔らかな歌唱と音色は変わらないが、前作とは微妙に異なった味わい深い心地よさが徐々に見えてくる。僕は前作でこのアーティストを聴くようになったので、一聴した時「地味だな」という印象を持った。しかし、今だに聴いている作品はこちらのほうだ。やはり、適度に抑制され、温度に微妙な強弱をつけた楽曲のおかげで長いスパンで聴けるということなのだろうか・・・
くるりの5thアルバム
この作品はオリコン上位を獲得し、地上波にほとんど出演しないロックバンドとしてはかなりの成功を収めた。シングルは「ロックンロール」と「How to go」の2曲が収録されており、この2曲の感触から、アルバムはロック色の強いものになるという印象を受けていた為、それほど意外性は無い。今作のリリース前に映画「ジョゼと虎と魚たち」の音楽を担当し、このバンドの持ち味の一つである情緒的で淡々とした音楽性はそこで発揮され、この作品は全く違う手触りになっている
前作での民俗音楽的なアプローチを押し進め、上記にある通り日本民謡的なテイストを全編に散りばめている。以前の音響的なアプローチはほぼ完全に無くなり、レイドバックと言えるような泥臭い音が鳴っている。音のほうだが、前作よりそれぞれの楽器が各々はっきりと鳴っているような作りで、アコースティックギターが効果的に使われている。アレンジはシンプルだが構成に多少趣向が凝らしてあって、聴き慣れるまでに時間がかかった
前作での民俗音楽の導入が受け入れられたことでこの作品の音楽性に踏み切ったのだろうが、前作はポップスとしても成立するように工夫が凝らしてあった。今作は野心作というか、趣味性が爆発したというか、明らかに今までの売りを度外視した魅力を発揮しようとしている。この作品の後に出た「オールドタイマー」でもその音楽性は踏襲されているようなので、これでしばらく行くつもりなのだろう。現在のシーンでこの音を鳴らすことの意味合いくらいは分かるつもりだが・・・
岸田繁が演奏の上手い下手にリアリティを求めるタイプのアーティストではないのは確かだが、必然のない「何でもアリ」を誰より嫌うのもまた確かだ。前作の直後から構想されていたこの5作目は、バンドがロックンロールし続けるための肝をつかんだ、確かな芯のある作品になった。要は、岸田の音楽への潔癖なまでの姿勢が、ようやく彼の思うレヴェルに到達したということなのだろう。新ドラマー、クリストファーのくるりに対する理解と努力が果たした功績も大きい。聴き込むほど増してくる「ロックンロール」の曲・音・発語の絶妙なグルーヴが喚起する前向きな感覚。また、日本民謡的なコード感のある曲での独自の消化力などは目を見張る進化と言えるだろう。早くも2004年最重要作の登場だ
この作品はオリコン上位を獲得し、地上波にほとんど出演しないロックバンドとしてはかなりの成功を収めた。シングルは「ロックンロール」と「How to go」の2曲が収録されており、この2曲の感触から、アルバムはロック色の強いものになるという印象を受けていた為、それほど意外性は無い。今作のリリース前に映画「ジョゼと虎と魚たち」の音楽を担当し、このバンドの持ち味の一つである情緒的で淡々とした音楽性はそこで発揮され、この作品は全く違う手触りになっている
前作での民俗音楽的なアプローチを押し進め、上記にある通り日本民謡的なテイストを全編に散りばめている。以前の音響的なアプローチはほぼ完全に無くなり、レイドバックと言えるような泥臭い音が鳴っている。音のほうだが、前作よりそれぞれの楽器が各々はっきりと鳴っているような作りで、アコースティックギターが効果的に使われている。アレンジはシンプルだが構成に多少趣向が凝らしてあって、聴き慣れるまでに時間がかかった
前作での民俗音楽の導入が受け入れられたことでこの作品の音楽性に踏み切ったのだろうが、前作はポップスとしても成立するように工夫が凝らしてあった。今作は野心作というか、趣味性が爆発したというか、明らかに今までの売りを度外視した魅力を発揮しようとしている。この作品の後に出た「オールドタイマー」でもその音楽性は踏襲されているようなので、これでしばらく行くつもりなのだろう。現在のシーンでこの音を鳴らすことの意味合いくらいは分かるつもりだが・・・
THE WORLD IS MINE
2004年10月18日 音楽
くるりの4thアルバム
この作品では、前作で導入したエレクトロニカというか音響的なアプローチが血肉化され、スパイス的に散らされている。シングルで切られた「ワールドエンドスーパーノヴァ」はまんまそういう音楽性だったので、アルバム全体がそういうノリかと思い聴いてみたところ、彼らが本来評価されていた部分であるギターロックの情緒や躍動感を大事にしていて、民族音楽的なアプローチや楽器の導入などのほうが、次のアルバムを聴いた今となっては特筆すべき変化だったと言える。楽曲は、彼らの描きたい世界観が体現されているという点から見れば軒並完成度が高い。前作と同様バラエティに富んだ楽曲だが、アレンジの振り切れ具合はバンドが進化している事を感じさせる
2001年9月に大村達身がギタリストとして正式加入し、4人組となった新生くるりの通算4枚目のアルバム。ゆったりした重低音のリズムが響く壮大なナンバー「静かの海」、ヘヴィなバンドサウンドに乗せ、夢にまで見た中国への思いを描くハイパーアップチューン「GO BACK TO CHINA」、ハッピーな歌詞とエレクトリックアレンジが光る大ヒットシングル「WORLD’S END SUPERNOVA」、ピアノとストリングスの美しいメロディラインでつづる「アマデウス」、男の子の本心を歌うアコースティックチューン「男の子と女の子」など、日常のさまざまな瞬間を凝縮した独特な歌詞と、バラエティ豊かなサウンドがたっぷり楽しめる
この作品では、前作で導入したエレクトロニカというか音響的なアプローチが血肉化され、スパイス的に散らされている。シングルで切られた「ワールドエンドスーパーノヴァ」はまんまそういう音楽性だったので、アルバム全体がそういうノリかと思い聴いてみたところ、彼らが本来評価されていた部分であるギターロックの情緒や躍動感を大事にしていて、民族音楽的なアプローチや楽器の導入などのほうが、次のアルバムを聴いた今となっては特筆すべき変化だったと言える。楽曲は、彼らの描きたい世界観が体現されているという点から見れば軒並完成度が高い。前作と同様バラエティに富んだ楽曲だが、アレンジの振り切れ具合はバンドが進化している事を感じさせる
キル・ビル Vol.2
2004年10月17日 映画
クエンティン・タランティーノ監督作品
この作品はもともと一つの映画だったものを尺の長さゆえ2つに分割して公開したようだ。そして、vol.1と今作は物語から受ける感触が異なったものになっている。強いて言うなら前作はアクションシーン、近作は各々の登場人物の人物造形と心理描写にポイントが置かれているように思える。個人的には前作のバイオレンシーなカタルシスを期待してこの作品を観たが、微妙に間をとった演技や演出がなんだか間延びしているようで乗り切れなかった
気になった点をいくつか。序盤で描かれるカンフーは伏線として後々効いて来るが、あれだけの伏線なら修行のシーンはもっと掘り下げて描いておくべきではないだろうか。前作で畏怖の対象として抜群の描写をしていたビルの人格を掘り下げ、全編にわたって登場させることによって物語のテンションが落ちているように感じられた。ただ、それゆえにブライドのビルに対する愛憎半ばという感情は良く分かるんだが
前作から続けて観ると、一つの映画としてはかなり面白い。ただ、単体で評価すると個人的には今一つ
パート1の強引でハチャメチャなノリを期待した人には、やや不満。逆に前作がパロディのみで物語が浅いと感じた人には、この続編には満足するだろう。残り3人となった復讐相手を探し、テキサスからメキシコへ向かうザ・ブライド。その間に、彼女の血塗られた結婚式や、中国での修行時代などが章立てで挿入されていく。今回は、各キャラの屈折した思いに深く迫る会話劇をじっくり展開。そこにドラマの醍醐味を感じさせる作りは、タランティーノの初期作品を思い出させる。全体に静かな展開のなか、宿敵3人とのバトルにはテンションが凝縮され、なかでもトレイラーハウスでのエル・ドライバーとの女同士の闘いがド迫力。クライマックスでの宿敵ビルとの一騎打ちも、底辺に流れるのは「愛」だ。連作にもかかわらず、パート1からのムードの転調に、タランティーノの野心を感じてしまう
この作品はもともと一つの映画だったものを尺の長さゆえ2つに分割して公開したようだ。そして、vol.1と今作は物語から受ける感触が異なったものになっている。強いて言うなら前作はアクションシーン、近作は各々の登場人物の人物造形と心理描写にポイントが置かれているように思える。個人的には前作のバイオレンシーなカタルシスを期待してこの作品を観たが、微妙に間をとった演技や演出がなんだか間延びしているようで乗り切れなかった
気になった点をいくつか。序盤で描かれるカンフーは伏線として後々効いて来るが、あれだけの伏線なら修行のシーンはもっと掘り下げて描いておくべきではないだろうか。前作で畏怖の対象として抜群の描写をしていたビルの人格を掘り下げ、全編にわたって登場させることによって物語のテンションが落ちているように感じられた。ただ、それゆえにブライドのビルに対する愛憎半ばという感情は良く分かるんだが
前作から続けて観ると、一つの映画としてはかなり面白い。ただ、単体で評価すると個人的には今一つ
死ぬまでにしたい10のこと
2004年10月17日 映画
イザベル・コヘット監督作品
17歳で結婚し、職の不安定な亭主・2人の子供とトレーラーハウスで暮らし、清掃員をしている23歳の主人公。家庭も上手くいっており、特にこれといった不満もない。その彼女が余命2ヶ月と宣告され、それを誰にも言うことなく来るべき日への心の用意をしていくというのが話の大まかな流れだ
この作品は、主人公はやがて死を迎えるという結末がすでに確定しており、そこに向かっていく主人公の心の機微を細やかに描写している。過剰な演出は全くなく、淡々と日々の生活がつづられ、その合間に主人公は“10のこと”を一つずつこなしていく。普段の心温まる日常を壊すことないよう細心の注意を払い、穏やかに死を受け入れていく主人公の周りへの気遣いには悲しみを覚える。こういう作品にありがちな主人公の葛藤を全く描かないところも好感が持てた。観終わった後穏やかな感動が残る作品
23歳という若さで、がんで余命2か月と宣告されたアン。彼女はやり残したことをノートに10コ、書き留める。オシャレのこと、ふたりの娘のこと、そして夫以外の男と付き合ってみること…。リストを作ったときから、アンの平凡だった人生がイキイキと動きだした。死を目前にしながらも、その事実を誰にも明かさず、リストを作って実行していくことで、死の恐怖を回避し、幸せで甘い幕切れを求めるアン。自分の不運な運命を知っても、決して動揺せずに、残り少ない人生を最上のものにしようとするヒロインの強さが感動的。この役をほぼスッピンの自然体で演じたのはサラ・ポーリー。彼女が好演があったからこそ、アンという女性の短い人生は美しくスクリーンに息づいたといっても過言ではない。難を言えば、愛人になる男性(マーク・ラファロ)が魅力薄だったこと。夫役のスコット・スピードマンの方が華があり、逆のキャスティングだったら、感動も倍増したかも。とはいえ、死に向かっていく女性の人生を実に丁寧につづったイザベル・コヘット監督(&脚本)の手腕は見事。ペドロ・アルモドバルが彼女の才能に魅了され、製作を買って出たのも納得の映画である
17歳で結婚し、職の不安定な亭主・2人の子供とトレーラーハウスで暮らし、清掃員をしている23歳の主人公。家庭も上手くいっており、特にこれといった不満もない。その彼女が余命2ヶ月と宣告され、それを誰にも言うことなく来るべき日への心の用意をしていくというのが話の大まかな流れだ
この作品は、主人公はやがて死を迎えるという結末がすでに確定しており、そこに向かっていく主人公の心の機微を細やかに描写している。過剰な演出は全くなく、淡々と日々の生活がつづられ、その合間に主人公は“10のこと”を一つずつこなしていく。普段の心温まる日常を壊すことないよう細心の注意を払い、穏やかに死を受け入れていく主人公の周りへの気遣いには悲しみを覚える。こういう作品にありがちな主人公の葛藤を全く描かないところも好感が持てた。観終わった後穏やかな感動が残る作品
犬童一心監督作品、妻夫木聡主演
この作品は恋愛モノだが、大学生である主人公の生活がメインに据えられ、身体障害者と健常者の恋愛というニュアンスが無視できない作品になっている。普通に何人も女子大生と寝ている主人公が、障害を持ちそれゆえの独自の生活環境を持つヒロインに同調していく様は、健常者として普通に生活する方なら誰でも分かる感情の動きといえる。しかし、この作品はそうして同調した人間が結果的にどういう展開になるのかという部分まできっちり描いており、その描写に心を痛めてしまう部分もある。ただ、ヒロインのキャラクターが独特の自立した女性の魅力を発揮しており、それが最後の展開での救いになっている。そして、この作品は上記で述べた事柄は物語の枝葉に過ぎず、軸となる部分は、主人公がヒロインと出会い、立場を認識し、それを乗り越えて心を通わすという流れになっている。脇役等の人物造形も抜かりなく、ヒロインのキャラクターが効き全体として妙に濃い雰囲気が漂っている
大学生の恒夫は、乳母車に乗って祖母と散歩するのが日課の自称・ジョゼこと、くみ子と知り合う。くみ子は足が悪いというハンディキャップを背負っていたが、自分の世界を持つユーモラスで知的な女の子だった。そんな彼女に恒夫はどんどん引かれていき、くみ子も心を許すが、ふたりの関係は永遠ではなかった。『金髪の草原』の犬童一心監督が、田辺聖子の短編小説を映画化。くみ子演じる池脇千鶴は、関西弁でぶっきらぼうなくみ子の中の女性の部分をデリケートに見せて名演。妻夫木聡は、男の弱さ、ずるさ、情けなさを恒夫を通して見せていくが、恒夫が憎めない男になったのは、心の奥まで透けて見えるような彼の純な演技あってこそだろう。エロティックで美しくて切なくて泣けてしまうラブシーンも出色。恋愛の幸福感と背中合わせの残酷さを見事に描いた傑作だ
この作品は恋愛モノだが、大学生である主人公の生活がメインに据えられ、身体障害者と健常者の恋愛というニュアンスが無視できない作品になっている。普通に何人も女子大生と寝ている主人公が、障害を持ちそれゆえの独自の生活環境を持つヒロインに同調していく様は、健常者として普通に生活する方なら誰でも分かる感情の動きといえる。しかし、この作品はそうして同調した人間が結果的にどういう展開になるのかという部分まできっちり描いており、その描写に心を痛めてしまう部分もある。ただ、ヒロインのキャラクターが独特の自立した女性の魅力を発揮しており、それが最後の展開での救いになっている。そして、この作品は上記で述べた事柄は物語の枝葉に過ぎず、軸となる部分は、主人公がヒロインと出会い、立場を認識し、それを乗り越えて心を通わすという流れになっている。脇役等の人物造形も抜かりなく、ヒロインのキャラクターが効き全体として妙に濃い雰囲気が漂っている
NHK教育で放送中の宇宙を舞台にしたアニメーション
この作品は3話を収録している。Phase15 「彼女の場合」はアニメのオリジナルストーリーで、アニメオリジナルキャラクターの派遣社員エーデルをメインに据え、彼女の過去にまつわるエピソードが展開される。Phase16 「イグニッション」は原作でも重要なエピソードで、主人公ハチマキが宇宙への畏怖を覚え、それを克服するというものになっている。ただ、臨場感はあるものの原作にあった宇宙に対する崇高なる葛藤と呼べるような描写はなく、単に病気を克服すると言うようなニュアンスになっている。Phase17 「それゆえの彼」では、宇宙飛行士としては高名なハチマキの親父が登場し、これまで何度か話題に出た建造中の木星行き新型宇宙船フォン・ブラウン号へ乗り込むことになる。ハチマキもその宇宙船へ搭乗することへの憧れを持っており、この件に対する父親への複雑な思いというような描写もある
内容が職場モノから主人公の新たな夢への挑戦にシフトした感があり、雰囲気も多少重いものになって来る。田辺とハチマキの恋愛も地味に毎回描かれているが、それはあくまでサイドストーリーと言える。次巻に期待
2002年の星雲賞を受賞した幸村誠のコミックを原作にしたTVアニメシリーズ。時は2075年、宇宙旅行が一般的になった時代、宇宙に漂うゴミ“デブリ”が大きな問題となっていた。職業宇宙飛行士としてテクノーラ社に勤務し、デブリを回収する仕事をしている主人公、星野八郎太(通称ハチマキ)と、新人タナベをはじめとする同僚たちが、宇宙で活躍するSF作品だ。普遍性と独自性のバランスが絶妙な物語世界と、精密な考証によってもたらされるリアリティが、広大な宇宙へのロマンをかきたてる。同時に、大企業の日陰部署を舞台にした“職場モノ”でもあり、「会社員として、プロフェッショナルとして現実と折り合いをつけながら生きるということ」というテーマにも踏み込んだ点で、従来の“宇宙モノ”とは一線を画す、ユニークかつ志を感じる一作となっている
この作品は3話を収録している。Phase15 「彼女の場合」はアニメのオリジナルストーリーで、アニメオリジナルキャラクターの派遣社員エーデルをメインに据え、彼女の過去にまつわるエピソードが展開される。Phase16 「イグニッション」は原作でも重要なエピソードで、主人公ハチマキが宇宙への畏怖を覚え、それを克服するというものになっている。ただ、臨場感はあるものの原作にあった宇宙に対する崇高なる葛藤と呼べるような描写はなく、単に病気を克服すると言うようなニュアンスになっている。Phase17 「それゆえの彼」では、宇宙飛行士としては高名なハチマキの親父が登場し、これまで何度か話題に出た建造中の木星行き新型宇宙船フォン・ブラウン号へ乗り込むことになる。ハチマキもその宇宙船へ搭乗することへの憧れを持っており、この件に対する父親への複雑な思いというような描写もある
内容が職場モノから主人公の新たな夢への挑戦にシフトした感があり、雰囲気も多少重いものになって来る。田辺とハチマキの恋愛も地味に毎回描かれているが、それはあくまでサイドストーリーと言える。次巻に期待
ノーマン・ジュイソン監督作品、アル・パチーノ主演
この作品はとにもかくにもアル・パチーノ。とにもかくにも、だ。現在の渋く味のある演技の片鱗はこの頃からすでにそこかしこに散見されているが、この時期の彼には若さゆえのオーラといえるものがあり、それが熱血弁護士という設定に上手くかみ合い共感でき、親近感を持てる魅力がある
内容のほうだが、法曹界の内実を扱っているといっても、汚れた部分だけではなく、判事や弁護士の人間味溢れる日常、仕事における苦悩により壊れていく弁護士、被告人を救おうとする姿勢、パワーゲームや政治といった多彩な要素を描いている。現在の映画にありがちな、場面場面で効果音を使い臨場感を出したり感情表現の足しにするといった演出はほとんどない。音楽は場面転換を知らせるというような程度の使われ方で、緊迫した場面だろうがロマンチックな場面だろうが登場人物の台詞のみで物語は転がっていく。というのも、役者が皆演技力があり、ほとんどのシーンでアル・パチーノが出ている為だ。その結果、彼自身の色が物語全体の色となっている。しかもこの作品におけるアル・パチーノは人間味溢れる人となりであるため、描き方によっては社会派で硬質な印象になりがちなこの作品を、倫理観や情を重視した親近感の湧く作品にしている
最後の法廷シーンでアル・パチーノが見せる演技はその熱さにあっけにとられるというか、笑えてしまうというか、まさに“熱演”としかいいようがない。しかし、彼がそういう感情になっている理由は痛いほど分かるように様々なエピソードが積み重ねられている。今観ても全く色あせない作品
若き弁護士アーサーは、正義の名の下に権威を振りかざすフレミング判事と常に対立していた。ある日、フレミング判事が婦女暴行罪で訴えられ、しかも、敵対するアーサーに弁護を依頼。人々の信頼を得るアーサーが弁護をすることで陪審員への受けが良くなると考えたのだ。さらに、弁護を受ける見返りに、無実の罪で投獄されているアーサーの依頼人ジェフを保釈してやるというのだが・・・。名優アル・パチーノが若き熱血弁護士を熱演し、アカデミー賞主演男優賞にノミネート!後に「レインマン」でアカデミー賞監督賞に輝くバリー・レビンソンを脚本に迎え、「ザ・ハリケーン」の名匠ノーマン・ジュイソン監督が法曹界の内幕を暴いた社会派ドラマの傑作
この作品はとにもかくにもアル・パチーノ。とにもかくにも、だ。現在の渋く味のある演技の片鱗はこの頃からすでにそこかしこに散見されているが、この時期の彼には若さゆえのオーラといえるものがあり、それが熱血弁護士という設定に上手くかみ合い共感でき、親近感を持てる魅力がある
内容のほうだが、法曹界の内実を扱っているといっても、汚れた部分だけではなく、判事や弁護士の人間味溢れる日常、仕事における苦悩により壊れていく弁護士、被告人を救おうとする姿勢、パワーゲームや政治といった多彩な要素を描いている。現在の映画にありがちな、場面場面で効果音を使い臨場感を出したり感情表現の足しにするといった演出はほとんどない。音楽は場面転換を知らせるというような程度の使われ方で、緊迫した場面だろうがロマンチックな場面だろうが登場人物の台詞のみで物語は転がっていく。というのも、役者が皆演技力があり、ほとんどのシーンでアル・パチーノが出ている為だ。その結果、彼自身の色が物語全体の色となっている。しかもこの作品におけるアル・パチーノは人間味溢れる人となりであるため、描き方によっては社会派で硬質な印象になりがちなこの作品を、倫理観や情を重視した親近感の湧く作品にしている
最後の法廷シーンでアル・パチーノが見せる演技はその熱さにあっけにとられるというか、笑えてしまうというか、まさに“熱演”としかいいようがない。しかし、彼がそういう感情になっている理由は痛いほど分かるように様々なエピソードが積み重ねられている。今観ても全く色あせない作品